たて長のサツマイモのような形をした台湾。その最南端、太平洋に向けて尻尾のように突き出た地域にある屛東(へいとう)県から、朝日新聞台北支局に取材の案内状が届いた。日本語の本を集めた小さな図書館が、開館から18周年を迎えるという。台北から屛東県まで約300キロ。南の島のさらに南へ、足を延ばした。
青空から降り注ぐ陽光がまぶしい。1月12日に訪れた屛東県の気温はセ氏29度の汗ばむ陽気だった。台湾の本島は、台北など北部は亜熱帯に属する一方、南部の高雄や屛東は熱帯だ。手元のスマホによると、同じ日の台北の気温は19度だったので、10度の温度差がある。ちなみに、この日の東京の気温は6度だった。
日本語図書館は「池上一郎博士文庫」と呼ばれ、屛東県竹田郷にある。池上博士(1911~2001年)は、日本が台湾を植民地統治した時代、現地に駐在した日本陸軍の軍医だ。太平洋戦争後も台湾と自身とのつながりを忘れず、現地からの留学生を支援したり、竹田郷に日本語の書籍を寄贈したりして、交流を続けたという。亡くなる前の01年1月、贈られた書籍をもとに図書館が開設された。
竹田郷は人口1万7千人ほどの町だ。台北から出かける場合、まずは台湾新幹線で南部の都市・高雄へ向かい、在来線に乗り換えて竹田駅で降りる。乗り換えを含めて、片道で3~4時間かかる。
その竹田駅の構内にある、日本統治時代に建てられた瓦屋根の木造の平屋が図書館だ。約1万7千冊の日本語書籍を所蔵しており、「源氏物語」「文楽浄瑠璃集」といった古典、三島由紀夫や川端康成の文学全集、台湾や中国に関連した歴史書、マンガ「こちら葛飾区亀有公園前派出所」もある。
図書館を運営する住民グループの理事長、劉耀祖さん(87)は戦後、日本の早稲田大学に留学していたとき、池上博士と知り合った。「東京で開業医をしていた池上博士は、私たち留学生を自宅に招いて食事をふるまってくれました」と劉さんは振り返る。
図書館は、植民地時代に日本語を学んだ世代の人々が、日本語の書籍に触れる場だったが、最近はその世代の多くが他界し、残された人々も高齢化している。代わりに、日本語を学ぶ国立屛東大学の学生ら若者が訪れているという。1月12日にあった開館18周年の式典には、地元のお年寄りや台湾在住の日本人ら約200人が参加して交流を深めた。
自然豊かな屛東県は、観光地としても知られる。「山川琉璃吊橋」は台湾最長の吊り橋で、長さ262メートル、高さは42メートル。地元の先住民文化を伝える公園内にある。名前の瑠璃は先住民の装飾品を指している。
最南端の鵝鑾鼻(ガランピ)岬には、バシー海峡を望む灯台がある。
台湾の交通部によると、1881年に建てられたのが始まりだ。現在は台湾で最も光力の強い灯台という。海辺まで下りると、澄み切った海水が日差しに輝いていた。
今回の台湾メシ
図書館のある竹田駅から約4キロの場所に、樹齢を重ねたガジュマルの木陰で営業する食堂「榕樹下大鍋菜」(屏東県内埔郷広済路63号)がある。名前の通り、大鍋の煮込み料理が名物だ。豚肉や豆腐、昆布などの煮込みと鴨肉スープ、汁なし麺などを頼み、2人で約400台湾ドル(約1500円)。甘辛く煮込んだ豚肉がご飯にぴったりでした。