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視察に訪れた大臣を追いかけて ロヒンギャ難民キャンプ内を走り回る報道陣

あのとき、現場で ロヒンギャ問題を追う
バングラデシュ南東部コックスバザール郊外のロヒンギャ難民キャンプは、以前あった木を切ってつくったはげやまにシェルターが立ち並んでいる=染田屋竜太撮影

前回の「ロヒンギャの難民キャンプで国際機関が行った人数を正確に確認する方法」はこちら

大臣を取材するか、難民の声を聞くか……悩む現場

2017年11月の難民キャンプ取材は、偶然、河野太郎外相(当時)がこのキャンプを視察する日程と重なった。日本の大臣が来るのなら、その様子を発信するべきだ。そんな思いの一方で、7日間しかないビザの日数を考えれば、キャンプでの取材は実質4日程度。そのうちの1日を大臣同行だけにしてしまっていいのか。そんな悩みも頭に浮かんだ。杉本康弘機動特派員とは、「まさにミャンマーから逃げてきたばかりの難民に話を聴きたい」と話していた。だが、広いキャンプで情報収集から始めた中で、その機会をつかむことができないでいた。読者に現場の声を伝えなければ。そう思えば思うほど、焦りが募った。

外相取材では、警備のために記者は朝から外務省の車で移動し、取材の自由はかなり制限される。キャンプを回ることはもちろん、国境の河岸に近づくこともできない。河野氏はこの日、バングラデシュ首都ダッカでバングラデシュ外相らと会談し、そこから特別ヘリでコックスバザールに移動する。予定では11月19日午前11時半にキャンプ近くのヘリポート到着。キャンプ内を視察して、午後2時15分にはまたダッカに向けて飛び立つ予定だった。

外相訪問の取材を見送る、という選択肢もあった。しかし、ロヒンギャの問題では日本の立場も問われている。読者は、「日本政府はどういう対応をとるのか」と注目しているはずだ。キャンプで外相が漏らしたひと言がニュースになる可能性はある。そして、河野氏がキャンプで何を見て何を感じたのかを取材しなければいけないのではないか。

杉本機動特派員と相談し、二手に分かれて取材することにした。杉本機動特派員は助手のフダ氏と一緒にキャンプなどをまわり、バングラデシュに着いたばかりのロヒンギャの人たちをさがす。記者は外相に同行し、その様子を日本向けに発信することにした。

難民キャンプから車で45分くらい離れた海岸にあるヘリポートで午前10時くらいから河野氏の到着を待った。しかし、予定の午前11時半を過ぎて空を見渡してもヘリの姿は見えない。何かあったのか。外務省職員が電話などで連絡を取る。「一緒に来るはずのドイツ政府関係者が遅刻したらしい」。河野氏はキャンプ視察後、ダッカにとんぼ返りし、バングラデシュのハシナ首相との会談が控えている。「もしかしたらキャンプの視察自体がなくなるかもしれない」。外務省職員の言葉に「時間を無駄にしてしまったか」と冷や汗が出た。

ロヒンギャの子どもたちはカメラを向けると恥ずかしがったり、笑顔でポーズをとったり=染田屋竜太撮影

だが、午後0時半ごろ、「来た!」という声の方を向くと、ヘリが数機、こちらへ向かってやってくる。外務省やバングラデシュ政府の職員がしきりに腕時計と、ゆっくり下降してくるヘリを見比べている。間に合うのだろうか。

ヘリから降りてきた河野氏は出迎えた人に手を挙げて応じ、そのまま用意された車に乗り込んだ。写真を撮り終えた記者たちも急いで報道用の白いバンに乗り込む。

いつもは大型トラックや「リキシャ」でなかなか前に進まないキャンプまでの道は全面的に通行止めにされ、車列がデコボコ道を飛ばす。あっという間にクトゥパロンキャンプに入った。河野氏は国際機関で説明を受け、その後、キャンプ内を歩くという。

「車から降りて、走って下さい!」。外務省職員が大きな声で指示を出す。河野氏が歩き始めるキャンプ内の高台までは車を使えない。記者たちはノートパソコンの入ったリュックサックを背負い、肩から提げたカメラを押さえながら、キャンプ中を走る。周りでは、ロヒンギャの人たちが「何事だ?」と不思議そうな目で見つめていた。

国際機関の日本人スタッフの説明を受けながらキャンプ内を歩く、河野太郎外相(当時)=染田屋竜太撮影

大臣は支援を表明した

いつ来るかと待ち構えること数十分。河野氏は車に乗って登場した。国際移住機関(IOM)やユニセフの日本人スタッフに説明を受けながら、キャンプ内の教育施設や医療施設を見て回った。河野氏が周りをメディアに取り囲まれながら歩いていた時、突然背後で「どさっ」という音がした。何事かとみると、ある民放の男性カメラマンが大きなカメラを抱えたまま後ろに転倒。あちこちにくぼみや出っ張りがあり、キャンプ内部は歩くのにも注意が必要だ。「大丈夫?」と声をかけられ、「平気です!」と答えたそのカメラマンのプロ根性を見た気がした。

視察終了。短時間だけ河野氏がコメントするという。「妊婦の人など、非常に深刻な状況であることはわかった。国際社会が連携して支援する必要がある」。そのまま立ち去りそうな勢いだったので、「これだけ難民が生まれていることについてどう思うか」と尋ねると、「まずはミャンマー・バングラデシュ2国間で話し合い、きちんと解決してほしい」とだけ話し、そのまま車に乗り込んだ。

国際機関の日本人スタッフの説明を受けながらキャンプ内を歩く、河野太郎外相(当時)=染田屋竜太撮影

河野氏はその後、ヘリでダッカに戻り、ハシナ首相と会談。外務省によると、バングラデシュ政府がロヒンギャ難民を支援していることについて「高く評価する」と表明。日本として、食糧支援や物資運搬のために約16億5千万円を支援すると約束した。

「河野外相、ロヒンギャ難民を視察」という記事は翌20日の朝刊国際面の片隅に、小さく載った。

残念なことに、別行動していた杉本機動特派員のチームは、運転手とはぐれるなどのトラブルがあり、取材はうまくいかなかった。残された時間はほとんどない。ミャンマーから流れ着いたロヒンギャの人たちに会えるのか。夜に通訳のフダ氏らを交え、地元の飲食店でミーティングをした。そこで杉本機動特派員が言った言葉が勇気をくれた。「明日はとにかく早朝から行動しましょう。これまで、朝早くから動いてうまくいったことが何度もあります」。記者よりもずっと報道のキャリアが長い杉本機動特派員の発言に、大きくうなずく自分がいた。「暗いうちは外で活動したくない」という運転手と話し合い、夜明け直後の午前6時にホテルを出発し、ミャンマー国境に向かうことにした。

(次回に続く)