日曜日の午後2時すぎ、ランチタイムが終わって閑散とするシンガポール西部の屋台街に、まだ20人ほどの行列が並ぶ店があった。日本人の栗原直次・みどりさん夫妻が切り盛りする地元の麺料理の屋台、「栗原ミーポック」だ。舌の肥えた人が多く、飲食店の流行りすたりが激しいといわれるシンガポールで、5年近くにわたって行列の途切れない人気が続いている。
ミーポックはきしめんが縮れたような太麺に、ほんのりお酢をきかせたタレを絡めてたべる郷土料理。朝ご飯に食べる人もいれば、昼食や夜食、おやつに食べる人もいる。チキンライスと並びシンガポールの誇るソウルフードだ。中国由来だが、シンガポールでは1950年代に元祖「アラムミーポック」が開店し、同店からのれん分けをした名店が次々と生まれ、独自のローカルフードとして発展した。アラムミーポック系の店舗はすべて秘伝のレシピを使っており、栗原ミーポックもそのレシピを使うことが許されている店の一つだ。
直次さん(50)はもうもうと蒸気の立ちこめる12平米ほどの屋台の厨房で首にタオルをまき、行列から凝視されながら全身汗だくで止まることなく麺を作り続ける。麺をゆで、湯切りをし、具を並べる。1食作るのに3分ほど。「土日は行列が途切れないので本当にきつい。終わった後は放心してしまいます」。月に2、3回は行列に並ぶというアーウィン・リーさん(33)はこの日、約30分待ってやっとミーポックのお椀を手にした。「麺の硬さが絶妙にコントロールされていて素晴らしい。完璧にシンガポールの味で日本人が作っていると最初に知ったときはショックを受けたよ」
エリート会社員がシンガポールでミーポック屋を始めるまで
群馬県出身の直次さんはもともと同県の三洋電機で経理を担当し、3年の予定でシンガポールに駐在していた。「英語の勉強は大嫌い」で赴任するまでは海外で暮らすことなど考えたこともなかったが、2005年に帰国が決まると、会社を辞めてシンガポールでの暮らしを続けることを決めた。「英語が話せると世界中で働くことができる」と感じるようになり、地元の中学校に入学したばかりだった息子にシンガポールで英語の教育を続けてほしいと思ったからだ。
ちょうど少年野球で一緒にコーチをしていた仲間から「自分の会社に来ないか」と誘ってもらっていた。現地で化学製品を売る日系企業で、同水準の給与を保証するという条件で転職を決めた。慰留のためにシンガポールを訪れた三洋電機の部長からは「何考えてるんだ!」と叱責されたが、「自分の人生ですから、という気持ちでしたね」。
もともと直次さんは群馬県の三洋電機にいた時から脱サラを目指し、仕事帰りや休日にラーメン屋で修行していた。職場結婚だった妻のみどりさん(47)も小さい時の夢は「ラーメン屋」。働くことに制約のある「駐在員妻」の立場を息苦しく感じていた。
永住権を取得して、自由に働くことのできるようになったみどりさんは、シンガポールの日本人向けの情報サイトに、「催事場などで飲食店を出す方法を知っている人を紹介してほしい」と投稿。日本人のサラリーマンで同じように脱サラを考えていた男性がこれを見て、「日本の定食屋を一緒にやらないか」と声をかけてきてくれた。ちょうど子供も成長して手がかからなくなっていた。「年齢的には最後のチャンスかもしれない」。2人で相談して直次さんも会社を辞め、2011年、シンガポール西部の団地の一角で屋台の定食屋を始めることにした。
その定食屋の隣で店を構えていたのが、元祖「アラムミーポック」の直系の「アホーミーポック」を運営していたエリック・チアさんだった。エリックさんと直次さんは同い年。日本に興味のあったエリックさんに直次さんがラーメンを作ってあげたり、エリックさんからミーポックをお返しにもらったりしているうちに親しくなった。
栗原さん夫妻は開店まもなく、店の近くにあった日本人中学校に給食を提供する契約を結んだ。この契約によって経営は安定したものの、屋台で提供するには日本食の値段は高い。売れ行きは好調とは言えず、客が途絶えがちだった栗原さんの店の横で、エリックさんのミーポック屋さんはいつでも4、5人が並んでいた。「いいなあと思って見ていました」(直次さん)。
ミーポック屋を自分たちもできたら―。いつしか直次さんとみどりさんはそう思うようになった。ある日、思い切って直次さんがエリックさんに「作り方、教えてくれない?」と声をかけると、エリックさんは「いいよ」。あっけないほど簡単に認めてくれた。当時はわからなかったが、代々伝わる秘伝のレシピを伝えるというのは実は相当の覚悟がいることだった。
なぜ秘伝のレシピをあっさり教えてくれたのか理由をはっきり聞いたことはない。だが、少人数で経営する屋台は、営業時間を早く切り上げたり、店主の事情で臨時休業をしたりすることも多い中、栗原さんの店は律義に営業時間には開店し、不定期に休むことはなかった。「エリックからは『疲れたら休めばいいのに』と言われていたけど、きまじめにやっていたのを隣で見ていて信用してもらえたのかなと思いますね」
それから、修行の日々が始まった。