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再生医療技術を活用、理研チームの「髪のタネ」量産計画は悩み解消の決定打になるか

LifeStyle 更新日: 公開日:
毛髪再生研究を率いる理化学研究所生命機能科学研究センターの辻孝・器官誘導研究チームリーダー=大牟田透撮影

再生医療の手法で「毛包のタネ」量産に成功

辻さんらは2012年、マウスで画期的な研究成果を発表しました。

人間でもマウスでも髪の毛や体毛を実際に作っているのは、毛穴の奥にある「毛包」と呼ばれる器官です。マウスの「毛包のタネ」を再生医療の手法で2種類の幹細胞から作り、拒絶反応を起こさないヌードマウスの皮膚に植えたところ、体毛が一生涯生えて伸びることを確かめたのです。

移植した「毛包のタネ」から生えてきたマウスの体毛=理化学研究所提供

もちろん生えたのは元のマウスと同じ体毛で、しかも「タネ」のもとになった細胞を採った場所と同じ生え方を示しました。「タネ」に採取位置の情報も引き継がれていることが確かめられたわけです。

その後、7年かけて、人の毛包で「タネ」づくりの効率的な手法を探り、安定的な大量製造法を開発しました。実用化まで、あとは人を対象に安全性と有効性を確かめる臨床研究を残すだけのところまでこぎつけたのです。

SF作家、星新一のショートショート「アフターサービス」を思わせる「タネ」の研究ですが、理研といえば日本を代表する自然科学系総合研究所です。なぜ命にかかわらない毛髪の再生研究に手を着けたのでしょうか。

辻さんの答えは明快でした。

「再生医療発展の必然ですね」

現在、最先端の再生医療が目指しているのは、一般の器官(臓器)の再生です。しかし、器官では複数種類の細胞が立体的に独特の形を作って、互いに協調して働いているため、再現するのがとても難しくなります。

そこで辻さんらが目をつけたのが、抜けては生える体毛だったのです。髪が長く伸びるか、産毛のように短いまま伸びなくなるかのカギは、毛包の一番奥にある毛乳頭細胞が握っています。

毛が生える一連の仕組みを再現するポイントは、毛乳頭細胞をはじめ様々な細胞のもとになる2種類の幹細胞を協調して働かすことでした。チームは試行錯誤の結果、これら2種類の幹細胞を使い、髪を作り出す毛包の「タネ」の作製に成功。つまり、この研究は複数種類の細胞からなる器官再生の第一歩でもあるわけです。

移植した「毛包のタネ」から生えてきたマウスの体毛は生涯伸び続けた=理化学研究所提供

「米国のスタンフォード大学やハーバード大学、横浜国立大学など内外で同様の研究が進んでいます。私たちは人の細胞でも3週間の培養で『タネ』を50~100倍に増幅できており、技術・コスト面で有利だろうと考えています」と辻さんはいいます。

臨床試験の目前に待っていた「落とし穴」

2020年6月には臨床研究に必要な承認も得ました。いよいよという段階です。ところが、ここで思いがけない落とし穴が待っていました。

毛包の「タネ」を大量生産して供給するはずのベンチャー企業オーガンテクノロジーズが、20億円の資金調達に失敗し、事業停止に追い込まれたのです。

そのまま法的整理となると、特許などが散逸してしまいます。そこで辻さんがオーガン社の負債を肩代わりし、私的整理を終えました。

いま、新しい経営陣をそろえて資金調達を進め、臨床研究を経て、2026年度から「タネ」を使った自由診療を始める、という青写真を描いています。

「実用化に向けた臨床研究は一番お金が必要なところです。資金調達失敗はコロナ禍の直撃もありますが、そもそも髪の毛や歯に関する再生医療は命にかかわる治療ではないからと、臨床研究になると公的な研究費が出ないのが痛い。本当は様々な器官の再生医療研究の出発点になる可能性が高いのですが」と辻さんは嘆きます。

世界で5兆円の毛髪市場、実用化へ「魔の川」渡れるか

一方で、男性型脱毛症の人は国内だけで1800万人もいるとされ、悩んでいる人はたくさんいます。世界のかつらや植毛の市場は2028年には年間5兆円にも達するとの推計もあります。

そこで、辻さんらのグループは、最初から科学的根拠のある自由診療として産業化を目指すことにしたのです。「社会実装から、さらなる研究費を調達し、次の再生医療に進んでいきたいと考えています」

研究を研究で終わらせず、社会的ニーズに応えてお金を稼ぐことで、さらに研究を深化・拡大させる――。欧米ではしばしば目にする試みですが、日本ではまだ珍しい挑戦です。

研究段階と実用化に向けた開発段階の間には「魔の川」と呼ばれる障壁があるといわれます。資金調達もその一つです。辻さんらの「髪のタネ」プロジェクトは魔の川を無事越えられるでしょうか。その意味でも今後が注目されます。

いちから分かる、毛が生え替わるメカニズム

そもそも、毛はどのように生え、抜けるのでしょうか。メカニズムを見てみましょう。

身体の毛には頭髪のように太く長く育つものもあれば、産毛のように細く短いものもあります。理研の辻さんによると「構造や仕組みは共通している」といいます。

毛が伸びるときは毛穴の奥の毛包にある毛母細胞が盛んに分裂、増殖しています。増えた毛母細胞は内部にケラチンというたんぱく質をため込みながら順次死んで線維化し、皮膚表面の方へ押し上げられていきます。これが毛の正体です。

体毛の違いは毛周期の違いが演出しています。毛は、毛母細胞が盛んに分裂して伸びる「成長期」と、分裂を止める「退行期」、毛が抜ける「休止期」を繰り返します。頭髪は成長期が3~6年程度続きますが、眉毛やまつげの成長期は通常1~2カ月で、多くの体毛は2~3週間で抜けます。

男性型脱毛症の発症メカニズムと毛周期=理化学研究所提供

脱毛症は仕組みが未解明のものが多いのですが、男性の約3割が発症する男性型脱毛症は遺伝性で、毛周期が短くなって頭髪が産毛化することで起きることがわかっています。

ある酵素が男性ホルモンを脱毛症を誘発するホルモンに変え、毛周期を短くし、細く短い毛しか生えなくしてしまうのです。

男性型脱毛症の内服薬は、この酵素の働きを抑えるものです。女性も発症しますが、一部の薬は妊娠の可能性がある女性には使えないことになっています。

将来、毛周期をコントロールできれば、頭髪維持や、逆に脱毛も簡単になるかもしれません。