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国外で高まる批判と国内で強まる支援 スーチー氏のジレンマ

あのとき、現場で ロヒンギャ問題を追う 更新日: 公開日:
ミャンマーのアウンサンスーチー国家顧問(中央)。軍事政権下で軟禁生活を強いられ、2015年の総選挙で自ら率いる国民民主連盟(NLD)が大勝した=2017年5月、ミャンマー・ネピドー、染田屋竜太撮影

前回「あの日、スーチー氏の演説に各国外交官は黙り込んだ」はこちら

「ルールに則して進める」繰り返すスーチー氏

2017年9月、世界が見守ったミャンマーのアウンサンスーチー国家顧問のミャンマー首都ネピドーでの演説は、欧米諸国などから厳しい批判を受けた。スーチー氏は、この時に語った主張を、国際批判が勢いを増したその後も続けた。

・掃討作戦は、テロ行為への対応であり、正当だ。
・バングラデシュに逃げた人々を受け入れる用意はある。
・帰国に際しては、規定の国籍認定手続きをする。

人権団体などは、軍事政権下で軟禁され、「民主化の星」ともされたスーチー氏が、国軍主導の掃討作戦を批判せず、「ロヒンギャ側」につかなかったことを厳しく指弾した。ロヒンギャは、軍政下の1982年につくられた「国籍法」で、多くが国籍を持たない状態になった。スーチー氏は、こうした法制度を変えてロヒンギャに国籍を認めるといったことは言わず、「ルールに則って進める」と言い続けている。ここには、様々な問題でぶつかるスーチー氏の「ジレンマ」もある。

軟禁されていた頃から、民主化を唱えるスーチー氏は常に、「法の支配(Rule of law)」と口にする。独裁政権が恣意的に国を動かすのではなく、法律に基づいたルールによる変革を求めた。国軍を徹底的に批判して国際世論を味方につけ、「国家顧問」という憲法にも明記されていない立場を使って国を変えることはできたかもしれない。だが、その方法は選ばなかった。

また、スーチー氏は演説などで「過去は問わない」という発言を繰り返している。長らく軟禁されたが、軍事政権の責任を追及することはしないという考えだ。2015年の総選挙の時にスーチー氏率いる国民民主連盟(NLD)が掲げた憲法改正も少数民族和平も、「国軍との対話」を通じて進めようとしている。

ミャンマーのアウンサンスーチー国家顧問。国民から絶大な支持を得ている=2017年5月、ミャンマー・ネピドー、染田屋竜太撮影

「未来志向で民主的」といえばきこえはいいが、欧米からは、「なぜ国軍に厳しい態度をとらないのか。野党時代の主張が貫徹されていない」と批判される。また、改憲も和平も停滞すると、国内からも「国軍に近寄りすぎだ」という批判が上がる。

直接のインタビューも含め、スーチー氏を取材してきた記者の感想は、「徹底した建前論」という姿勢だ。話し合いで和平を進める、過去の対立を追求しない、法に基づいて民主化を進める……。どれも美しい言葉だが、政治の場で実践するのは極めて難しい。少なくとも今のところ「成功」しているとは言いがたい。ただ、ここまでぶれずにこうした考えを推し進められる政治的リーダーが多いとは思わない。前言撤回や妥協を繰り返す政治家が多いのは誰もが知るところだ。

ロヒンギャの人たちに国籍を認めないのも、「国籍取得のルールで認められていない」から。人権侵害を指摘されても、まずは決まった手続きを優先する。実際はロヒンギャに対する差別は存在する。それについては、「ほかの民族との融和を図る」とする。時間はかかる。成功する確率が高いとも思えない。だが、スーチー氏が国を率いる以上、この「正論徹底路線」での解決をめざすしかないのではないか、と思う。

2017年5月、首都ネピドーで演説するミャンマーのアウンサンスーチー国家顧問。英語も堪能で、場合によって言葉を使い分ける=染田屋竜太撮影

国際世論と異なる国内での厚い支持

こうした路線を支えるのが国内での圧倒的な支持だ。この後押しには二つの理由がある。一つは、ミャンマーが仏教徒が9割という国で、多くの人がロヒンギャに対して良い印象を持っていないこと。記者が取材したミャンマー人にも、非常に穏やかで、他人の批判をほとんどしなくても、ロヒンギャの話題になると眉をひそめる人がいた。「ロヒンギャはバングラデシュからの移民なのに昔からいたように偽って権利を求めている」というのはミャンマーの人たちの中では定説だ。

さらに、スーチー氏の人気だ。軍事政権下で長年軟禁状態に置かれた。夫のマイケル・アリス氏が亡くなったときも、「ミャンマーを出国したら戻れなくなる」として、とどまった。そんなスーチー氏率いる国民民主連盟(NLD)は、2015年の総選挙で大勝し、ついに政権を奪取した。民主化のために体をなげうって闘ったスーチー氏への、国民の支持は想像以上に厚い。

アウンサンスーチー氏の2017年9月19日の演説後、フェイスブックで広まったバナー。「私たちはあなたとともにあります」というメッセージを多くの人が自らのプロフィール写真などに載せた。

ロヒンギャ問題で国際的な批判が高まると、それに呼応するように、「スーチー氏を支えよう」というミャンマー国内の声も強まった。ロヒンギャの問題を語るとき、国際世論とミャンマー国内世論はまったく異なる。取材すればするほど、それを感じるようになった。

スーチー氏は演説で、「責任ある国際社会のメンバーとして、(問題が)国際的に調査されることを恐れることはありません」と述べた。これがどのような意味を持つのか、演説だけでは真意をはかりかねた。2017年初め、国連人権理事会は、前年10月にロヒンギャ武装勢力への掃討作戦中に多くのロヒンギャが難民になった問題について調べる調査団のミャンマーへの派遣を決めていた。しかし、ミャンマーはこれを拒否。ミャンマー外務省関係者によると、スーチー氏は調査団にビザを出さないよう自ら指示したという。

ミャンマー西部ラカイン州には、政府の掃討作戦後、全てが焼けてしまった村がいくつもあった=2017年8月、ネイテッゾーウィン撮影

調査を恐れない、というのは、この調査団を受け入れることなのか。はっきりさせることができず、21日、改めてミャンマー国家顧問省に取材した。すると省の報道官は、「(スーチー氏は)国連の調査団を受け入れるとは言っていない。(受け入れは)現地の平和と安定に逆効果だ」と答えた。では何を「恐れることはない」としたのか。これに対して報道官は、「言葉の通りだ。ミャンマーは何かを隠すことはないということだ」と説明した。もどかしさが残ったが、それ以上は何を聞いても、「(スーチー氏の)言葉以上のものはない」との答えが続いた。

演説の後も、欧米を中心としたスーチー氏への批判はやまず、9月27日には、カナダ下院議会が2007年にスーチー氏におくった「名誉市民」を剝奪することを全会一致で決めた。1991年に受けたノーベル平和賞まで、「取り上げろ」という声が上がり、ノーベル賞選考委員会が「剝奪することはない」と説明する事態になっていた。

記事を出し続けていたが、「難民キャンプに行ってみたい」という気持ちが募っていた。難民の数は毎日のように増えていた。

(次回に続く)