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多数のロヒンギャ難民が逃れるバングラデシュへ ビザは意外にも発行された

あのとき、現場で ロヒンギャ問題を追う
バングラデシュ南東部、コックスバザールにあるロヒンギャの難民キャンプ。「史上最速で拡大した」という国際機関関係者もいる=2018年2月、染田屋竜太撮影

前回の「国外で高まる批判と国内で強まる支援 スーチー氏のジレンマ」はこちら

「早く現場へ……」 はやる気持ち

2017年10月になっても、ミャンマーからバングラデシュに逃げるイスラム教徒ロヒンギャの難民の数は増え続けていた。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の報道担当者は記者の電話取材に、「史上最も早く拡大している難民キャンプだ」と説明した。ヤンゴン支局長として、元々ロヒンギャが住んでいたミャンマー西部ラカイン州に入ることを試みたが、ミャンマー政府は「安全を優先。許可は出せない」。ただ時間が過ぎていくだけだった。政府は、「掃討作戦は終わっている」と主張していたはずだが、一部では銃撃戦が続いているという情報もある。何度取材申請をしても、政府の回答は変わらなかった。

ミャンマー側で取材できる可能性が低いまま。それならバングラデシュ側の難民に話をききにいくしかない。10月下旬、タイ・バンコクにあるバングラデシュ大使館にビザ申請に行った。「ロヒンギャキャンプを取材したい」。窓口の女性スタッフにそう訴えると、「少々お待ち下さい」と言われ、程なくして担当者の男性が出てきた。大使館員のイズマイル氏。小柄だがひげを蓄えた一見怖そうな男性。書類を受け取ってじろりとこちらを見た。「内容を確認して、出せるようであれば連絡する」とだけ言って書類を持って奥へ行ってしまった。

早く現場に入りたい。そんな気持ちから、毎日のように電話を待った。1週間後、見慣れない番号からの着信をとると、「バングラデシュ大使館だ。明日の午後3時にこちらに来られるか」と言われた。イズマイル氏だ!「ビザは出してもらえるのか」と尋ねると、「その方向だが、大使が話しておきたいことがあると言っている」と伝えられた。

ミャンマー西部ラカイン州では、ロヒンギャ武装勢力の襲撃事件に端を発した政府の掃討作戦中に多くの村が焼かれた=2017年8月、ネイテッゾーウィン撮影

翌日、指定の時間に行くと、もう1人、白人の男性と一緒に大使館内を案内された。待っている間に男性と話すと、AP通信のバンコク駐在記者だった。「何があるんでしょうね」ときくと、「バングラデシュに都合の良い記事を書いてくれというんだろう」と苦笑しながら話した。

5分くらいして、女性のサイダ・ムナ・タスニーム駐タイバングラデシュ大使(当時)が入ってきた。ホチキス止めされたA4の資料を次々と渡し、「今、私たちの同士、ロヒンギャには酷いことが起こっています」と話始めた。資料の中身は、ロヒンギャの歴史やバングラデシュでの報道だった。

「メディアの人たちには真実を伝えてほしい。命を脅かされたロヒンギャを、私たちもなるべく助けたい」。身ぶり手ぶりを交えながら、こちらの目をじっと見て話した。

ビザはその日、発行。ただし、通常なら1カ月認められる滞在は、7日間だけ。「あまり長くいられると余計なものまで取材されるという警戒じゃないか」。一緒に大使の説明を受けたAP通信の記者はぼそっとつぶやいた。

バングラデシュ南東部、コックスバザール郊外のロヒンギャ難民キャンプの子どもたちは、記者が取材していると興味深そうに近寄ってくる=2018年5月、染田屋竜太撮影

ビザ発行の裏にあるもの

ここにはミャンマー・バングラデシュ両国の事情が絡んでいる。仏教徒が9割のミャンマーではイスラム教徒は「少数派」だ。その中でもバングラデシュとの国境付近に暮らしてきたロヒンギャは「よそ者」とみられている。一方、イスラム教徒が多数のバングラデシュでは、ロヒンギャは「同志」という声が多い。毎日のように数千~数万人がなだれ込んできた当時も、バングラデシュ政府は「受け入れる」という姿勢を示し続けた。もちろん、世界のイスラム教徒に「寛大な国」であるとアピールする意味はある。バングラデシュにとっては、こうした姿勢をジャーナリストによって世界に発信してもらうことは重要だ。ビザの素早い発行もここに関係していると思われる。

一方で、現場を取材し続けていると、難民の支援をする国際機関から、「バングラデシュ政府の協力がなければこの問題はもっと深刻化していただろう」という話を何度もきいた。コックスバザールの地元住民も含め、政治的な利害を離れ、「困っているイスラム教徒の同志に手をさしのべる」という意識は強かったと言える。

「厳戒態勢」が続くミャンマー西部ラカイン州では、銃を持った警官や兵士が並び、周囲に目を光らせていた=2017年8月、ネイテッゾーウィン撮影

キャンプ訪問に当たっては、同僚のインド・ニューデリー支局長、奈良部健記者に相談した。奈良部記者は約2か月前の2017年9月、いち早く現場入りし、国境を越えてきたロヒンギャ難民たちのリアルなルポを発信していた。奈良部記者がバングラデシュ取材で通訳などとして協力してもらっている元ジャーナリストのヌルル・フダ氏を紹介してもらい、現地の取材について話し合った。

ミャンマーと国境を接するコックスバザールで話されている言葉は、バングラデシュの首都・ダッカのベンガル語と違う。フダ氏も「方言なんていうものではなく、ベンガル語と別物。私には20%もわからない」という。ロヒンギャの難民たちもほぼ同じ言葉を話すという。そこで、コックスバザールでも通訳を雇い、難民たちの言葉をベンガル語に、それをフダ氏がさらに英語に訳してもらうことにした。

バングラデシュ訪問は11月15日からに決まった。いよいよだ。バンコクから、同僚の杉本康弘機動特派員(当時)と、バングラデシュ首都ダッカに向かい、そこから国内便でコックスバザールに飛ぶ。与えられたビザは7日分。キャンプ近くに滞在できるのは3日あまり。限られた時間にどう取材すべきか。行く前から様々な状況を考えた。

記者は日本で災害現場や事件現場の泊まりがけの取材経験はあるが、海外の場合は言語の壁だけでなく、現地の様子がまったくわからないなど不安要素が多く、事前の予定を立てにくい。世界食糧計画(WFP)や、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)のコックスバザール勤務のスタッフへの取材申し込みをしたが、受けてもらえたのは2、3件。最も関心のある難民への取材はほぼノープランのままだった。「行くからには現地でしか見られないものを発信したい」。不安の一方、見たことのない現場への意気込みはふくらんだ。

(次回に続く)