暗闇の町を軍用車がゆっくりと進んでゆく。高い建物の上から眼下の道路を映したとみられる動画は、暗さと手ぶれで不鮮明だ。
ロシアがウクライナへの侵攻を始めて3日後の2月27日夜。「ロシアが(ウクライナ南部の)ベルジャンスクに侵入している」とする長さ1分超の動画がツイッターに投稿された。
この投稿からわずか5分後。別の人物が、動画の撮影場所を特定したと、緯度・経度を記して投稿した。「確認済み!」という言葉に、グーグルストリートビューの画像も貼られている。
場所を特定した投稿主は「The Intel Crab」。ウクライナ国旗を持ったカニのイラストがアイコン画像だ。アカウント名はどうやら諜報活動を意味する軍事用語「インテリジェンス」の略語「インテル」に、カニを組み合わせたようだ。
「ロシアの空爆後のキーフ駅内部の損傷」「ロシア空軍がオデーサ近くのザトカを攻撃」……。
「カニ」はロシア軍の攻撃を受けたと見られるウクライナの町並みなどの動画や画像を共有し、どこで撮られたものなのかを素早く特定していく。
断片的な現地からの情報をつなぎ合わせ、ロシア軍の攻撃の実態を次々と暴いていく「カニ」。その存在は、ネット上で広く知られるようになり、フォロワー数は28万人を超える。
ツイッターのプロフィールは謎めいている。「インターネットで人気の甲殻類。あなたの地元のシーフードマーケットにいます」
いったい、何者なのか。
メールで連絡を取ってみると数日後に返事があり、やり取りを重ねていく中で会うことを快諾してくれた。
「カニ」が指定した場所は、ウクライナから直線距離で9000キロ弱離れた米国南部アラバマ州だった。
待ち合わせの空港に現れたのは、髪にウェーブがかかった、細身で中背の若い男性。
彼の名はジャスティン・ピーデン氏(21)。「カニ」の正体は、地元の大学3年生だった。「学生はお金がなくて。でもこれで十分です」。祖母から譲り受けたという年季の入った車に乗り、「仕事場」へと連れて行ってくれた。
やがて着いたのは、友人2人とシェアしているアパート。自室にはベッドと机があり、整理された卓上には、デスクトップ型のパソコン1台とキーボードが置かれている。28万人が注視する投稿は、こんな部屋から生まれていたのだ。
ソーシャルメディアの投稿など誰もが入手できる公開情報の断片を集め、つなぎ合わせて分析する手法は「OSINT(オシント)」と呼ばれる。「Open Source Intelligence」の略語で、もとは軍などが行う諜報活動の一種だった。
それが、ネット上の地図や衛星画像をはじめ、誰でもアクセスできる公開情報が増えたことで、これらを利用してさまざまな調査をする人たちが生まれ始めた。こうした「ネット探偵」たちは、たいてい研究者でも記者でもない、「ふつう」の人だ。
中には、趣味が高じて特定の分野に詳しくなったり、研究者顔負けの知識を持つようになったりする人もいる。こうした人たちが集まって研究者1人では到底なし得ない調査をやってのけるのがオシントの世界だ。
ピーデン氏がこの世界に足を踏み入れたのは、中学生のとき。2014年、ロシアがウクライナ南部のクリミア半島を一方的に併合した頃だった。「現地にはどんな人がいて、何を考えて暮らしているのだろう」。13歳の好奇心はかき立てられた。
ウクライナに住む子どものように見えるツイッターのアカウントを作り、現地に住む人たちと機械翻訳などをつかって会話するようになった。やがて1000人を超える現地の人とつながり、聞いた話を共有しては、発信し始めた。
ロシアがウクライナに侵攻する直前には、動画や画像に映った文字や建物の形などを手がかりに、グーグルマップや、無料の衛星画像と照合し、投稿された映像の撮影場所を特定し始めた。
ソーシャルメディアでつながる現地の人たちは約3万人。それを生かし、戦況を分析した。最初の1カ月は、寝食を忘れて1日8~12時間もツイッター上の情報を追いかけた。ウクライナに張り巡らした情報網の詳細さや速報性などから、米ワシントン・ポストや米公共放送PBSからも取材を受けるようになった。
ウクライナへは一度も行ったことがない。だが、「冗談でよく言うんです。(ウクライナ東部)ドネツクにある公園やショッピングモールなどの町並みは、自分の町よりもよく知っているって」
ピーデン氏は「これは共同作業だ」と言う。
3月初め、ピーデン氏はウクライナのマリウポリに落ちたとみられるミサイルの写真2枚をツイッターに投稿した。するとすぐにこのミサイルを特定しようとする投稿が相次いだ。
「弾頭にある文字はこの写真と一致する」「射程は約70キロ」……
「私たちは、互いを頼りにし、協力し合う。レゴのブロックをともに組み立てるように」とピーデン氏は話す。
好奇心からオシントに取り組んできたピーデン氏の心に変化があったのは、ロシアの侵攻から1週間ほどたったころだった。
ウクライナのある町を移動するロシア軍を撮影した動画を見つけた。撮影者は女性で、建物のバルコニーから映したようだった。碁盤の目上の通りからなる美しい町だった。すぐにその動画の撮影場所を特定し、ツイッターに投稿した。
その女性は、ツイートで反ロシア感情をあらわにしていた。ピーデン氏のツイートの先には当時20万人ほどのフォロワーがいた。そのときにふと思った。
女性の居場所を明らかにしたことで、その女性がロシア軍に狙われる可能性があるのではないか。「自分がやっていることによって、誰かが殺されうることを認識したのです」
ピーデン氏はそれまで匿名で分析していたが、実名を隠さないことにした。「どんな成功をしても、どんな失敗をしても、全部私がやったことだ。自分が誰なのかを主張することが、自分のやっていることに対する説明責任の最初の一歩だと考えた」
その上で自身の活動について、今はこう考えている。
「(公開情報による調査は)自分の好奇心よりもはるかに大きな目的を持った重要なことだと気づいた。自分自身をこの戦争における当事者として見ている。私は、ウクライナが戦争に勝ち、ロシアによる偽情報と戦うために(調査に)取り組んでいる」
ピーデン氏のような人たちはたいてい報酬もなく、互いの本名すら知らない。にもかかわらず、時間を割き、協力し合うのはなぜなのか。
「この戦争で得た情報の多くは、現地やペンタゴン(米国防総省)の記者からではない。自分たちの手で入手している。それをオープンに自由に使い、ロシアから不当な扱いを受けている人々に公正さをもたらしたい。その思いが、私たちを結びつけているんだ」