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「多数の警察官が殺害されている」 ロヒンギャへの攻撃が始まった

あのとき、現場で ロヒンギャ問題を追う
バングラデシュ南東部にあるイスラム教徒ロヒンギャの難民キャンプ。何もなかった場所に瞬く間に数え切れないシェルターが建った=2018年5月

前回の記事困窮の果てに体を売る母親 ロヒンギャ難民キャンプの闇」はこちら

背筋が凍った同僚の一報

2017年8月25日――。ミャンマーの歴史で「節目」となる日になるだろう。

その日、記者は朝から、タイ・バンコクの郊外にある最高裁判所にいた。タイの元首相、インラック氏に対する裁判所の判決が言い渡される日だった。インラック氏の兄、タクシン元首相は2001年に首相に就任し、2006年のクーデターで失脚。インラック氏自身は2014年5月、憲法裁判所の判断で失職し、直後にクーデターで軍に政権を掌握された。

そのインラック氏が首相在任中、農家からの事実上の米買い上げ政策で「国の財政に巨額の損害を与えた」として職務怠慢罪に問われた裁判だった。

裁判所周辺に集まった「タクシン派」の支持者らにインタビューをしていた時、ミャンマー・ヤンゴン支局でともに働くミャンマー人の同僚ネイテッゾーウィンからメールが届いた。「ラカイン州で多くの警察施設が襲われ、警察官が多数殺害された」。背筋がぞわっとした感覚を今でも思い出す。

ロヒンギャのいるラカイン州では2016年10月、同じように警察施設が襲撃され、警官9人が死亡。これに対する政府の掃討作戦で7万人あまりがバングラデシュに逃げて難民になっていた。これをきっかけに、「民主化の星」だったミャンマーのアウンサンスーチー国家顧問は、欧米諸国から「ロヒンギャの人権をないがしろにしている」と批判を浴びていた。

その直前の1カ月くらいは、ラカイン州で不穏な事件が立て続けに起きていた。ロヒンギャが襲撃されたり、逆に仏教徒のラカイン族が襲われたり。国軍が兵士を増員して「治安を守る」と言った矢先のことだった。

「被害の状況をできるだけ詳しく教えてほしい」とネイテッに頼み、まずは目の前の裁判所取材に戻った。合間にスマホでニュースをチェックすると、ロイターやAP通信といったメディアが次々と外電を流している。殺害された警察官や兵士は10人以上らしい。一度に20カ所以上が襲われたようだ……。徐々に状況が明らかになるにつれ、「これは大きな事件になりそうだ」との予感が膨らんだ。

タイ・バンコクの最高裁判所では2017年8月25日、インラック前首相の判決を待つインラック氏の支持者らが集まった=染田屋竜太撮影

一方、最高裁判所には、いつまで待ってもインラック氏は現れない。結局、判決は延期。後から、インラック氏は判決を前に国外逃亡したことがわかった。

ラカイン州の襲撃は、どうやらロヒンギャの武装組織のようだ。ミャンマー政府は25日夕方には、「ベンガリのテロリストが治安組織を襲撃した」と発表した。ベンガリとは、ミャンマー政府によるロヒンギャの呼称。「ベンガル語を話す人」としてロヒンギャの人たちは、「蔑称だ」と反発している呼び名だ。アウンサンスーチー氏も、「テロリストによる凄惨な攻撃を強く非難する」とのコメントを出した。ツイッターでは、アラカン・ロヒンギャ救済群(Arakan Rohingya Salvation Army、ARSA)が、「ビルマ族の侵略からの防衛だ」とするツイッターを25日朝 に投稿していた。続けて、「これは、世界で最も迫害されている人々を守る正当な方策で、抑圧された人々を抑圧者から自由にするためのものだ」とする投稿をした。

国軍はすぐに「対テロリスト」の掃討作戦開始を宣言。実はこの時すでに、多くのロヒンギャがバングラデシュとの国境を目指して逃げ始めていた。だが、そこまでの情報は得られず、26日の朝刊には、「集団が襲撃、警官ら11人死亡」との原稿を出した。新聞の縦2段の記事。「大事になる可能性があるが、まだ状況をつかめていない」という記者自身の決めきらない思いが表れる大きさとなった。

結局、24の警察施設などが一斉に襲われ、兵士1人、警察官10人、武装組織のメンバー59人が死亡した(ミャンマー情報省のまとめ)。治安部隊による掃討作戦が続く中、真偽不明の情報がネット上に飛び交うようになる。

「ミャンマー政府の治安部隊が国境で、逃げるロヒンギャを銃撃している」

「国境付近に地雷を埋め、ロヒンギャを殺そうとしている」

「バングラデシュ軍が、入ってこようとするロヒンギャを攻撃している」

現場の状況がまったくわからず、なかなか続報は書けない状況だった。

(次回に続く)