――iPS細胞を使った再生医療の研究は、米国で盛んですね。
iPS細胞から網膜や神経の細胞をつくり、これまで治療できなかった病気を治そうとする研究に取り組むグループが、いくつかあります。バイオテック企業も開発に乗り出しており、それらの研究グループに投資が集まって、研究開発に拍車がかかっているという状況です。
まだ克服しなければならない課題はありますが、製薬企業や投資家たちはこの分野の進展を注視しています。iPS細胞を使った治療法は、いずれ広く普及するでしょう。私自身は、5~10年後にはそうなればよいと願っています。
米国の食品医薬品局(FDA)が承認した細胞を使った治療法が実際に出てきたことで、今後も承認が得やすくなってきていると思います。日本でも規制当局が細胞治療に非常に熱心に取り組んでいることは知っています。
――教授自身は、どのような研究に取り組んでいますか。
iPS細胞から免疫細胞の一つ「NK細胞」をつくり、その細胞を患者の体に注射してがんなどを治療する研究をしています。ウイルス性肝炎やHIV(エイズウイルス)感染などの治療も目指していますが、特に注目されているのはがん治療です。すでに臨床試験に入っていて、多様な種類のがんに有効である可能性があります。
私は1990年代後半、人間の細胞から「ES細胞」をつくり出すことに成功したジェームズ・トムソン博士と一緒に仕事をしていました。ES細胞は、iPS細胞と同じく「万能細胞」と呼ばれ、さまざまな細胞になることができます。
当初の目標は骨髄移植の助けとなる細胞をつくることでしたが、非常に難しかったのです。そこで、他の種類の血液細胞にも目を向けました。
研究の過程で「リンパ球」という血液細胞に興味を持ち、約18年前に、たまたま最初に試したリンパ球の系統がNK細胞で、それが非常にうまくいったのです。現在はiPS細胞とES細胞の両方を使い、NK細胞の研究を続けています。
――iPS細胞とES細胞はどう違いますか。
両者はほとんど本質的に同じです。iPS細胞は自分で作ることができ、大量に作ることもできるという特徴があります。iPS細胞の方が入手が簡単なこともあり、臨床に進むときは、iPS細胞が使われることもありますが、ES細胞にもまだ基礎科学として有用な面があります。ES細胞の役割はまだあると思っています。両者は非常に似ているのです。
――現在、臨床試験の状況は?
まず最初にはっきりさせておきたいのですが、私は臨床試験には直接関与していません。いま行われている臨床試験は私の研究がもとになっていて、利害関係があるため、臨床試験には直接、関わっていません。
それを明確にした上での説明になりますが、米バイオ企業フェイト・セラピューティクスが、iPS細胞からつくったNK細胞を使ってがん治療をする三つの臨床試験を進めています。最初の試験が始まったのは2019年。3~5年後にはFDAの承認が得られる、と私は見ています。
――遺伝子操作をした免疫細胞によるがん治療では、「CAR―T細胞療法」が世界的に注目されていますね。
これは、B細胞性の急性白血病など特定のがんには効果的だと思います。ただ、治療のための細胞を患者一人ひとりに合わせて個別につくらなければならない難点があります。治療費は高額になり、細胞をつくるのに数週間を要します。製造施設から医療機関まで細胞をどう運ぶかという問題もあります。
一方、私たちが研究しているiPS細胞からつくったNK細胞を使う治療法は、特定の患者にしか使えないわけではありません。ここが重要な点です。同じ細胞を大量につくり、それで何百人、何千人もの患者を治療できる。それぞれの患者に合った細胞を準備する必要がないため、多くの患者に届けることがはるかに簡単になります。「在庫があって、いつでも使える」という治療法はとても重要なことなのです。
――治療費はどの程度に抑えられますか。
あくまで概算ですが、予想価格は1回の治療で数千ドル(数十万円)。CAR―T細胞療法は現在30万~50万ドル(約3000万~5000万円)ほどかかるので、それと比べると1割以下に抑えられると見込んでいます。
――日本のiPS細胞の研究をどう見ていますか。
京都大学iPS細胞研究所の江藤浩之教授は、iPS細胞から輸血に使うための血小板を生み出す「巨核球」をつくる研究をしています。これは非常に興味深いです。同所で神経細胞を研究している高橋淳教授にも注目しています。ほかにもiPS細胞からつくる(免疫細胞の一つ)T細胞の研究開発をしているグループもあり、私がその分野を見てきた限り、完成度が高いと思います。
――彼らはライバルですか。
私は必ずしも彼らを直接の競合相手だとは見ていません。iPS細胞を使う治療においては、多くのイノベーションが必要で、まだまだやるべきことが残されています。この分野に興味を持っている人が多ければ多いほど、すばらしい方法が生み出されていくと思っています。
――iPS細胞を使った医療の将来をどうみていますか。
今後も増え続ける分野だと思います。がんを治療するといった分野とは別に、iPS細胞からつくった心臓の細胞や網膜の細胞、神経細胞などを使って、生命を維持するために、長期的に機能する細胞の移植を目指すにはまだ課題があると思います。そのために、いくつかの進歩が必要です。しかし、この挑戦がうまくいき、次の5年後、10年後にその成功が出てくることを願っています。
――iPS細胞は医療を変える、と言えるのでしょうか。
私は非常に楽観的で、偏っているのかもしれませんが、iPS細胞からつくるNK細胞は、標準的ながん治療の一部になる可能性があると思っています。必ずしも専門の施設でしか受けられないという治療ではなく、世界中どこでもその治療を受けることができるようになるでしょう。20年ほど前に抗体医薬が出てきたときの話を思い浮かべてください。当時は非常に珍しいタイプの薬で、がんの標準的な化学療法ではありませんでした。20年後のいま、抗体医薬が何十種類も出回っていて、世界中どこでも手に入る状況になっています。10年、20年後には、とくにiPS細胞からつくるNK細胞については、日常的な治療の一部になっていると思っています。(聞き手・合田禄)
Dan Kaufman 米カリフォルニア大学サンディエゴ校(UCSD)教授。米国ミネソタ州出身。ミネソタ大学教授などを経て、2016年からUCSDに移り、医学部の再生医療部門の教授と細胞治療プログラムのディレクターを務めている。iPS細胞やES細胞からつくる免疫細胞で、がんを治療する研究が主な専門分野。