3月9日午前8時すぎ、天安門広場を朝焼けが照らす。この日の北京の最低気温はセ氏2度。台湾では袖を通したことのなかったダウン入りの厚手のコートが役立った。
人民大会堂は天安門広場の西側にある。巨大な円柱が立ち並ぶ玄関で記者証を確認され、空港並みの所持品検査を受けて施設に入った。まだ開館したばかりのロビーは薄暗い。所々に警備員が見張る通路を抜けると、「台湾の間」の扁額が掲げられた入り口が見えてきた。
シャンデリアが輝く室内は一転して明るい。足元のじゅうたんは、毛足がふかふかだ。この日、この部屋で、全人代の分科会が開かれ、海外の報道機関に公開されることになっていた。
「台湾省代表団全体会議」。部屋の正面に設置せれた看板に、赤地に白抜きでこう大書されていた。「台湾省?」。台湾の人々が目にすると、多くの人は「台湾は中華人民共和国の省ではない」と反発するだろう。一方で「一つの中国」原則を主張する中国側にとっては、台湾が自らの一部であると訴える譲れない表現だ。
部屋に「代表」が集まり、記念撮影が始まった。その数は13人。彼らはどんな人々で、何を話し合うのだろうか。
中国では例年3月、人民大会堂を会場に全国人民代表大会が開かれている。日本の国会にあたり、今年の会期は3月5日から15日まで。中国の各省や自治区、直轄市などから選出された約3千人の代表が集まり、政府の予算や政策について議論を行った。大会堂には「台湾の間」だけではなく、各地にちなんだ「福建の間」や「西蔵(チベット)の間」、「上海の間」などが用意されている。
「台湾省代表団」が各地の代表と異なるのは、その地域から選ばれた人々ではないことだ。13人の代表のうち、台湾生まれは1人。そのほかは、中国共産党との内戦に敗れた国民党政権が台湾に逃れ、中台が分断された1949年以前に台湾から中国大陸に渡った人々の子孫にあたる。つまり、中国大陸の各地で生まれた、台湾にルーツを持つ人々である。
代表それぞれの経歴には、中台が背負った近現代の歴史が影を落とす。代表団の副団長である陳軍氏(59)の父親は、台湾の先住民アミ族だ。19歳の時に国民党政権によって大陸の国共内戦に徴兵された。内戦後も大陸に残り、家族を持ち、陳氏が生まれた。張暁東氏(53)の祖父は、日清戦争に勝利した日本が台湾を植民地統治した時代、日本に抵抗して大陸に逃れた人物だという。
ただ一人、台湾生まれの代表である陳雲英氏(66)は、台湾でよく知られた女性だ。陳氏の夫の林毅夫氏(66)は、世界銀行のチーフエコノミストを務めた中国の経済学者。林氏も台湾生まれで、台湾軍の兵士として離島・金門島で勤務していた1979年、泳いで中国大陸へ渡り、北京大学で学んだ。
台湾時代に結婚していた陳氏と林氏は、その後、留学先の米国で再会し、現在は中国で暮らしている。陳氏も教育学を専門とする学者だ。夫の林氏は台湾軍にとって「脱走兵」であり、今も故郷の台湾には戻れない。
こうした顔ぶれの「台湾省代表団」の会議が、海外の報道機関に公開されるのは全人代の機会のみだ。中国側にとっては、将来の統一を目指して、台湾政策をアピールする場の一つである。
3月9日に訪れた「台湾の間」には、台湾の最高峰である玉山(標高3952㍍)や、景勝地である日月潭を描いた絵画が飾られていた。三国時代からの歴史をひもとき、「台湾は古来、中国の神聖な領土である」と彫られた石板も置かれていた。
会場には、中国メディアのほか台湾や香港、日本、欧米の記者らが集まった。今年1月2日、習近平国家主席が演説し、香港に適用している「『一国二制度』の台湾モデルを模索する」と表明したばかり。その方針がどう発展していくのか、だれもが注目していた。
中国側が主張する「一つの中国」原則について、台湾の独自性を主張する蔡英文総統は受け入れを拒んでいる。中国は蔡政権に外交的な圧力をかける一方、台湾の一般の人々には、職業機会の提供など経済的な優遇策を打ち出し、台湾世論を分断する「アメとムチ」政策を強化している。
昨年11月の台湾の統一地方選で、中台関係を改善して経済振興を図ると訴えた野党国民党が大勝し、蔡政権を支える与党民進党は大敗した。中国側は自らの揺さぶりが功を奏したと受け止めている。
「民進党当局は、両岸(中台)衝突の製造者だ」。台湾省代表団の会議でも、代表らは蔡政権を口々に批判。海外メディアを意識したのだろう、台湾が米国や日本との関係強化を進める動きに付いて、「米国カード、日本カードを切ることは、台湾海峡の平和の破壊をもたらす」と警告した。
一方で、習氏が提起した一国二制度の「台湾モデル」については、「台湾同胞の利益と福祉の維持に努力し、台湾問題を解決するために提案された創造的な構想だ」と説明。台湾出身の代表である陳氏は、台湾の若者たちに向けて、中国の大学などへ学びに来るよう呼びかけた。
実際は台湾に暮らしている人々のいない「台湾省代表団」の会議は、用意した文書を読み上げる政治スローガンが目立った。北京と台北との距離は、海を挟んで約1700キロ。1949年の分断から、今年で70年が過ぎようとしている。かけ声の大きさは、逆に中国側の焦りも感じさせた。
会議の後半、報道機関から事前に提出された質問に、代表が応じる時間が設けられた。「台湾の世論調査では、統一に対する期待は高くはない。その点をどう考えるか」という問いに、代表のひとりは答えた。「中国大陸の勢力と、国際的な影響力が増大し、両岸(中台)の交流が進めば、台湾同胞は大陸が台湾に寄せる誠意と善意を必ず感じ取るはずだ」
今回の台湾メシ
北京では「台湾メシ」を食べる機会がなかった。代わりに、中国の取材ビザを申請するために経由した香港の台湾レストランを紹介したい。台湾出身の女性2人が始めた「吃什麼/WHAT TO EAT」という名のカフェで、中環・雲咸街(Wyndham St.)75-77号にある。定番の牛肉麺(85香港ドル=約1200円)とタピオカミルクティー(35香港ドル=約500円)をいただいた。物価の高い香港だけに、値段は台湾の2倍だ。しっかりと台湾の味が再現されている。