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台湾の「最も危険」な祭り・塩水蜂炮 ロケット花火に当たると御利益 

虹色台湾 更新日: 公開日:
台湾南部、台南市塩水区のロケット花火祭り。花火を体で浴びると縁起が良いとされ、防火服姿の人々が発射台の前に立つ=2月18日、西本秀撮影

ババッ、バババッ、ババババッ……。大量の爆竹を数珠つなぎにした束が、路上でヘビのようにくねり、弾ける。思わず耳を覆うほどの破裂音で、鼓膜が揺さぶられるのが分かる。2月18日夕方に訪れた台南市塩水区の「塩水武廟」は、夜から始まる祭りを前に、すでに参拝者で賑わい、盛り上がりを見せていた。

塩水区は台北市から南へ230㌔あまり。清朝時代に河川を利用した物流拠点として栄えた街だ。中心街にある「塩水武廟」は、17世紀に建立されたという。三国志で有名な中国の武将、関羽をまつる伝統的な廟である。

祭りは、旧暦1月15日の「元宵節」(今年2月19日)の前日から2日間に渡って催される。廟の周辺や路上など街のあちこちに、数千本、数万本のロケット花火を装塡(そうてん)した発射台が100基以上設けられ、次々と夜空に放たれる。

発射台に並べられた大量のロケット花火=西本秀撮影

廟を管理する林益仁さん(78)によると、「19世紀末、地域に疫病が蔓延したとき、災いを鎮めようと大量の爆竹を鳴らしたのが始まり」という。時代とともに派手になり、いつの日かロケット花火を使うようになった。今では例年、数十万人の参拝者、観光客が詰めかける。

いったい、2日間で放たれるロケット花火の合計は何本になるのか。街中の発射台は、地域住民が自前で用意するため、林さん自身も分からないという。「一番大きな発射台は、それだけで数十万本の花火を使っている。当然、合計すると100万本以上はある。200万本も超えるのでは」

祭りが行われた塩水武廟の管理人、林益仁さん=西本秀撮影

武廟の前の広場では、次第に増えてきた参拝者に対して、近くで見物する場合は、ヘルメットや長袖の防火服を身に着けるよう呼びかけるアナウンスが流れていた。周辺には、ヘルメットや燃えにくい綿素材の上着、マスクなどを売る屋台も登場している。一式を揃えると、2千元(約7200円)ほどかかるという。

私は事前に取材を申し込んでいた武廟から、中古の消防服の上着とヘルメットを貸してもらった。下は厚手のジーンズを履いており、手には軍手をはめた。カメラは動画も撮れる一眼レフカメラをバスタオルで包んで、ガムテープでぐるぐる巻きにした。これで準備が整った。

武廟に借りた中古の消防服やヘルメットを身につけた記者

冬とは言え、台湾南部は熱帯に属しているため、気温はセ氏20度を越す。10分も過ぎると、全身から汗がにじみ始め、ヘルメットも曇ってきた。軍手のため、カメラのシャッターも押しにくい。

午後7時前、祭りが始まり、発射台の一つが会場に運び込まれてきた。現地では「炮城」と呼ばれ、箱形の鉄製の棚にロケット花火を敷き詰めた単純なつくりだ。私は念のため、初回は遠巻きに見守ったが、現地の人たちは臆することなく、発射台のすぐ前に背中を向ける形で立っている。

導火線に火が着けられると、パンパンという火薬音と共にロケット花火が次々と飛び出し始めた。発射台からは、炎や煙も吹き出している。近くの人々の背中やヘルメットに、花火が次々と当たっていく。厚手の防火服を着てなかったら、やけどしてしまうだろう。地元で水道工事などを請け負う許江全さん(60)は妻と一緒に参加。「体に当たると御利益があるんだ。新しい年が平安であるよう願ったよ」

次々と飛び出すロケット花火を浴びる人々=西本秀撮影

2度目の打ち上げで、私も発射台に近付いてみた。点火と共に花火が弓矢のように飛んでくる。分厚い上着に当たる分は、まったく気にならないが、ジーンズを履いているだけの足に当たると思ったより痛い。素足に近くから銀玉鉄砲を撃たれたような、ビシビシと食い込むような痛さだ。周りの人々も、しきりに足踏みをしながら、痛みをこらえている。

現地報道によると、今回の祭りで計23人がやけどや擦り傷を負って、近くの保健所などに運ばれた。いずれも軽傷だ。見学していたフィンランド人の女性は恐怖でパニックとなり、病院に運ばれたという。

安全のため見学者にヘルメットや防火服、手袋を身につけるよう呼びかける看板=西本秀撮影

歴史ある塩水の街は、観光地にもなっている。「月津港」はかつて川沿いにあった波止場の跡地だ。蛇行した川の流れが三日月の形に似ているため、この名前となった。現在は親水公園として活用されている。近くには、れんが造りの古い街並みが残る「橋南老街」もある。

れんが造りの街並みが残る橋南老街=西本秀撮影

「八角楼」は、清朝時代に財をなした地元の砂糖商人が遺した木造建築だ。敷地内に残る石碑には、「伏見宮貞愛親王御遺跡」とある。日清戦争で勝利した日本が1895年、清から台湾を割譲させた際、日本軍を率いて台湾に上陸したのが、皇族の伏見宮貞愛親王だった。この八角楼を利用したのだという。その後、日本側が立てた石碑が、今も保存されている。

「台湾の最も危険な祭り」の様子
清朝時代に地元の砂糖商人が建てた木造建築「八角楼」=西本秀撮影
皇族の伏見宮貞愛親王が1895年に八角楼を訪問したことを伝える石碑=西本秀撮影

今回の台湾メシ

八角楼の取材を終えて近くを歩いていると、「純天然・冬瓜茶」(台南市塩水区中山路2-4号)という名の飲料品店があった。店先の大釜で、冬瓜が砂糖で煮込まれている。すでに茶色くカラメル状になっていて、焦げないように、店主の蔡坤霖さん(45)がスコップでかき混ぜていた。

作業を眺めていると、蔡さんが「食べてみる」と一切れくれた。ホクホクと熱く、とろりと甘い。このままでもおやつになるが、冷まして固まった甘い冬瓜を、お湯で煮出すと「冬瓜茶」となる。1杯が25台湾㌦(約90円)。すべて手作りなのが、蔡さんの自慢だ。

大釜を使い、砂糖で冬瓜を煮込む店主の蔡坤霖さん。後方の女性が手にしているのが冬瓜茶=西本秀撮影
冬瓜茶の店先には大きな冬瓜が積まれていた=西本秀撮影