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リーマンショックで反省 「知識より実践」にかじ切ったハーバード生は東北を目指す

World Now 更新日: 公開日:
米カリフォルニア州のクレセントシティーから訪れた人たちを出迎えるウエストリー・クック=陸前高田市役所(竹花徹朗撮影)

米ハーバード大学の学生らが毎年、東北沿岸部の被災地を訪れている。経営学大学院「ハーバード・ビジネス・スクール(HBS)」では、2012年に始まった研修で唯一、日本が7年連続で研修地に選ばれているという。彼らはなぜ、東北に魅せられるのだろうか。

陸前高田の市役所でインターン

なぎ倒された松の木、崩れ落ちたコンクリートの壁や鉄筋の柱。目の前の光景に、ハーバード大のウエストリー・クック(22)は、しばらくの間、その場に立ちすくんでいた。

震災遺構として残された旧道の駅・高田松原の前で立ち尽くすウエストリー・クック=陸前高田市(竹花敏朗撮影)

岩手県陸前高田市の沿岸部。2011年3月、高さ14.5メートルの津波に襲われた旧道の駅・高田松原は、当時の状態のまま残されている。周辺を大型トラックが頻繁に行き交い、防潮堤の建設や高台の造成が進む。

土地の造成や防潮堤の建設など、復旧工事が進む様子を眺めるウエストリー・クック=陸前高田市(竹花徹朗撮影)

東日本大震災が起きたとき、クックは高校生だった。印象と言ったら福島県の原発事故の映像をニュースで見たぐらい。その後、東京で生活したときも被災地を身近に感じる機会はなかった。「何と言ったらいいのか。自然災害にはあらがえないけれど、もう同じような思いはして欲しくない」。言葉を選びながら話した。

クックはこの夏、市のインターンとして2カ月を過ごした。ビジネススクールとは別の研修だが、岩手大と立教大が開設した交流拠点『陸前高田グローバルキャンパス』で昨年、開催された岩手大主催のプログラムにハーバード大の学生を一週間受け入れた際、「もっと長く滞在して業務に携わりたい」という要望が多かったことから、初めてインターン生を迎えることにした。大学で政治と東アジアについて学んでいるクックは、中央政府と自治体の関わり方や、地方再生などに関心をもち、志願した。

海外からの視察団の対応や、英語の観光パンフレットや動画の作成の他、市長の会談や議会に同行した。元国連職員の市参与、村上清(59)は「業務を終えるまでのスピードがとてつもなく速い。率直な意見もたくさん聞けて、職員の刺激になった」と話す。

市役所で仕事に励むウエストリー・クック=陸前高田市(竹花徹朗撮影)

クックは休日になると、車で市内をくまなく回った。生まれ育ったのは、米ユタ州の人口約1500人ほどの緑豊かな地域。住民の温かな人柄と自然の美しさが、故郷の風景と重なった。視察に訪れた米カリフォルニア州クレセントシティーの代表団や米ノーステキサス大の学生、会いに来てくれた兄も同じような感想を抱いていた。「小さい町だからこそ、人との距離が身近に感じられる、町に溶け込んだ感覚を得られることが最大の魅力」と感じた。

最終日、市長らの前でホームステイや地元産業の体験など「この土地で暮らすように過ごすこと」がアピールポイントになる、と話した。震災後、市のコミュニティーホール建設のために7億円の寄付を受けて以来の交流が続くシンガポールとの関係や、これまで街を訪れた企業や学生などのつながりを生かすことが、効果的な交流人口を増やす方法だと訴えた。

クックは2カ月の経験を通して、将来は都市部ではなく、顔の見える規模で社会貢献できる仕事に就きたいとの思いを強めたという。村上は「被災地は世界の課題が凝縮されている。PR不足なだけで、国連が掲げる持続可能な開発目標(SDGs)のほとんどの項目もすでに実践している先進地」と話す。

米カリフォルニア州クレセントシティーの人たちを出迎えるウエストリー・クックと、市参与の村上清=陸前高田市(竹花徹朗撮影)

名門ビジネス・スクールも注目

被災地を学びの場ととらえてきたのが、110年の歴史を誇る米の経営大学院「ハーバード・ビジネス・スクール(HBS)」だ。2012年1月から毎年、被災地を訪れている。

HBSの特徴は「ケース・メソッド」と呼ばれる、組織が抱える具体的な課題が記されたケースを教室で議論していく授業にある。学生は2年間で世界中の企業など約500のケースを読み込む。

しかし、08年の「リーマン・ショック」で深い自省を促される。

エリートがこぞって職を得た米国の大手金融機関では、高い報酬を受け取りながらリスクを顧みない取引を繰り返し、バブルを生んだ。創立100周年を迎えたHBSが、実業界からもMBA(経営学修士)教育の価値に疑問符が投げかけられ、志願者数が伸び悩んでいる頃でもあった。「世界を変えるリーダーを育成する」という理念のもと、危機の震源地となった金融業界に多くの卒業生を送り出していたが、果たして本当に正しかったのか。

