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世界ブランドまであと少し 知られざるコーヒー大国ベトナムで描く夢 

アジアで働く
ベトナムで少数民族の仲間と一緒にコーヒーを生産する 山岡清威さん

琥珀色のコーヒーをひとくち飲むと、果物の味がした。バナナを思わせる甘さとかんきつ類のような酸味が、調和しながら口の中に広がる。後味が、香ばしさや甘みの中でそっと消えていった。

目の前でコーヒーを入れてくれた山岡清威さん(40)に驚きと感動を伝えたくなった。

ベトナム中部にある高原の町ダラット近郊のランビアン山。山岡さんは今、ベトナムの少数民族クホー族と一緒にコーヒー豆の生産に取り組んでいる。

目指すのは、大量生産の豆ではなく、コーヒーを飲む人に生産者の顔や物語を届けられる特別な豆。ここ数年、世界では「シングルオリジン」と呼ばれる、単一の銘柄の豆で入れるコーヒーが注目されている。ワインのように、農園や生産者が一つのブランドとして消費者に選ばれるような高品質の豆をつくる取り組みだ。山岡さんは「ランビアン山の豆を世界ブランドにしたい」と話す。

豆の収穫を終えたコーヒー農園に集まる山岡清威さん(右端)やパットさん(中央)の家族。北海道出身の菊池駿さん(左端)も寝食を共にしながら働いている

10代半ばでベトナム戦争をテーマにした映画を見て、ベトナムに関心を抱いた。インターネットが普及していない時代。ベトナム戦争の報道写真で知られる石川文洋さんの作品などに本で触れた。戦火を交えた両国のどちらに視点を置くかで、戦争をめぐる歴史が違って見える。ベトナムのことをもっと調べたいと考えるようになり、普通の人たちの暮らしや文化にも魅了された。

憧れの地に初めてやって来たのは2009年。南部の最大都市ホーチミンに着いて、伝統衣装のアオザイを着た女性が自転車に乗っている姿を目にしたとき、「やっとここまで来られた」と泣いた。ただ、まだ観光客の一人でしかなかった。

当時は東京都内でコーヒーの専門店を経営していた。母と暮らしていた岩手県で中学を卒業後に自動車整備士として働いていたが、「新しい世界を見たい」と21歳で上京。たまたま入った都内の有名店で飲んだ一杯のフルーティーな味に驚いて、コーヒーの世界に飛び込んだ。専門店でのアルバイトから始め、06年に自分の店を開業。ベトナムに旅行できたのは、独立から3年後だった。

一度来たことで、ベトナム熱は収まるどころか高まった。12~13年には店を人に任せて、1年かけてベトナム全土をバイクで縦断した。憧れだったベトナムのことをとにかくもっと知りたい。その一心だった。

ビニールハウスの中で作業するクホー族のパットさん

16年、ベトナム人のパートナーを得て、ホーチミンにカフェだけでなく焙煎した豆も販売する店を開業した。名前は東京と同じ「バブロス・コーヒー・ロースター」。50万円の資金で仲間と店の内装を手がけ、少しずつ道具を買い足していった。ベトナムを訪れるようになったころは写真家になってその姿を伝えたいと思っていたが、自分の得意なコーヒーの方が、現地の暮らしぶりを伝えることができる。そう思うようになり、移住してコーヒーを仕事にする決心がついた。

ベトナムは知られざるコーヒー大国だ。国際コーヒー機関の推計によると、昨年の生産量は174万トンで、ブラジルに次いで世界2位。輸出でも同じ地位を占めている。

しかし、生産されている豆の大半はアラビカ種に比べて価格の安いロブスタ種で、生豆のまま輸出されてブレンドに使われるか、インスタントコーヒーの原材料になっているとされ、ブランドとして消費者の目に触れることは少ない。

山岡さんも当初は店で、海外産の豆を中心に扱っていた。しかし、コーヒー豆の産地として知られるダラット周辺の農園を訪ね回るうちに危機感を抱くようになった。

コーヒー豆は焙煎などの加工をすれば販売価格が何倍にも上がるが、生豆のままでは安い。ベトナムの農家の多くは加工の技術や知識がなく収穫した果実のままや生豆を売っているだけで、十分な収入を得られていない実情がある。工業団地や観光開発のために土地の価格が高騰したことで、栽培をやめて農園を売却する人たちも出始めていた。

「店でおいしいコーヒーを提供しているだけではダメだ」。そう思って、生産にも携わる方法がないか考え始めた。

コーヒー豆は慎重に様子を確かめながら焙煎機にかけられる

サンプルでもらった豆がおいしくて、その生産者を訪ねていったら、ランビアン山でアラビカ種を栽培するパットさん(40)と出会った。3年前のことだ。継続的に豆を買うようになり、ホーチミンからダラットに何度も訪ねていくうちに信頼しあえる関係ができた。買い取りで値切ろうとせず、フェアな取引を続けた結果だった。

自分を信頼してくれるベトナム人生産者のありがたさは、新型コロナウイルスの感染が拡大した昨年、あらためて実感した。ベトナム国内の空港など店以外で決まっていたコーヒー豆の販売計画がコロナ禍でほとんど中止になって資金が尽きたとき、パットさんを始めとする仕入れ先のベトナム人農家が支払いを待ってくれた。

欧米や日本では、「サードウェーブ(第3の波)」と呼ばれるコーヒーブームが続いている。豆の選び方から入れ方までこだわるスペシャルティーコーヒーのことで、小さな農園でも高品質の豆を作れば世界中から高値で買い手が付く時代が来ている。

山岡さんは昨年、パットさんの豆を約1トン購入し、同じランビアン山の別の農園から仕入れた分と合わせて計6トンの豆をオーストラリアに輸出した。今まではホーチミンから夜行バスで週3回通っていたが、今年からは拠点を移して、ランビアンのふもとにあるパットさんの家の敷地に住む。同じ敷地に焙煎機など加工に必要な設備もそろえ、本格的にシングルオリジンのコーヒー豆作りに取りかかる。「ベトナムのコーヒー豆は今まで質よりも量を重視していたが、ここから味でその名を知られるまでにそんなに時間はかからない」

収穫してからビニールハウスの中で乾燥させているコーヒーの実

2月上旬、ランビアン山の頂上付近にある農園を案内してもらった。コーヒーチェリーと呼ばれる果実の収穫はすでに終わり、乾燥や発酵のための作業が佳境を迎えていた。

ビニールハウスでは、異なる方法で加工させている豆が棚ごとに分けられている。山岡さんとパットさんは豆の見た目や水分の含有量から発酵の進み具合を確かめ、意見を交わしていた。

パットさんは照れくさそうに山岡さんへの信頼を口にする。「楽しい仕事仲間で大切なパートナーだ」。一緒に農園で働いている親類のカロンさん(34)も「意見交換できるようになって豆の品質が良くなった。山岡さんは私たちの家族だ」と話す。

今年の前半には日本への輸出も計画している。山岡さんは言う。「たとえ世界は変えられなくても、自分のまわりの小さな世界を少しでも良くしたい。そのためにクホー族の人たちと一緒にコーヒーで成功したい」