1. HOME
  2. 特集
  3. 世界とつながり活路さぐる 復興を生きる
  4. ただの労働力じゃない、外国人と農業を学ぶ場に 熊本が目指す「世界とつながる農業」

ただの労働力じゃない、外国人と農業を学ぶ場に 熊本が目指す「世界とつながる農業」

World Now 更新日: 公開日:
「木之内農園」のいちごを育てるビニールハウスで働くインドネシアの大学生=熊本県阿蘇市

朝日新聞GLOBE8月号、世界とつながり歩む被災地をルポします 2011年の東日本大震災以降、GLOBEは被災地の復興や防災にかかわる特集を定期的に取り上げてきました。2016年には熊本地震、今年も西日本での豪雨など、大規模な自然災害は各地で続いています。今回の特集では、被災地と海外のつながりに焦点を当て、世界とつながることで復興の道を歩む姿を追いました。

イチゴ農園に飛び交う外国語

2016年の熊本地震で、阿蘇大橋が崩落した熊本県南阿蘇村。現場近くの山は大半が崩れ去り、いまも茶色の地肌がむき出しのままだ。約800人の学生がいたすぐそばの東海大農学部は移転し、無人のキャンパスは静まり返っている。
そこから車で北に約10分。阿蘇市の観光施設「はな阿蘇美」に隣接する「木之内農園」では、インドネシア語や英語が飛び交っていた。20代の女性たちが、イチゴに水をやっていた。

「木之内農園」で働くインドネシアの学生たち。農道を塞ぐ木を伐採する作業に取り組んでいた=熊本県阿蘇市

インドネシアの首都ジャカルタの東、パジャジャラン大学農学部の学生たちだ。2カ月間農業を学ぶため、約20人が滞在する。ラトナ・アユパルマタ(22)は「インドネシアにはない農業機械があって興味深い」と目を輝かせる。「将来日本で働きたい」という学生もいた。

彼らの面倒を見るのが、農園の正社員でフィリピンから来たアイリシュ・ホマオーアス(29)。来日した5カ月後に熊本地震に見舞われ、崩落した阿蘇大橋近くの事務所で被災した。
「山が崩れるのを見たのは初めて。怖くて、フィリピンに帰りたくなったけど、あの時は私だけじゃなくみんな大変だったから」。村に留まり農作業を続ける。
木之内農園はイチゴ狩りで知られ、地震の前は年間5万人が訪れた。だが、震災で農地の7割を失った。近くの町で土地を借りてじゃがいもなどの栽培を続けるが、売り上げは激減した。
震災の打撃を受けたものの、県の農業生産額は8年連続で増えている。ただ、高齢化で農家数は15年に約5万8000戸と、5年で1割以上減った。

かつて学生でにぎわった住宅=熊本県南阿蘇村、五十嵐大介撮影

その穴を埋めるのが、外国人の存在だ。県内の外国人労働者は約7700人で、うち3割が農林業に従事する。県内に住む外国人は昨年で17%増え、伸びは全国の都道府県で最大だった。県の担当者は「復興需要による建設業者などの人手不足が要因」とみる。

「いずれは海外の幹部候補に」外国人社員育てる農園

そんななか、木之内農園の村上進社長(54)は外国人の雇用を増やし、将来は海外事業の拡大をねらう。「こちらが彼らから東南アジアの農業の事情などを学び、一緒にやっていきたい」
村上の農場があった地区は土砂崩れの危険で「長期避難」に指定され、一時は無人に。交通手段も断たれ、13人いた正社員が7人に減った。東海大の移転で学生アルバイトもいなくなり深刻な人手不足が続く。正社員は12人にまで回復し、そのうち4人がベトナムやフィリピンなど東南アジアの若手だ。
「震災で一気に人がいなくなったけど、何もしなければ数十年後には農業の担い手はいなくなる。本当はじわじわ来るものが前倒しで一夜にして来ただけ。地震はそれに気づくきっかけをくれた」。村上はそう話す。
政府は6月、農業や介護など5業種を想定し、新たな在留資格をつくる方針を示した。ただ、家族の帯同を原則認めないなど、長期的な視点からの議論が尽くされているとはいいがたい。
木之内農園の外国人の正社員は、給与も雇用保険も日本人と同じ待遇だ。農業知識や経営能力をつけ、いずれは海外に新たに開く農場の幹部候補にしたい考えだ。「お金を稼ぎ、力をつけたいという思いをぎらぎら持っている子たちがいて、刺激になる。5年、10年と学んだ知識を本国で生かしてもらいたい」(池上桃子)

外国の若者、夢持てる県に 蒲島知事に聞く熊本の未来図

蒲島郁夫・熊本県知事=池上桃子撮影

熊本地震で県内の農地も被災し、人手不足の問題も加速しました。担い手を外国人労働者に頼らざるを得ないのが熊本の農業の現状です。

そういう状況を考えて、熊本県は「グローバル農業の戦略拠点」として、地震からの復興と「世界とつながる農場」を掲げて国の特区申請をしました。
私は熊本の貧しい農家で生まれ育ち、高校生のころは成績も悪く取りえもない「落ちこぼれ」でした。でも、農業研修生として、1968年から2年間、米国で過ごしたことを転機に人生が変わりました。外国人に対して、米国では今よりずっと「安い労働者」という意識が強かった時代ですが、熱心に学ぶ者にはチャンスが与えられる機運があったのです。
北西部アイダホ州の農場で1年間働いた環境は過酷でした。寒い早朝に起きて家畜の世話をし、くたくたになるまで働いた。それでも、半年間の英語研修や、ネブラスカ大学の農学部で学科研修も受けることができました。そこで「もっと勉強したい」という思いが生まれ、24歳で再び渡米し、ハーバード大学で博士号を取ることができた。米国に行ったことでチャンスを与えられ、夢を持つことができたのです。

蒲島郁夫・熊本県知事

今の日本の外国人技能実習制度は、実習生を単なる安い労働力として見ているだけというのが現状です。日本に来て過酷な労働をして帰るだけ。それではウィンウィンの関係ではありません。ベトナムやインドネシアは進学率がとても低い。熊本県には農業大学もあるし、県立大学には編入学制度もあります。海外からの若い人には、大学で農業を学ぶ時間を設けるなど、チャンスを与えたい。そういう特区にしたいと考えています。
国の政策で、実習生がいまだに家族と一緒に来られないのは理想的ではない。日本で結婚してもいいし、共同経営者になってもいい。来る人に魅力的な制度なら自然と人が集まる。夢を持った若者を受け入れ、その夢を実現する舞台になるような県にしたいと考えています。(聞き手・池上桃子)

かばしま・いくお  1947年、熊本県生まれ。高校卒業後、農協に就職。74年にネブラスカ大学農学部卒。同大学院をへて、79年にハーバード大学大学院の博士課程(政治経済学)を修了。帰国後、東京大学法学部教授などをへて、2008年、熊本県知事に初当選。現在3期目。