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スーチー氏が国連総会に出席しなかったのは「政権転覆」を恐れたから?

あのとき、現場で ロヒンギャ問題を追う
ヒンギャ武装組織の警察襲撃があった翌日、2017年8月26日付朝日新聞朝刊国際面。左上には、記者が現場に行っていたタイの前首相の判決の記事がある。

前回「最初に現場入りしたのは同僚のミャンマー人記者だった」はこちら

2017年9月1日の時点で、バングラデシュに逃れたロヒンギャ難民は4万人に迫った。世界のメディアは続々と状況を報じ始めている。現場はどうなっているのか。ミャンマー国内でもヤンゴンにいては、政府の発表やインターネットの情報に頼らざるを得ない。

そんな中、自分で一つの目標を立てた。

「ロヒンギャについての記事を出し続けること」

特派員として赴任する前、主に大阪で事件事故の取材を経験してきた。事件担当記者は、大きな事件や事故が起きると、毎日「続報」を書くのが「使命」とされる。殺人事件なら、現場にどんな証拠が残されていたのか、目撃証言はあったのか、凶器は、逃走経路は……?現場で情報を集め、捜査関係者に取材を重ね、毎日、特に平日は朝刊、夕刊と2本ずつ記事を出す。しかも、一つ一つ、複数の情報ソースで裏をとりながら記事にするのは本当にしんどかったことを思い出す。

ただ、その中で学んだのは、「何か書かなければ」ともがき続けることで、書かなければいけないこと、自分が書きたいことの輪郭がはっきりしてくるということだ。虐待事件の容疑者が子ども時代に複雑な家族関係を抱えていたこともあった。殺人事件の取材を通して、法律の限界で救急隊員が目の前の患者に医療行為ができないこともわかった。これらは、「何かかけるネタがないか」と必死になった結果だと思っている。

新聞の国際面には世界中のニュースが集まっている。日本との関係を考えれば米国や中国、韓国のニュースが大きく扱われるのが自然で、ロヒンギャの原稿を送っても掲載見送りのこともあった。だが、「今日は何を書こうか」と考える中、ロヒンギャの歴史を学び、ミャンマーの中でのロヒンギャの立ち位置を知り、少しずつ理解が進んでいく手応えも感じていた。

以下は当時、掲載された記事だ。見返すと、限られた情報から苦労した記憶がよみがえる。(記事はいずれも朝日新聞朝刊最終版の国際面)

8月29日 ロヒンギャ衝突、見えぬ出口 2000人超、ミャンマー脱出 死者100人以上に
8月30日 ロヒンギャ襲撃事件「国の危機に関わる」 ミャンマー軍幹部が会見
9月1日 ミャンマーのロヒンギャ2万人、無人島に孤立
9月2日 ロヒンギャら、死者400人に 3万8千人国外へ ミャンマー国軍
9月5日 ロヒンギャの処遇「恥ずべきだ」 ミャンマー政府をマララさんが批判
9月6日 焼かれたロヒンギャの村 イスラム教国でデモ
9月7日 「偽情報、テロリスト助ける」 ロヒンギャ問題、スーチー氏が主張
9月15日 スーチー氏批判、各国で 「平和賞没収」署名40万人 ロヒンギャ問題

2017年8月末から9月にかけて書いたロヒンギャ関係の記事は、「とにかく手に入る信頼できる情報を」と模索した思い出がある(いずれも朝日新聞東京本社版朝刊国際面から)

9月19日、この年の国連総会の一般討論演説が始まる。だが、9月に入ると、「アウンサンスーチー氏は出席しない」という情報が入ってきた。前年、実質的なリーダー、国家顧問として初めてニューヨークで演説したスーチー氏だが、ロヒンギャ難民問題が世界的に大きくなる中、批判を受けるのが必至だ。それで出席を取りやめたのか。

しかし、ミャンマー国内では別の見方も広がっていた。「スーチー氏が国を離れれば、国軍が実権を奪おうとするかもしれない」。軍事政権時代の2008年にできた憲法では、非常事態になれば国軍最高司令官が全権を掌握するとされている。スーチー氏不在の中、ラカイン州での混乱を「非常事態」とみなし、国軍が政権を転覆させるのではないか……。

当時、ヤンゴンで市民やジャーナリスト、有識者らにインタビューしていると、驚くほど深刻に心配している人が多かったが、現実的に政権転覆が起きる確率はかなり低いだろうと考えていた。だが、それから3年半たった2021年、「クーデター」は現実になった。「まさか」と思っていた自分の考えの甘さを痛感させられた。

(次回に続く)