これを機にknowing(知識)から、doing(実践)、being(価値観、理念)をより重視する教育にかじを切ることになる。その一環として、12年、選択科目として単位も付与する実践型の授業が組み込まれることになった。「どっぷりつかって経験して学ぶ」という意味のIXP(Immersion Experience Program)と呼ばれるプログラムで、インドなら健康、中国なら産業と言ったように、その国独自の取り組みを学びに行くものだ。

「学生たちの熱意に推されて実現できた」。HBS唯一の日本人教授、竹内弘高(71)は言う。竹内は震災の当日、約1年ぶりに東京で過ごしていた。混乱の中、数日後にはアメリカへ。しかし、戻ってみると日本に対して「マグマのような支援の熱が膨れあがっていた」という。どこか後ろめたさを感じていたとき、HBSの日本人学生から「被災地のために何かできないか」と相談を受けた。このときすでに、IXPの開催国は決まっていたが、急きょ日本も加わることになった。東京と被災地で一週間ずつ過ごすことに決まった。

ハーバード・ビジネス・スクールで日本人で唯一教授をつとめる竹内弘高=本間沙織撮影

定員30人に、180人が応募

1、2年目はがれきの撤去などのボランティアに加え、災害後いち早く支援に動いた大企業のトップから、緊急時のリーダーシップのあり方を学んだ。ざっくばらんな内容は、学生にとって目からうろこの話ばかり。「HBSの学生は、自分の行動に社会的な意義を見いだしたい人が多い。日本のプログラムはぴたりとはまった」と話す。

他の開催国より飛び抜けて高額な50万円超の自己負担があるにもかかわらず、ある年は30人の定員に180人が応募するなど、最も人気の高いプログラムになった。7年連続で研修地に選ばれているのは日本だけという。

女川町を舞台に行政と民間の連携を学ぶ、老舗企業や起業家にビジネス上の提案をするといったように、復興の過程に合わせて内容も柔軟に変えてきた。橋渡し役として奔走したHBS日本リサーチ・センターの元スタッフで「ハーバードはなぜ日本の東北で学ぶのか」の著書山崎繭加(40)は、幾度となく現地に足を運んだ。HBSと東北双方にとって有意義な時間が過ごせそうかということにアンテナを張り巡らせたという。

被災地とハーバード生、共通する起業家精神

近年力を入れたのが、起業家の支援だ。山崎は被災地を訪れて「狭い地域にビジネスの原型がごろごろとし、孵化(ふか)している状態」と感じたという。県内のみならず、東京などから移住して起業する若い世代も増えていた。

「ハーバードはなぜ日本の東北で学ぶのか」の著者、山崎繭加=本間沙織撮影

HBSの学生も20代後半から30代前半が中心。かつては大手企業で働くことを望んでいたHBSの学生たちも今は事業を通じた社会の課題解決を目指す傾向にある。双方が地域や社会に貢献したいという思いを持っていた。

山崎はIXPでの体験を「被災地の人々の復興にかける強い思いをHBSの学生の豊富な知識が後押しし、化学反応が起きていた。ものすごい熱気だった」と振り返る。

宮城県南三陸町にある菊とトマトの専業農家「小野花匠園」は13年から3回、学生を受け入れた。地元の雇用を増やすために家族経営から株式会社に変えたり、農協に卸すだけでなくコンビニや産直所などに販路を広げたり。社長の小野政道(38)が現場の感覚だけで進めていた。しかし小野が独自に取り組んできた手法は、HBSの学生が授業で学んできたことと見事に合致していた。ビジネスとは分野を超えた強力な共通言語であることを互いに再認識したという。

初めてHBSの学生が訪れたとき、トマトを入れる袋や卸し先のレストランのメニューに会社のロゴを入れるなど、ブランディングを強化するよう提案された。そのときは需要がなかったが、半年後、菊の販路を拡大する際に、全ての花束の袋にロゴを入れた。また経営で悩んだとき、「一番の強みは自分たちで栽培していること」と力説されたことを必ず思い出している。「思いつきでやってきたことを整理してくれた。彼らが言っていたことを半年、1年後に実感できることも多い」と話す。

HBS教授の竹内は「被災地は戦後の日本と同じ状況。毎回現地の高校生と交流しているが、修羅場を経験しているから目つきが全然違う。次世代のリーダーは東北から生まれる」と言い切る。

IXPは今年から東京が中心のプログラムに変わったが、これからも被災地は訪れるつもりだ。東北で過ごす時間は、お互いの人生に気づきをもたらしている。