インドネシアの首都ジャカルタ中心部から車で40分ほど離れたバンテン州・南タンゲラン市にあるジャカルタ日本人学校(JJS)を訪ねた。
敷地面積は約7万9千平方メートルと、甲子園球場の2倍の広さだ。2020年3月には、小学生と中学生を合わせて1千人あまりの児童生徒が約70台のバスで通学していた。現地に進出する日系企業の社員や大使館職員らの子供たちだ。
だが、新型コロナウイルスの影響でこの1年間に子供たちの8割が日本に帰国した。校舎での対面授業が再開できず、在宅学習が続いたことが影響した。
子供たちのいなくなった芝生のグラウンドは一面に青々と茂っている。年間を通して週に1度実施されていた水泳の授業もなくなり、校舎は静まり返っていた。
この国で新型コロナウイルスの感染者が初めて確認されたのは昨年3月はじめ。ほどなくジョコ大統領が「自宅で学び、祈り、働く時だ」と、外出自粛を全国に呼びかけた。
そして4月からは首都を皮切りに大規模な社会的制限が実施され、JJSも始業式の延期や休校を余儀なくされた。
制限はその後も続いたため、JJSは5月には、授業内容を教師が録画した動画を各家庭で視聴してもらう在宅学習を始めた。
その後も、コロナの状況は好転しない。このため2学期からは、オンライン会議システムを使って、通常の時間割の通りに毎日、双方向で授業を中継するようにした。
日本では、夏休み期間を短縮するなどでして、2学期にはおおむね対面授業が再開された。一方、インドネシア政府の対策本部は、感染リスクが低い地域から対面授業の再開を認めたが、その数は全国でも数えるほどだった。都市部を中心に大半の学校で、在宅学習が続いている。
ユニセフ(国連児童基金)が今年3月に発表した報告書によると、新型コロナの大流行で、世界では1億6800万人以上の子どもたちの通う学校が、約1年間にわたって休校状態となった。
日本は、部分的な休校や休暇などを除く完全開校が154日、完全な休校が11日と集計されており、休校日数について国別で8段階に分けた場合、最も少ないグループだ。一方、インドネシアは開校が3日、休校が102日だった。
6月以降は「新しい日常」への移行準備の「第一段階」として、イスラム教の礼拝所(モスク)やオフィスビル・工場、ショッピングモール、飲食店などが制限付きで次々に再開されていった。だが、学校の再開はその「第二段階」と位置づけられて、子供たちの日常だけ置き去りにされた。
JJSに近い英国式インターナショナル校「ブリティッシュ・スクール・ジャカルタ」(BSJ)では7月、小学生の卒業式がオンラインで実施された。
学期途中で突然に休校となり、保護者の勤務先企業が家族の帯同を認めなかったため、クラスメートとお別れの言葉を交わせないまま帰国していった子供たちも少なくない。
地元の英字紙ジャカルタ・ポストは、学校の早期再開を訴えるオピニオン記事を掲載した。
だが、執筆したシニア記者に話を聞くと、掲載後に読者からは、賛成を上回る反対の意見が数多く寄せられた。「子供たちを危険にさらすのか」「うちの子は学校にまだ行かせたくない」……。そんな保護者の声が、インドネシアの地元では根強かった。
休校状態の長期化に、教育文化省が9月から力を入れたのは、オンライン授業で子供たちが使うスマホやタブレット端末の通信費の負担について、国が「毎月最大50ギガバイト(GB)のデータ通信を無料する」という施策だった。この国で自宅にインターネットを引いている家庭が少ないためだ。
JJSはこの間、対面授業をいつでも再開できるようにと準備を進めた。教室での座り方や友人との接し方のルール作り、換気、手洗いの励行、消毒液の設置……。こうしたコロナ対策を踏まえた「シミュレーション登校」も3回実施して、視察した地元の教育当局から昨年12月には「3学期の1月からは対面授業が再開できる」と一度はお墨付きをもらい、保護者にも連絡した。
だが年末にかけて全国で1日あたりの新規感染者が約6千~8千人と確認されるなど感染が拡大して、地元知事は判断を撤回した。そうして学校再開が1年間にわたってかなわないまま、年度末の3月を迎えた。
◇
JJSで2020年度最後の授業日だった3月8日、小学3年の教室を訪ねた。1年前は5クラスだったが、オンライン授業を受けている児童は2クラスで各15人に減った。
この日は、小学3年の教諭らが自らの体験談を語りながら、新学年に向けたメッセージを贈るという特別授業があった。
「良い姿勢になってますか?」
学年主任の北岡良仁教諭(39)は、両手を上げながら、画面上の子供たちの前に陽気に現れた。カメラがついたノートパソコンは、教壇の上に学習机を重ねて目線を合わせた。
冒頭、この日に話すテーマとして、黒板に一言だけ書いて読み上げた。
みんなちがって――。
北岡教諭は社会の授業では冒頭、地図帳をいつも使う。アメリカ大統領選があった昨年11月には、子供たちに首都ワシントンの場所を調べさせ、そこで何が起きたかを問いかけた。そして、その土地で起きた時事ニュースや地理、歴史、文化についての補足説明をする。
「いつも地図帳を使ってきたのは、色んな世界があるんだよ、とみんなに知ってほしかったから。世界って広いんだよね」
この日、そう言って、パソコン画面に世界地図を映しながら、かつて自ら世界各地を旅して撮った写真を順に映していった。
最初はアフリカのエチオピア。子供たちが祭りで踊っていたり、カメラに向かって屈託のない笑顔を見せたり。
「先生、ここでウンコフンダッターって言われたんだよ。なんだか分かる? 実は『イケメン』っていう意味なんだよ。おもしろいね」
オンラインでつないだ各家庭のリビングや子供部屋から、画面越しに子供たちが笑顔をみせた。次に映したのは、大きな水タンクを肩に抱えて山道を歩く高地に住む少年。自分と変わらない世代が働く姿に、児童たちは静かに見入った。
