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「アリの目線で働いてこそ分かること」 メロンを通して実感する成長

アジアで働く 更新日: 公開日:
農場のハウスで実ったメロンを手にする津矢田尚明さん=いずれも2020年6月11日、ベトナム・ダラット、宋光祐撮影

海外で働くことに興味はあるけれど、言葉や環境、治安など、ハードルがいっぱいありそう。どうやって乗り越えたらいい? 海外で働く醍醐味は? 展望は? アジア各国の現場で活躍する先人たちに、そのリアルを教えてもらおう。

ひもにつるされたまん丸なメロンを持ち上げると、手のひらにずっしりとした重みが伝わってきた。「メロンはとても繊細で奥が深い果物。一日でも寒さにあたるともうダメになる」。心地よい温度に管理されたビニルハウスの中で実ったメロンを眺めて驚いている私に、津矢田尚明さん(43)が教えてくれた。津矢田さんはベトナム中部にある高原の町ダラットで201210月からメロンの栽培と販売をビジネスとして育ててきた。148月には「アグリテックジャパン」を設立。会社として本格的に活動を始めた。

「もともとはメロンどころか農業にも携わったことがなかった」。ダラットに来るまでは、アグリテックジャパンの親会社にあたる専門商社「インターテック」で中古の印刷機械の海外営業をしていた。インドの担当として約5年にわたって日本と行き来を繰り返していた時、社長を務める父親から突然の指示が下された。「ベトナムでメロンをつくって来い」

実がなる前に咲くメロンの花

世界的なIT化の浸透で印刷機械の需要が減っていくなか、農業を新規事業として育てることが社長の狙いだった。「食べものを作る一次産業は昔からあるのだからきっと誰でもできる」。社長からはそう言われたものの、ほとんど思い付きに近いアイデアだった。作物がメロンに決まったのも具体的な採算などを見込んだ結果ではなく、社長が以前から興味を持っていたからだった。今はアグリテックジャパンで副社長として営業を担うチャン・ティ・バン・アインさん(38)が親会社でベトナム向けに印刷機械の営業を担当していた時、日本への輸入商品を探すために、花の産地として有名なダラットを訪ねていたことがきっかけで、メロン作りに挑戦する場所も決まった。

ダラットは赤道の近くに位置しながら、標高1000メートルを超える高地にあるため、「花が年に4回咲く」と言われる。一年中春のような気候で世界でも有数の農業に適した土地だ。ベトナムでは野菜や牛乳、コーヒーの産地ブランドとしても知られている。一方、ベトナムでは栽培に一定の寒さが必要な果物があまり食べられることがないため、今でもダラットでは果物の栽培はあまり広がっていないという。

メロン農家で働いたことのある知人と一緒に1212月からテスト栽培を始めた。日本から輸入した種を植えてみたものの、うまく育たない。肥料を与えているのに茎はひょろひょろで、小さい果実しか実らなかった。日本の種子を使っても土壌の成分が違うため、ただ植えただけでは同じ品質のメロンが育たない。メロン作りの専門家もいない。考えてみれば当たり前のことかもしれないが、津矢田さんは「何がダメなのかすら分からないところからのスタートだった」と振り返る。周囲にも頼れるようなメロン農家はなく、結局、半年にわたって試行錯誤を続けたが何も成果が得られなかった。

小さい鉢の中で苗がある程度の大きさに育つとハウス内に植え替える

ふさがっていた道が開けたのは、日本のある農家から助けを得られた時だった。その農家には事業を始める前にも一度、メロンの栽培方法を教えて欲しいと頼んだが、「素人にできるはずがない」と断られた。その後、ダラットでメロン栽培を始めたことも伝えていなかった。他に頼れる伝手はなく、すでにメロンを作り始めたものの、うまくいかず助けてほしいともう一度頼んだところ、「放っておけない」という理由で栽培のための助言をもらえることになった。何か困ったことがあればすぐに様子を日本に伝えて、メロンの状態や必要な対応策についてアドバイスを受けた。

