会場の照明が暗くなると、正面の扉が開き、手をつないだふたりの男性が入ってきた。黒と白の対照的なタキシード姿のふたりが、スポットライトに浮かび上がる。襟元に着けたおそろいの虹色の蝶(ちょう)ネクタイが鮮やかだ。
5月下旬の週末、台湾南部の高雄市内で開かれたのは、新郎ふたりの結婚披露宴だった。現地で日本語教師をしている日本人の有吉英三郎さん(39)と、台湾人で心理カウンセラーをしている盧盈任さん(31)の国際同性結婚である。
会場に並んだ計20の円卓には、ふたりの両親やきょうだい、有吉さんの教え子や、盧さんの友人ら200人以上が招待された。ライトを浴びて入場するふたりを拍手で迎えた。
「あたたかな仲間に出会い、本当に幸せです」。壇上でマイクを握った有吉さんは目を潤ませ、感謝の思いを伝えた。
ふたりが披露宴を開いた2日前の5月24日、台湾では同性婚の登録制度が始まった。初日だけで届け出は526組。台北市内のある区役所にも、午前8時半の受け付け開始に合わせ、ドレスなどで着飾ったカップルが次々と訪れた。
現場には、台湾メディアに加えて、取材する日本メディアの姿も目立った。日本でも今年2月、同性婚が認められないことの違憲性を問う訴訟が始まり、関心が高まっているからだ。
アジア初の試みを祝福するように、この日は青空が広がる天気に恵まれた。結婚を届け出た女性カップルのひとり、簡莉穎さん(31)は取材に対して、「こんなに光り輝く日はなかった」と笑顔を見せた。
登録に来たふたりを祝うため、台北市は「LOVE」という文字をかたどった石鹼を準備し、記念に贈った。「ついに家族になった」という看板を掲げた記念写真の撮影コーナーも用意した。
ただ、今回の法制化には課題も残されている。国際同性結婚の場合、相手の国・地域も同性婚を認めていなければ、台湾側でも登録を受け付けない条件を付けたのだ。
法性化に反対する世論の一部には、「条件を設けないと、制度のない国・地域から台湾へ同性愛者が集まって来る」という主張があり、考慮されたとみられている。
つまり、冒頭で紹介した有吉さんと盧さんのふたりは、日本側で同性婚が法制化されない限りは、台湾でも正式な結婚登録はできない。ふたりは法制化を見越して、昨年から披露宴の準備を進めてきたのだが、はしごを外されてしまった形だ。有吉さんは日本の同性婚訴訟や法制化論議の行方に期待をかける。
登録初日の区役所には、多様性を象徴する虹色のバンドを頭に巻いた白髪の男性の姿があった。
台湾社会において同性愛者の権利獲得運動を牽引してきた祁家威(チー・チアウェイ)さん(60)だ。台湾の結婚届には証人のサインが必要なため、同性カップルたちに請われ、立ち会いに訪れた。制度の実現について、「これから、多くの人々の幸福な人生が始まる」と語った。
1986年、当時27歳だった祁さんは記者会見を開き、自らが同性愛者であることを名乗り出て、権利擁護を主張した。当時の台湾は戒厳令が敷かれ、人権が抑圧された時代だ。社会の変革を訴えた祁さんは、身に覚えのない強盗容疑で拘束され、半年近く収監されたこともある。
その後も、同性婚の実現を訴える違憲訴訟を何度も提起。裁判所側が「同性婚を認めないのは憲法違反」とやっと認めたのは2017年。最初の記者会見から30年余りが過ぎていた。
「アジア初」の実現には、当事者の運動と司法判断に加えて、16年の政権交代で発足した蔡英文政権の存在も追い風となった。
中国から統一を迫られるなか、総統の蔡氏は台湾の独自性をいかに打ち出すか苦心している。リベラルな台湾社会を実現し、先進性を世界にアピールすることは、台湾の生き残り戦略でもある。
今回の台湾メシ
台北市内の観光地「龍山寺」の近くに「合興八十八」(萬華区三水街70号)という名の中華菓子の喫茶店がある。日本統治時代の和風建築を改修し、どこか懐かしい雰囲気。中国茶とお菓子のセットメニュー(写真は300台湾㌦=約1千円)があり、取材相手とじっくり話をしたいときなどに利用している。「八十八」の名前は漢字の「米」が由来。米粉の蒸し菓子がおいしい。