大人になっても身長が低いままというウガンダのある民族。自作の楽器を奏でてチップをせがむタンザニアの少年たち。道ばたで集団礼拝をするエジプトのイスラム教徒たち。親元を離れて泊まり込みで学ぶチベット仏教の子供たち……。
北岡教諭は1枚ずつ映しながら、世界の宗教や人種、言葉などの多様性について語った。「みんな違って、みんないいんだよね」
◇
兵庫県川西市出身。父親の仕事に連れられて小学1年の時、フランス南東部グルノーブルに1年間だけ住んだことがある。
言葉は何も分からなかったが、自然の中で現地の子供たちと仲良く遊べた。異文化に触れた原体験として、記憶が残っている。
歴史が好きで、立命館大学文学部に進んで西洋史学を専攻した。このころ、焼き鳥屋とテレビ局でアルバイトをしてためたお金で、長期休暇のたびに海外に旅に出た。
ガイドブック「地球の歩き方」を片手に安宿を泊まり歩き、バスに乗って史跡を巡る。当時、学生たちの間で流行していたバックパックパッカーだ。
中東やアフリカ、アジアなど30カ国を歩いた。旅先で、どこに行っても歓迎してくれたのが子供たちだった。トルコとイランの国境で出会ったクルド人の子供たちは、貧しい暮らしをしながらも、目はキラキラと輝いていた。
大学3年ごろになると、周囲はリクルートスーツを着て就職活動を始めた。ただ、自分が会社員として働くイメージがわかない。バックパッカーの体験から、いつしか海外や子供たちに関わる仕事をしたいと漠然と思うようになっていた。
そして立命大を卒業後、別の大学の通信課程で教員免許を取り、地元の川西市で小学教諭になった。
海外の日本人学校には、都道府県で選考のうえ、文部科学省から派遣される。どこの国・地域に行くのかは、決定まで分からない。そうしてジャカルタ日本人学校に派遣されて2年。この1年間はオンライン授業が続き、学校側も手探りだった。
画面越しの子供たちは、「先生、質問があります!」と手を挙げたり、休み時間に雑談をチャットしたりと、明るくも見える。
ただ、子供たちが教室やグラウンドでふれあう機会はなくなった。
北岡教諭は「時には友達同士でケンカをすることも成長につながる。以前は『うるさいなぁ』と思う時もあった子供たちの声が校舎から消えて久しく、われわれ教職員も生きがいを奪われたようで……」と振り返った。
オンライン学習は保護者の協力がないと、パソコンの設定や毎日の受講は難しかった。当初は、授業中にぼーっと集中力を欠く子もいた。ただ、「子供たちは大人が驚くほど、すぐに新しい環境に順応していった」。
コロナ下で、前向きに捉えられる面もある。自宅で家族と話す機会が増えた児童が多い。板書や自主学習のノートをスマホなどで写真に撮ってもらい、教諭に送信。北岡教諭は、赤ペンを手に子供たち一人ひとりの成長を感じながら、丁寧に添削できているという。
北岡教諭は、「日本の子供は大変だ」と世間話でよく耳にしてきた。モノがあふれた時代に生まれ、将来に希望を持ちづらく、生きるのが大変だという大人からみた印象だ。
ただ、指導を十数年間重ねてきて、印象は違う。「日本の多くの子供たちは、家族の愛情をいっぱいに受けて、希望に満ちて学ぶ意欲にあふれている」。ジャカルタ日本人学校に来て、その思いをより一層強くした。
2020年度の最後の特別授業で、北岡教諭は学生時代に撮りためた世界各地の写真を見せて、児童たちにこう語った。
「みんな画面でお友達の顔がみえる? 同じようにインドネシアにいて、同じ考え持っているのかなと思っていても、違う考えをもっていることもある。色んな考えがあって、色んな人たちがいるから、世界は面白いんだよね」
そして最後に、こう語りかけて授業を終えた。
「コロナなんてずっと続かないからね。いつか世界のどこでも行けるようになるから。そのとき、みんなが色んな世界を見て自分を広げていってほしいと、先生は思っています」
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インドネシアで働いて2年。自らが最も学んだのは対人関係の築き方だという。地元の人たちは見知らぬ同士でも笑顔の挨拶を絶やさず、すぐに打ち解けて仲良くなっていく。
温暖な気候で、子供から大人まで、ゆったりと暮らす国民性にも触れてきた。
教師として、日本でも子供たちに挨拶の大切さを教えてきたが、対人関係を築く大事なきっかけとなる挨拶さえも、日本ではせかされ、ルールや規則として教えていたと振り返る。日本を出たことで得た気づきだ。
また、学生時代から海外には目を向けてきたが、東南アジアで2年間暮らして、旅行とは違った心境の変化も感じている。自分が日本人であるというアイデンティティーの自覚が強まり、日本を背負っているような気持ちで、教師として何ができるかを考えるようになった。
人と違って良い、それが面白いという多様性の教育は、教師生活の始まりから重きを置いてきた。ジャカルタで教壇に立ち、その思いを改めて強くした。
さらに「人当たりの良さが対人関係を広げ、子供たち一人ひとりの世界を広げることにつながる」ということも、ここで体験的に学んだ。残り任期1年間のジャカルタや、日本に戻ってからも子供たちに伝えていきたいという。
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インドネシア政府は3月23日から、これまでオンラインに限定されていた教育活動について、高等教育で対面授業の段階的な実施が可能とした。
また、教職員のワクチン接種を進めて、地元の学校の新学期にあたる7月にも全国で学校を再開する意向を示している。