――これまでの仕事を通じて、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)について詳しいとうかがっています。特に創設者である文鮮明氏の側近で、2014年に亡くなった朴普熙(パク・ボヒ)氏とは長年、面識があったとか。
彼は、私が韓国陸軍に勤めていたときの部下でした。米国への留学経験があり、抜群の英語力を買われて米軍との調整役などをしていました。彼は在米韓国大使館の駐在武官も務めていましたが、すでに朴氏は教団に加わっていました。
朴氏は頭が良い男でした。
朴氏によれば、彼は一般の人々に対し、無差別に教団への献金を求める手紙を書いていました。何通かは返事があったそうです。
彼は、受け取った返信を、届いた時期別に分類していました。「早く返事が来た人は、旧統一教会(現・世界平和統一家庭連合)に関心がある証拠だと考え、より大きな金額の献金を求めていました。
信仰を道具にした金集めだったと思います。愛や平和といったキリスト教的な考えを説き、政治家や政府高官などにもうまく浸透していました。
――ご自身も文鮮明氏に会ったことがあるのですか。
1967年か1968年ごろ、朴普熙氏に請われてソウル市内のホテルを訪れました。そこに文氏がいました。ニコニコしながら、一言も話しませんでした。そのとき、朴氏らから「統一教会に入らないか」と熱心に誘われましたが、断りました。
彼らは当時、大学教授などの知識人を海外旅行に誘い、教団に入るよう勧誘していました。でも、プロテスタントの私には、統一教会は異端にしか見えませんでした。
1970年代、文氏が米誌のインタビューを受けた様子を覚えています。学歴を尋ねられた文氏はあえて「私は学校には通っていない」と答えていました。(文氏は)ジーザズ・クライストだから、勉強は必要ないと言いたかったのでしょう。
――統一相時代にも、朴普熙氏と面会したことがあるそうですね。
1998年、私が統一相に就任した年の秋、朴氏が(教団の友好団体が発行する日刊紙)「世界日報」の記者を連れて、統一省にやってきました。私は部下に、「朴氏だけを通すよう」と指示し、長官室で2人きりで面会しました。
朴氏はいきなり大きな絵を持ち出し、「長官ご就任のお祝いです」と語りました。北朝鮮の名勝、金剛山の絵でした。
朴氏はこう言いました。「長官、今日は一つお願いがあります。なぜ、現代グループを優先するんですか。私たちが宗教団体だから排除するんですか」
韓国政府は当時、現代財閥と協力し、(韓国市民らが北朝鮮の名勝地を訪れる)金剛山観光事業を進めていました。ちょうど(1998年11月には韓国東部・江原道から)観光船を出しての金剛山観光が始まったところでした。
でも、金剛山観光に最初に興味を示したのは統一教会でした。彼らは当時、文鮮明氏が(北朝鮮の)金日成主席と会談し、金剛山観光事業を委任する文書にサインももらっていると主張していました。
私は朴氏に「あなたたちが宗教団体だから差別しているのではない。金剛山付近で大雨が降ったらどうするのか。現代は観光船を出すと言っている。それなら避難場所にもなるし、安全ではないか。旧統一教会(現・世界平和統一家庭連合)はそこまで考えているのか」と答えました。
――なぜ、教団は北朝鮮での事業に熱心だったのでしょうか。
文鮮明氏の故郷は(現在の北朝鮮の)平安北道定州です。金日成が文鮮明氏のため、定州を聖地にしたといううわさも聞きました。
宗教を認めない北朝鮮での布教はできませんが、聖地にした故郷を世界中の信者に見せたかったのでしょう。
旧統一教会(現・世界平和統一家庭連合)の本部がある(ソウル近郊の)京畿道加平は、朝鮮半島の真ん中に位置します。半島の主導権を握りたいという欲望があったのでしょう。
彼らは金剛山観光事業には進出できませんでしたが、(傘下の)平和自動車が北朝鮮と合弁で、平壌近郊の南浦で自動車の生産を始めました。
平壌中心部の普通江ホテルの経営にも携わりました。ただ、自動車生産も年間数百台といった規模で、とても収益が期待できない状況でした。どちらも、2010年代には事業から撤退したと聞きました。
――なぜ、文氏と金主席は意気投合したのでしょうか。
北朝鮮の主体思想も一種の宗教です。北朝鮮の唯一思想体系や主体思想は、金日成を神のように扱う思想です。お互いに神を自称するからひかれ合ったのです。自らの利益になるなら、何でもやるという点でも、2人は似ていました。
◇ ◇ ◇
教団が北朝鮮で事業を始めた背景について教団本部に問い合わせたが、12月21日までに回答は得られなかった。