チケットは「朝鮮鉄道平壌旅行案内所」が発行したもので、「旅客列車座席案内」と書かれていた。19年3月3日、平壌午前10時25分発、中国・丹東行きの国際列車だ。過去、乗車経験のある関係者によれば、順調に行けば5時間ほどで北朝鮮側国境にある新義州駅に着く。出国手続きを経て約7時間後に丹東に到着できるという。
平壌と新義州の距離は220キロ余り。東海道線で言えば、東京駅から静岡・菊川駅くらいまでの距離だ。在来線だと思えば、特別遅いとも言えない。
ただ、北朝鮮は電力難などの事情から列車がたびたび運休・遅延する。
朝鮮新報平壌特派員を務めた週刊金曜日の文聖姫編集長は「電車はよく止まるし、遅れます。いつ、電車が駅に入ってくるのか、アナウンスも貼り紙もありませんでした」と語る。
文さんの場合、北朝鮮の案内人が鉄道局に頻繁に電話し、「今日は電車が動くのか」「何時間くらい遅れるのか」などと確認していたという。そのような手段がない人は、平壌の駅前などで乗りはぐれないように待つしかない。
私が2006年に訪朝した時、案内人に頼んで平壌駅を見学した。駅前の芝生の広場に、大勢の人が座り込んでいた。ある人はおしゃべりをし、ある人はうたた寝をしていた。みな、列車を待っている人たちのようだった。
韓国統一省が2018年、ソウルから平壌を経て中朝国境を結ぶ京義線の開城―新義州間(約400キロ)と、日本海側を走る東海線の金剛山―豆満江間(約800キロ)を調査した。トンネルや枕木などの老朽化が進み、京義線の列車の運行速度は時速20~60キロ程度。東海線も、時速30キロ前後でしか運行できない区間が大半だった。脱北者によれば、補修作業はほとんど手作業のため、工事中に列車を通せない事態が頻繁に起きる。
北朝鮮の電化率は約80%で、韓国の約30%を大きく上回る。朝鮮半島の鉄道網は日本統治時代に整備された。現在の北朝鮮側の地域で水力発電でつくった電気を南部に送っていたころの設備をそのまま流用しているため、電化区間が多く残っている。
ところが、韓国統計庁によれば、2019年の北朝鮮の総発電電力量は238億キロワット時(kWh)で、韓国の5630億kWhのわずか20分の1にも満たない。北朝鮮全体の電力需要の2割程度しか満たしていないとされる。
17年当時に取材した北朝鮮の関係筋は「平壌・新義州は国際列車なのでディーゼルを一部導入しているが、ディーゼルの運賃は通常より3倍高い。平壌から(日本海側の)元山まで3日、(東北部の)清津まで1週間、(中朝国境近くの)三池淵まで10日かかる」と語っていた。
そのディーゼル機関車の数も足りない。文さんが乗車中、駅で停車したきり、動かなくなった。案内人が様子を見に行って戻ってきた。「先頭車両(ディーゼル機関車)がどこかに行ってしまった」と教えてくれた。機関車が足りず、使い回しているのだという。案内人は「優先的に通す別の列車を先に運行させるためだ」とも話していた。
文さんは、列車が遅れる理由に「金正日の列車を先に通す」こともあると、現地の人に聞いたという。2014年、カナダ・トロントで北朝鮮の鉄道関係者だった脱北者を取材した。彼は「金日成と金正日の特別列車を扱う仕事をした」と語った。
特別列車が通る数日前になると、鉄道省から「1号行事が行われる」との通知が来た。まず清掃を行った。受け持った鉄路にはチリ一つ落ちていないよう、徹底的に清掃した。駅舎のペンキも塗り直した。
警備の安全上、鉄路は特別列車が通過する1本だけにした。他の線路が使えないように、ポイントの切り替え機をボルトで固定し、カギまで掛けた。準備が整うと、党の地方幹部がやって来て、すべて点検した。駅舎や鉄道が見える場所から、すべて近隣住民を排除した。
そして、特別列車が通過する当日は、ひたすら列車が来るのを待った。保安上、いつ来るかは教えてもらえない。実際に、特別列車が通る時感になると、国家保衛省(秘密警察)の人間が、駅員が変な行動をしないか監視していた。先導列車を含め、全く同じ編成の列車が計4本通った。どれに金日成らが乗っているかはわからなかった。列車の窓はスモークになっていて、中を見ることはできなかった。
電気や機関車の不足に、最高指導者のわがまま――。こんな状況で、北朝鮮の列車が通常運行するのは難しい。それでも、庶民はたくましい。
文聖姫さんによれば、列車が長時間停車すると、駅でも線路上でも、どこからか人が現れ、市が立った。「白いご飯にキムチやおかずが入った弁当、トウモロコシ、酒などを売っていました」。金属やプラスチックのタライに水を入れただけの商売をしている人もいた。文さんは「洗顔や、歯を磨くための水を売っていたんです」と話す。
あるとき、文さんは平壌から咸鏡南道咸興を訪れた。咸興の隣駅に到着すると、3~4歳くらいの女の子が列車の乗客に駆け寄り、「ピョンサリをちょうだい」と声をかけていた。文さんが案内人に「ピョンサリ」の意味を聞くと、「咸鏡道の方言で空き瓶のことだ」と教えてくれた。女の子は、文さんの帰途でも、同じ駅で同じように頼んでいた。文さんは「親に言われて、やっていたのでしょう」と話す。
コッチェビと呼ばれる浮浪児たちもいた。コッチェビは寝台車にむらがる。寝台車を利用するのは外国人や党・政府の幹部たち。寝台車の乗客はカネを持っていると知っているから。
案内人が追い払っても、コッチェビたちは何度でもやってきた。「最初は2人だったのに、いつのまにか5~6人に増えていたこともありました。案内人に止められたのですが、持っていたトウモロコシを袋ごとあげたこともあります」
文さんは何度も北朝鮮の列車を利用したが、利用者の大半は商売や出張といった仕事がらみの用向きに見えたという。北朝鮮では「革命史跡の踏査」などと題して集団で地方に出かける行事はあるものの、個人で旅行を楽しむ習慣はない。北朝鮮の人たちが「乗り鉄」や「食べ鉄」などを楽しむ日は、いつ来るのだろうか。