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コーヒーハンター川島良彰氏に聞く、「王国・エルサルバドル」復活への道

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内戦で残った希少なブルボン種

――エルサルのコーヒーの特徴は何ですか。

最大の強みは、世界的に希少なブルボン種が主品種として栽培されていることです。ナッツ系のすごく香りのいいコーヒーです。昔は世界中で植えられていましたが、斑点ができて葉が枯れる「さび病」に弱いこともあって、今ではほとんど残っていません。あれだけ古いタイプのブルボン種が残っていることだけで、高い希少価値があります。

――そんな希少種がなぜ残ったのですか。

他国がさび病に耐性のある品種をどんどんつくっていったのに対し、エルサルの場合、内戦でコーヒー研究所がなくなって品種改良ができず、他の生産国との交流も途絶えてしまって新品種も伝わってきませんでした。その分、昔の品種が残ったわけです。ブルボン種の生産者協会を作り、認証を出そうとする動きもあります。

世界中からバイヤーが日参したが

――内戦の前後でどう変わったのですか。

私がエルサルに渡ったのは1975年ですが、そこから78年くらいまで、エルサルのコーヒーは世界的に注目されていました。小さな国なのに、生産量はブラジル、コロンビアに次いで世界3位。技術も高く、単位当たりの生産性は世界1位でした。私が学んだコーヒー研究所は世界有数で、農事普及員が150人もいて、グアテマラやコスタリカからも勉強に来ていました。

75年にブラジルで大霜害が起きた際、大量の在庫があったエルサルに世界中のバイヤーが日参し、相場を左右するほどでした。日本でも70年代、中米では一番有名なコーヒー産地で、毎年60社規模の使節団が訪れていました。

その後、本当に坂道を転げ落ちるように縮小し、今では最盛期の10分の1くらいしか採れなくなってしまいました。

細切れ農地、教育なく分配

――なぜ衰退したのですか。

農地解放をきちんとやっていれば、こんなことにはならなかったと思います。
コーヒーも人間と同じで、ちゃんと食べていれば菌が入っても風邪をひきません。エルサルにさび病が入ったのは1977~78年ごろですが、78年のコーヒー相場の大暴落でなかなか肥料をやれなくなったうえ、79年にはクーデターで革命評議会ができ、その後の農地改革や産業の国有化によって、コーヒーに限らず農業は衰退していきました。特に綿花は、完全に姿を消してしまいました。

JICAエルサルバドル事務所作成「Share Salvadorean Coffee」より

あれだけ貧富の差が激しい中、富の再分配をしなければいけない、というのはわかります。しかし、当時の政府はあまりにも短絡的に大農園主から土地を取り上げて、細かく分断して労働者に配り、何の教育もしませんでした。
その結果、小さな畑がたくさんできましたが、生産者たちはどうしていいのかわからない。「何で肥料をまくの?」という感じです。貧しい労働者は土地をもらったものの、一向に生活はよくならず、生産性もどんどん下がってしまいました。

JICAエルサルバドル事務所作成「Share Salvadorean Coffee」より

コーヒー研究所も閉鎖されました。
もともと、コーヒーを輸出する際に産業税のような形で輸出会社が支払ったお金で運営されていました。それが内戦激化と農地解放の失敗などで生産量や輸出量が落ち、研究所の予算も減りました。思うように研究や品種改良、農事指導ができなくなり、いきなり消滅したわけです。いまではエルサル人が外に勉強しに行くという、当時からすれば信じられない状況です。

希少性・完熟豆に強み、拠点再生がカギに

――復活は難しいのでしょうか。

世界ではいま70カ国以上がコーヒーを生産しており、特異性や付加価値が問われています。エルサルには希少なブルボン種があるうえ、コーヒー研究所で生まれた人工交配種パカマラ種もあります。ボディーがすごくしっかりした味わいで、特産品として売り出す価値が十分あると思います。

エルサル人がすごく働きものであることも強みです。完熟豆のコーヒーはおいしいのですが、ほとんどの国では豆がある程度赤くなったら摘んでしまいます。エルサル人は他国ではできないくらいにきちんと、本当に赤い完熟豆を摘んでいます。

本当にコーヒーを知る昔の専門家たちが集まる拠点を再生できれば、望みはあると思います。昔のコーヒー王国の復活を夢見ています。

コーヒー農園=JICAエルサルバドル事務所提供


川島良彰氏 1956年、静岡県生まれ。75年にエルサルにコーヒー留学し、81年にUCC上島珈琲に入社。世界各地で農園開発を手掛け、幻のコーヒー豆とされる仏領レユニオン島の「ブルボン・ポワントゥ」を65年ぶりに復活させた。2008年、ミカフェートを設立して社長に就き、コーヒー文化の普及に努める。著書に「私はコーヒーで世界を変えることにした。」(ポプラ社)など。


エルサルのコーヒー産業

国際協力機構(JICA)によると、コーヒーは1830年代に伝わり、1905年には輸出総額の8割超を占めた。75年に生産量で世界3位になったが、その後の内戦中に、農地改革や輸出国営化、設備の破壊、コーヒー研究所の閉鎖などで生産量は急減し、89年までの10年間で生産量は半分以下に落ち込んだ。現在の従事者は約5万人。2012年にもさび病で大きな打撃を受けた。