ハノイから日本に帰国して、早いものでまもなく1年。コロナに世界が悩まされた年が終わり、自由に国内外を取材できたあの特派員時代は奇跡みたいな時間だったなあ……とつくづく感じる。大好きなベトナムが懐かしく、ベトナムの人を見かけると声をかけたくなる病は収まらない我が一家。ある定食屋さんでごはんを食べたおとっつあんが、「店主はベトナムの人なんだね」と言うのを聞いて、いそいそと会いに行ったのは昨年10月のことだった。
「千駄木どうかん山通り さくら食堂」は、JR西日暮里駅から徒歩7分ほどの、道路沿いにある小さな食堂だ。お店の入り口には「さくっ!プリッ!あじフライ」とのぼりが上がる。ドアを開けて入ると、「いらっしゃいませ!」と元気な声が響いた。自慢は生パン粉にこだわったミックスフライ定食(1080円)。ほかにもチキンカツ定食、赤魚の煮付け定食、刺し身定食など、おいしそうなメニューが壁にずらりと並んでいる。オムライスやポテトサラダ、サバの塩焼きなど単品もある。お昼どきとあって、次々とお客さんが入ってきた。男女のカップル、女性の2人組、一人でふらりと入ってくる高齢男性や若者も。どんな人も気軽に食事ができる、これぞ定食屋、という雰囲気だ。
それにしても、ベトナム風の布製の赤いランタンでも下がっているのかなと想像していたけれど、メニューにもインテリアにも、一切ベトナムを感じさせるものがない。本当にベトナムの人がやっているの?そう思いながら席に通され、メニューの背表紙に目をやると、店主の自己紹介が丁寧な日本語で書かれていた。
「さくら食堂へようこそお越しくださいました。店主のズンと申します。ベトナムから2010年、18歳の時に初めて日本に来ました。佐賀県鳥栖市の日本語学校で学ぶためです……日本には多くの飲食店があるけれども、ご飯をしっかり食べられる店がもっとあれば良いと思うようになり、自分でお店を出すことにしました」
店主のグエン・バン・ズンさん(29)は、妻のファン・ティ・ミン・トゥーさん(27)と長女、生まれたばかりの次女の家族4人で都内に暮らす。ハノイで日本語を半年学んだ後、鳥栖の語学学校でも2年間学んで上京、上野にある4年制大学の工学部で情報工学を学んだ。「もともとは日本で勉強して、ベトナムで楽天とかアマゾンみたいなビジネスがしたいと思っていたんです。日本の電子技術や製品は有名で、技術というイメージがあったから」。それがいま人気の定食屋の主人になっている、なんでまた?
ズンさんはベトナム北部、ハノイ近郊のハイズオン省の出身だ。実家は米農家。そもそも日本に来るきっかけは父親の一言だったという。「まだ若いから、経験のためにもどこかで勉強したいと思っていました。オーストラリアやニュージーランドも最初考えたんですが、お父さんが知り合いに話を聞いて、日本がいいと教えてくれたんです」
外国の人が日本に来る理由は「貧しいため」だと考えられがちだが、人によって様々だ。少なくともズンさんの実家には、一人息子を日本へ送り込み、初年度の学費を払うだけの余裕があった。日本語学校に入ったのは今から11年前。当時、学校にはベトナム人は3人しかおらず、「ほとんどが中国と韓国から来た人でした」。朝8時半から学校で勉強した後、深夜帯に1日4時間弁当工場で働き月給10万~12万円を稼いだ。貯金しながら、年65万円の学費を分割で支払ったという。上京して大学に進学するためのお金も貯金でまかなった。11年には東北で東日本大震災があり、鳥栖で被災者のための募金活動をしたこともあった。