それでも最初の頃はビニルハウス内の施設の修理に手を取られて、メロンの栽培に注意を割けないことも多かった。約11ヘクタールある今の農園を手に入れて、本格的な栽培を始めるまでには3年かかった。日本産のアールスメロンと呼ばれる品種の種を輸入し、一つの株に通常は56個できる実から最も状態の良い一つだけを残して、他はすべて間引いている。収穫量は普通の栽培方法に比べて少なくなるが、糖度が高くて果肉の柔らかいメロンができるという。

一株に5、6個できる実から最も状態の良い一つだけを残して間引くことで高品質のメロンを収穫する

しかし、事業を立ち上げた当初、ベトナムではメロンを食べる習慣がなかった。ベトナム語でメロンを意味する「ズア・ルオイ」という言葉はあるが、「ウリ」と「網」をつなげただけの呼び方で、実際にはウリしか知らない人がほとんどだという。一般の消費者だけでなく、小売店の仕入れ担当者もメロンを知らない。そのため、津矢田さんやアインさんはスーパーなどに初めて営業に行く時には、店の人たちに必ず試食してもらう。しかも、値段は1キログラム1400円で高級品のため、試食しておいしさを分かってもらうまでは担当者に値段を伝えないのだという。

「メロンの売れ方からは今の経済が見える」。津矢田さんはそう話す。事業を立ち上げた時点では、価格を考えるとベトナム国内で売れるとは思っておらず、香港やシンガポールへの輸出を中心に想定していた。しかし、年間8万個の生産のうち、今の販売はベトナム国内が7割を占めている。「売り場の試食販売で一口食べた人が即決して買ってくれる。成長するベトナムの勢いを感じる」。南部ホーチミンでは自分たちで食べるために買う人が多いが、首都ハノイでは贈答用によく売れるという。

ダラットの町の変化も日々実感している。住み始めた時は少なかった旅行者を今では年中見かけるようになった。「来るのが5年早ければしんどかった。時代が良かったのかもしれない」とも話す。スーパーの売り場には今、いろいろな生産者がつくったメロンが並ぶようになった。人気の果物として定着しつつある。ここ数年で利益が出るようにもなり、従業員は約30人に増えた。

津矢田尚明さんと営業を担当する副社長のチャン・ティ・バン・アインさん

インドで印刷機の営業をしていた頃、過酷な環境の異国で地べたをはってビジネスをしているつもりだった。シャワーを浴びて口に水が入っただけでお腹を壊すようなホテルに泊まったこともある。

しかし、ベトナムに来て、「まだまだ高度が高かった」と思ったという。振り返ってみると、インドでの移動は車で、企業の裕福な人たちがビジネスの相手だった。インドでのやり方はベトナムでは通用しなかった。農業で分からないことがあれば、日本語を話せるベトナム人のスタッフを後部座席に乗せてバイクを走らせ、農作業をしているベトナム人を見つけては、長靴をはいて自分の足で畑に入っていった。公道から今の農場に続く砂利道は自分たちでつくった。スマートフォンが普及した今でも、インターネットの検索には出て来ない情報がベトナムにはたくさんあると感じている。「自分の足で地面に立って、アリの目線で見ないと分からないことがいっぱいある」

農園のための土地探しや困ったときに力を貸してくれる人、メロン栽培に使う道具や設備。この7年、バイクと足で町をくまなく歩き、必死で探し回った。「だからダラットの道は本当に全部知っています」。新しいことをやるのが好きな性格だという。この先、別の事業を始めることになれば、また別の国に行くかもしれない。ただし、日本に帰るつもりはない。ベトナムにも骨を埋める覚悟でやって来た。「期限を決めてゴールが見えた状態では誰も助けてくれない。仕事をそこそこで終わらせたくない」