突然かかってきた電話の主は、元ウズベキスタン大使の河東哲夫さんだった。
河東さんは、外務省を辞めて評論家として活動していた。面識はなかったが、小泉さんが軍事雑誌に書くものを読んでいた。
「彼には、事実関係を丹念に拾い出すだけでなく、それが意味することを概念化する力があった。他の著者とはちょっと違っていたんです」
「一度、会って話さないか」と河東さんに誘われ、都内のホテルで食事をした。
「大学ではアカデミックな研究が出来なかった」と打ち明けた小泉さんに、河東さんは言った。「アカデミックではない研究をやればいいじゃないか」
そうか、大学でなくても研究はできるはずだ。ニッチなことをやれば仕事の需要はあるのかもしれない、と思うようになった。
2009年、河東さんの推薦で外務省国際情報統括官組織の専門分析員になった。ロシアの軍事関係の分析レポートを書くと「詳しいね」と周囲に褒められ、少しずつ自信がもどってきた。さらに、若手研究者をロシアに送る交流事業があることを知って応募し、モスクワ行きの機会を手にした。
2009年12月。年の瀬の押し迫ったモスクワに降り立った。
外はマイナス28度。極寒の地での初めての一人暮らしだった。言葉もあまりできず、心細い時に、周囲のロシア人の優しさに助けられた。当時の様子は近著『ロシア点描 まちかどから見るプーチン帝国の素顔』(PHP研究所)にも詳しい。
ロシア軍の基地を見学し、ロシアの核戦略の第一人者や政府・軍関係者、研究者など多くの人とも出会った。
ロシアの社会がどう動き、どんな人たちが暮らしているのか。ロシア人の思考や社会を知った経験は「脳の中に新しいアルゴリズムを入れるような体験だった」。
ロシア人の軍事研究者とも仲良くなった。「ひたすら兵器の話ばかりしている超・超・超オタクがいた。つまり、『ロシア版ぼく』みたいな人。こういう人たちとは、魂のレベルでわかり合えた」
言葉の問題もあって、生活の不便は多かったが、「人生の中で一番自由で刺激の多い時期だった」と振り返る。
モスクワでのもう一つの出会いが、ロシアの大学で落語の研究をしていた妻エレーナさんだ。日本への留学経験もあり、落語を教えたりロシア語を教えてもらったりするうちに、結婚。2010年には長女が生まれた。
翌年に帰国後は、国立国会図書館や研究機関などで原発や宇宙政策などの調査報告書をまとめる非常勤の職を兼務しながら、文筆業も両立させるようになった。
「ユーリィ・イズムィコ」というペンネームを使い始めたのもこのころだ。「ロシア人に扮してソ連で計画倒れに終わった飛行機のエッセーを書く」という遊び心あふれる設定の雑誌連載を始め、名前のつづりを入れ替えて作った。
「遊んでいる時が、もっとも創造性が発揮される気がする」と言うように、「note」に書く「夢日記」や、日常の断片をつづるエッセーには不思議な味わいがある。
書き手として広く世の中に知られるようになったきかっけは、2019年に出した『「帝国」ロシアの地政学』(東京堂出版)だろう。
従来の国際関係論とは全く違ったアプローチでロシア独特の主権や領土の概念を鮮やかに描き、サントリー学芸賞を受賞した。
小泉さんの著作には、冒険小説からシェークスピアまで顔を出す。柔らかな文体は「単なる軍事オタクではない」と選考委員をうならせた。
ロシアによるウクライナ侵攻が始まってから、プーチン大統領が核兵器を使用する可能性が、何度も指摘されてきた。
それは、あの夏の原爆写真展で見た地獄絵の再来かもしれない。かつて、人類の終末をのぞき見るように捉えていた核の恐ろしさを、いまは、その下で実際に起きることへの想像力をもって、考えられるようになったのだという。その変化は、子どもが生まれたことも一つのきっかけだったと明かす。
「実際にもろい命の責任者になってみて、それをリアルに失いたくないという思いがわかるようになった、というのはあるんです」
核兵器の「限定使用」と言ったとき、それは何を意味するのか。純粋に軍事戦略として考えれば、それは「1千人の死でしかない」かもしれない。だが、1千人が死ぬとは、具体的にどういうことなのか。
「子どもを持ったことで、その想像力を自分のなかにリアルに持てるようになった気がする。逆に言えば、これまでわからずに語っていた、自分の愚かさなのかもしれない」
そして、一呼吸おいて言った。
「でも、だれしも失いたくないものがあるから、安全保障をやっているはずなんです」
小泉さんはいま、「ディープダイブ」と名付けた新しいプロジェクトを始めようとしている。
今回のロシアによるウクライナ侵攻の可能性が高いと感じたのは昨年12月だった。今年2月初旬には、確信を得ていた。
衛星画像や現地のSNSの投稿などから、ロシア軍が国境の森や原っぱに展開する様子を分析してわかったことだった。
これが可能だったのは、世界中で趣味でネットを見ている人たちの存在だ。
現地の市民がネットに上げたSNSの投稿や写真、映像などを組み合わせて分析することで、戦況を知る重要な手がかりになる。
こうした公開情報を駆使して分析する手法は、「オープンソース・インテリジェンス(OSINT)」と呼ばれる。
調査機関「ベリング・キャット」は、OSINTで反政府活動家ナワリヌイ氏の暗殺未遂事件やマレーシア航空機撃墜事件など、国際的な事件をいくつも暴き、一躍有名になった。
「日本にも匿名でネット情報を独自に分析している人たちがたくさんいる。こうした人たちとつながりながら、日本版『ベリング・キャット』を作りたい」
各地に散らばる自分のようなオタクたちの力を束ねることで、新しい調査が生まれるはずだという。
「僕は社会のど真ん中を歩むつもりはない。だから、時々炎上するくらい、エッジの効いたことをやらなければいけないと思っているんです。だって、怒られないようにやっているうちは、面白いものなんてできないでしょう?」
小泉さんはいまでも自分のことを研究者とは思っていない、という。あくまでもの書きとして、人の役に立つようなものを書いていきたいのだ、と。
「そうすれば一応税金で給料もらっている分の仕事にはなるだろうと。それがいまのところの業務方針でありまして……」
「アナーキーな一族」にしては、ずいぶんと生真面目ですねと言うと、照れたように笑った。
「へんなところで生真面目なんです。主流になれなかったことのコンプレックスの裏返しみたいなところがあるんですよ」
だがそこに、多くの人がイズムィコ先生の魅力と面白さを感じているのだろう。
「僕は太い幹にはなれない。でもそこから変わった形の枝が伸びていて、おかしな花が咲いている。そんな存在であれたらいいんです」(おわり)