定食屋になる、という運命の歯車ががちゃりと回ったのは、2012年8月のこと。進学し、「おばあちゃんの原宿」として知られる巣鴨の商店街を散歩していた時、ズンさんはある食堂の前で立ち止まった。「東京にはラーメン屋や居酒屋はいっぱいあるけど、食堂に入ったのは初めてだった」。何を食べたのかは忘れた。でも、「味はおいしいし、ちゃんとご飯を食べられる。何より市場で仕入れている食材が新鮮なのがわかりました」とズンさんは言う。バイト募集の貼り紙を見て、すぐ応募した。皿洗いから始め、魚の仕込み、フライ、炒め物と少しずつ教え込まれた。「一番難しいのは野菜などの煮物ですね」。7年間ここで修行した。
ベトナムは、鶏肉や牛肉のフォーや、甘酸っぱいつけ麺のブンチャー、魚のうまみたっぷりのバインダーカーなど、幅広い種類の麺料理や、揚げ物、鍋料理などが気軽に食べられる美食の国だ。いったい日本の食堂の何に感動したのかと尋ねると、ズンさんは即座に「魚です」と答えた。話を聞いたのは秋。「日本は季節ごとに脂ののった旬の魚がある。いまはサンマ、銀ダラ、もうすぐブリ。8月だったら子持ちカレイ……。私は刺し身、焼き魚が大好きです」。それに、と加えた。「ベトナムは単品料理が多い。日本の食堂ではちゃんとご飯を食べ、おみそ汁、おかずを食べられる」。つまりバランス良く、食事をおなかいっぱい楽しめるというわけだ。
修業先を辞め、「千駄木さくら食堂」を開いたのは20年1月25日。郷里の父や友人が出資して支援してくれた。起業にあたっては、ズンさんがマスターと呼んで慕う日本人男性(57)が、食材業者に声をかけて気遣ってくれた。お客さんがちょっと入りにくくなるので、ベトナムの雑貨などをあまり置かない方がいいという助言も聞いて、この店ではエスニックな雰囲気はなくすことにした。
コロナの影響がいつ終わるのか、なかなか予測しにくい中だが、「コロナだからこそチャンスです」と言い、年内にももう1店出したいとのこと。ふと、ベトナムの知人の顔が目に浮かぶ。みかんがたくさん手に入ったら、腐らせることなくすぐ周囲に売りさばいていたなあ。「ビジネスチャンス」を見逃さないベトナムの人らしいと感心した。
今後2、3年のスパンでのズンさんの夢は、ベトナムにも「さくら食堂」を展開することだ。「ベトナムの人の給料が上がれば外食を楽しむ人もさらに増える。ちゃんとご飯を食べられる日本式の食堂は珍しいし、ベトナムで暮らす日本人にも喜んでもらえると思う」。
さくら食堂で食事をしていた3人組の男性に話を聞いた。近くの現場で工事をしているといい、「今日はコンビニ飯じゃない温かいものが食べたいと思って」と、2人はロースショウガ焼き定食をほおばっていた。別の男性は、「ここに来るのは2回目。最初に来たとき、みそ汁がおいしいなと思ってまた来た」と、ズンさんのみそ汁の味をほめた。シェフはベトナムの人なんですよと言うと、「うん、わかってたよ」と言い、「今はラーメン屋とかが多い。昔は定食屋ばかりだったけど、家庭的な味のものを出すところが少なくなったよね」。別のカップルは、カツカレーを注文して仲良く食べていた。「近所の食堂がちょうどなくなってしまって困っていた。このお店ができてほっとした」と笑顔を見せた。
さくら食堂は年中無休だ。ズンさんは「働き過ぎるのには慣れた」と言い、「道を極めればお金がきます」。慣用句めいた言葉で自らの生き方を示すのも、ベトナムの人らしい!中国の影響なのか、こんなセリフをよく耳にしていたことを思い出した。
日本人にとっては家で作れる「普通の食事」を食べる場所、それが食堂かもしれない。町から姿を消し始めて気づいた、食堂の豊かさと温かさを、ベトナムからきた青年が守り、広げようとしている。