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2017年8月25日のロヒンギャ武装集団による警察襲撃と、それに端を発した政府によるロヒンギャ掃討作戦が始まってから約1カ月が過ぎた9月19日。国連総会に行かず、ミャンマーに残ることになったスーチー氏が、国連総会一般討論演説に合わせたかのように、首都ネピドーで各国の外交官に向けて演説をするという情報が入ってきた。8月25日以降、初めてスーチー氏が公の場に姿を見せる。早速ネピドーに向かうことにした。
ちょうどこのタイミングで、インドのニューデリー支局長、奈良部健記者がバングラデシュに入ることになった。カメラマンの杉本康弘機動特派員とともに、すでにロヒンギャ難民が数十万人に膨らんでいるキャンプにも入れる見込みだという。バングラデシュの現場とスーチー氏の演説を紙面にまとめようという話になった。
19日午前、ネピドーの国際会議場で数百人の前に立ったスーチー氏はじっと前を見据え、英語で話し始めた。集まった各国大使らは言葉を聞き漏らすまいと会場は静まりかえり、スーチー氏の声だけが響いた。記者も念のため、二つのICレコーダーで録音しながら、演説内容をノートに必死にペンを走らせて記録した。
「世界の注目がラカイン州に集まっていることは自覚しています」とスーチー氏。「責任ある国際社会のメンバーとして、(問題が)国際的に調査されることを恐れることはありません」
演説の中で、スーチー氏は、「多くのイスラム教徒が国境を越えてバングラデシュに逃げたということについて懸念を持っている」「なぜ(ロヒンギャの)流出が起きたのか、はっきりさせたいと思っている」と語った。さらに、国を出たロヒンギャについて、「いつでも」戻れるよう準備をするとも述べた。
これだけきくと、ロヒンギャの人たちに配慮した演説にきこえるかもしれない。だが、約30分続いた演説はその後、国際社会から厳しい批判を受けることになった。
大きな要因は、スーチー氏が、政府治安部隊の掃討作戦について、「確固たる証拠に基づいた」などとして、正当化したと受け止められたからだ。国際人権団体「アムネスティ・インターナショナル」は演説を、「ウソと被害者非難が混じり合ったもの」と切って捨てた。
また、スーチー氏が「ロヒンギャ」という言葉を使わなかったことも否定的に指摘された。ロヒンギャ自身は、「数百年前からミャンマーに住む土着民族だ」と主張するのに対し、ミャンマー国内では、ロヒンギャは「バングラデシュからの移民であり、固有の民族ではない」という認識が強い。ミャンマーの人たちは、ロヒンギャのことを「ベンガル語を話す人」という意味の「ベンガリ」と呼ぶことが多いが、ロヒンギャ側は「差別用語だ」と反発する。スーチー氏は、ロヒンギャを「イスラム教徒(Muslim)」と呼び、警察施設を襲った「アラカン・ロヒンギャ救済軍」と言った時が、たった一度「ロヒンギャ」と口にした時だった。
演説の中でスーチー氏は、「9月5日以降は掃討作戦は行われていない」と明言。だが、国境を越え、バングラデシュへ向かうロヒンギャは増え続けていただけに、疑いの目が向けられた。
演説が終わり、帰途につく大使らに感想を聞こうとしたが、「ノーコメント」ばかり。ミャンマーとの関係、スーチー氏の評価をどうするか。大使個人で判断するのは難しい。多くが眉間にしわを寄せてすぐに会場を後にしていた。
(次回に続く)