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コーヒー農園、私の理想郷@グジ(エチオピア)

私の海外サバイバル
グジにあるコーヒー農園、浅野さん提供

私のON

エチオピアのグジという地域にある、コーヒー農園で働いています。METAD(メタッド農業開発)というエチオピアの会社の農園です。会社の日本代理人という肩書をもらった今も、10月から4月のシーズン中は、農園のある山の長屋に寝泊まりして、ほぼ休みなく働いて過ごしています。

山では農園にあるカフェテリアのマネージャーです。農園には世界中のバイヤーが集まりますが、その方たちを食事でもてなす他、私のボスであるCEO(最高経営責任者)もシーズン中はほとんど山にいるので、毎日3度の食事を提供します。農園の仕事も、もちろんやります。間伐など山の世話、日本で言う「里山づくり」から、収穫、選別、加工作業……。やらないといけないことは、たくさんあります。

シーズンが終わると、首都のアディスアベバで日本向けの製品開発などの仕事をしています。今年は約半年、日本に滞在し、自家焙煎(ばいせん)をしている全国のカフェをまわって、販売ネットワークを作りました。みんな品質の高さに、びっくりしていましたよ。

グジにあるコーヒー農園、浅野さん提供

私は高校を卒業した後、30歳手前までコックとして働きながら、バックパッカーで旅をしていました。父親が亡くなったのを機に、母親と飲食店でもやろうかという話をしていたのですが、2人ともお金の勘定ができないので、勉強のつもりでコーヒー店チェーンを運営する会社に就職しました。新規開店チームとして、北海道から九州まで渡り歩き、100店ほどの開店に携わりました。

その後、39歳で退職して、大阪市内のオフィス街に自分のカフェ「アサノコーヒー」を構えました。何とか食べては行けていましたが、2014年のはじめ、健康診断で大きな病気が見つかりました。その時期、身近な人を失ったことも重なり、精神的に参り、自暴自棄にもなりました。

「おいしいコーヒーの真実」というドキュメンタリー映画があります。エチオピアのコーヒー農園で働く人たちの貧困について教えてくれました。私は日本の市場のことを知っているので、その知識を生かせば、より適正な価格でコーヒー豆を売れると思いました。どうせ先が短いなら、これまで好きなことをやってきたので、最期はコーヒーを作っている人たちの役に立とうと思ったのです。

METADは新しい会社ですが、いま私のボスとなった最高経営責任者(CEO)は、国の主力産業であるコーヒーの質を良くして価格を上げ、地域社会に貢献しようという高い企業理念を持っている人物です。従業員にも他社より多く賃金を払っています。

グジにあるコーヒー農園=浅野さん提供

「アサノ・コーヒー」は畳んで、2015年のおわり、このコーヒー農園を訪れました。従業員の仕事のやり方を見ていると、すぐ固まっておしゃべりをして、効率が悪い。思わず彼らの間に割り込んで、身ぶり手ぶりで手を動かせながら、一緒になって働きました。そういうコミュニケーションは得意でして、従業員も笑って受け入れてくれました。それを見ていたボスに気に入ってもらえて、翌日からここで働くようになりました。

言葉はできませんでした。日本から中学3年間分の英語の教科書を持って行き、毎日、音読しました。うまく英語が通じなくても、ボスは「私たちも日本語ができないから、謝るな」と言ってくれます。日常会話は何とかなるようになり、あとは仕事に必要な専門用語などを勉強しています。

心から尊敬できる経営者に出会い、人々に必要とされ、これまでの人生で、ようやく自分の居場所を見つけたと感じています。食べ物や暮らし方が良いのか、体も健康になりました。これまでの経歴はいま、すべて生かされています。ここに来るために、いままでの人生があったのだと思えてなりません。一生、ここで暮らしたいと思っています。ここが私にとっての「イーハトーヴ」(理想郷)なのです。

私のOFF

アディスアベバの街

オフシーズンを過ごすアディスアベバには、スーパー銭湯のような温泉施設があって、個室の風呂を貸し切りで使えるのです。風呂上がりは隣のビアガーデンへ。暇があれば、路上でギターを弾いたり、屋台の食べ歩きをしたり、なるべく地元の人とコミュニケーションを取るようにしています。中国人は比較的多いので、以前は「チャイナ」と言われてたけど、最近は「ジャパニ」と言われるようになりました。(構成・浅倉拓也)

Fumiaki Asano

浅野文章

あさの・ふみあき/1967年、大阪府堺市生まれ。2015年からエチオピアMETAD社でコーヒー栽培や販売に携わる。