2023年の市場投入を目指すのは、イギリスのスタートアップ企業ZELP。穀物メジャーのアメリカのカーギルも開発を支援する。
「気候変動を遅らせるための最強の『てこ』になるはずです」。ZELPを率いるフランシスコ・ノーリスさん(34)はそう語る。
「メタンは20年という期間でみれば二酸化炭素(CO₂)の80倍以上の熱を、大気に閉じ込める。牛は一日に500リットルのメタンを出し、その9割以上が鼻付近から出るのです」
牛や羊などは、そのままでは栄養になりづらい牧草などをいったん胃にのみ込んだ後で口に戻し、かむことを繰り返す「反芻(はんすう)」をしながら消化する。胃にいる菌の働きで食物が発酵、分解される際、副産物のメタンも発生して、げっぷなどとして大気に漏れ出す。
これがバカにならない。反芻家畜の消化管からの排出は、CO₂換算で年間約28億トン。全世界で発生する温室効果ガスの約5%を占める。温暖化の主要な原因のひとつと考えられているのだ。
一方で、大気中のメタンは7年間でその半分が、メタンよりは温室効果が小さいCO₂や、水に分解される。
ノーリスさんはこの点に目をつけた。メタンがそのまま垂れ流されてしまうより、その場で分解すればいいのでは――。
2000頭の牛を飼うアルゼンチンの農家に生まれ、2017年までイギリス王立芸術学院でデザイン工学を学んだノーリスさんは、同院で「排出ゼロ家畜プロジェクト」の頭文字をとったZELPを立ち上げた。鼻のマスクで集めたメタンの6割以上を、首にかけた触媒装置でCO₂と水に分解して放出するという。
今年4月にはイギリスのチャールズ皇太子(現国王)らが主宰する「地球憲章(Terra Carta)」のデザイン賞にも選ばれた。イギリスのテレグラフ紙によれば、王立芸術学院であった式典で皇太子はZELPの発明を「魅力的ですね」と称賛した。
同社に協力するイギリス王立獣医大学のスティーブン・ファン・ウィンデン准教授は「ZELPの取り組みは、畜産の持続可能性をさぐるうえで重要だ」と強調する。
ZELPと同大学の共同研究では、装置を牛につけても、餌を食べる行動や反芻、歩行に影響を与えず、動物福祉上の負担も問題ないと確認したという。
牛の餌に手を加えて、メタンを減らす取り組みも進む。
オランダの化学会社「ロイヤルDSM」は、消化管でのメタン発生を30%抑えられる添加物「ボベアー」を販売している。
牛の健康や肉、乳製品に影響を与えない添加物を20年近く研究。一日に数キロ以上食べる餌に、小さじ4分の1ほどを加えればメタンを減らせる粉末として実用化した。
豪州やスウェーデンでは、餌に海藻をまぜてメタンを減らす研究が進む。
日本でも、2050年までに牛から出るメタンを8割減らせる餌の研究を北海道大学や国の研究機関「農研機構」が共同で進めている。北大などの研究では、カシューナッツの殻の成分を加えれば、メタンを生む菌の働きを抑えられるという。
こんな牛用のマスクや特別な餌が必要となってくるほど、温暖化が進む世界で、畜産への風当たりは強まっている。
日本の農林水産省の試算によると、世界では人口増や経済成長にともなって肉や乳製品などの需要が増加。2050年には10年比で1.8倍に膨らむ見通しだ。
家畜の増加でメタンの排出が増えるだけでなく、飼料となる穀物を育てる土地や水も逼迫(ひっぱく)すると懸念されており、環境への負荷を減らそうと畜産物を食べ控える動きも出ている。
産業分野では、2015年採択の「パリ協定」で、産業革命以降の気温上昇を1.5度に抑える目標に向けて脱炭素化が進む。一方で、畜産分野がこのまま対策を取らなければ、2050年には、許容される温室効果ガス排出量の8割を畜産分野が占めてしまう、という試算もある。
オランダの国策炭鉱会社として生まれたDSMは昨年、材料科学事業を売却し、栄養やバイオサイエンスに特化して生き残る方針に転じた。日本法人の小本勝利取締役は危機感を口にする。
「畜産が悪者になり、肉や乳製品を口にすることが悪いことのように感じてしまう風潮すら出かねない。地球が持続可能になり、動物は健康になり、おいしくて栄養がある食品をどれだけ供給できるかが問われています」