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自爆テロ未遂犯が大切にしていた風景と日本の意外な接点

中東を丸かじり
アッバス・パレスチナ自治政府議長と写真に収まるハムール

自爆テロは減ったが

エルサレムに筆者が住んでいた2000年代、パレスチナでは第2次インティファーダ(対イスラエル民衆抵抗闘争)が燎原の火のように広がっていた。自爆テロリストを送り込んだ武装組織や集団を殲滅しようと、イスラエル軍戦車がパレスチナ自治区の深奥に侵攻し、軍の戦闘機が上空を旋回した。ヨルダン川西岸では、武装組織の活動を封じ込めるため、多数の軍検問所が設置されて市民の移動は厳しく制限されていた。今は自爆テロもほぼ起きておらず、こうした検問所の数は減り、戦車が侵攻することもほとんどない。

自爆テロは、遠い中東での話である。だが、関係する人たちが作った食べ物が日本に輸出され、もしかしたら、口にしているのかもしれないと知ったら、少しは関心を持ってもらえるだろうか。ヨルダン川西岸での約1カ月に及ぶ滞在中、自爆テロという事象と日本とのささやかな接点に行き当たった。

彼女、元テロリストと出会ったのは2005年。場所はイスラエル中部にあるハシャロン刑務所だった。自爆テロの動機や背景を知るためには、自爆テロリストに直接聞くのが手っ取り早い。だが、自爆テロ実行犯は、体に巻き付けた爆弾で「殉教」してしまう。自爆テロを決意した者も隠密行動に徹するため、犯行前に接触するのは極めて困難だ。ところが、自爆テロを決行する前に拘束された未遂犯が少なからず居た。

当時、イスラエルの獄中には何人かの自爆テロ未遂犯が収監されていた。自爆テロは、宗教的な狂気として語られることも多い。中東やイスラムを語る際、原理主義や過激派という都合の良い用語がある。説明が難しい出来事を、そんな言葉で一括りにできることは、書き手にとっても、読み手にとっても好都合だ。人間は分からないことがあると不安になる。だから、ある現象を特定の言葉に置き換え、理解したつもりになる。

オリーブオイルへの蛮行も引き金に

エルサレムで2002年に自爆テロを実行しようとした罪で禁固6年の実刑判決を受け、イスラエル当局に収監されていたヨルダン川西岸北部の村ジャバアに住む女性サウリーヤ・ハムール。筆者との獄中インタビューで「出所したら自爆したい」と語っていた。敬虔なイスラム信徒であることを示すような語りが続いた。「イスラムも私を自爆へと後押しした。コーランでは、イスラム教徒に対して攻撃する者には反撃するよう求めている。攻撃されたら反撃せよ。彼らが平和に向かうなら同様に平和に向かえ。コーランを読むと、私が自爆しようとしていることは間違っていないと確信した。コーランは私を勇気づけた」と、イスラムという要素を抜きにはできないことを訴えた。

獄中インタビューの際に笑顔を見せるサウリーヤ・ハムール=2005年12月

ただ、イスラムという宗教に加えて、戦争という狂気の日常の中で蓄積された感情が自爆テロを試みる導線になったこともうかがえた。

「当時は、ジェニン難民キャンプに対するイスラエル軍による大規模侵攻作戦が起きていた。テレビで見たり、現場に行ったりして、多くの犠牲者が出ているのを目の当たりにした。母親は私がジェニンに行くのを止めようとした。なぜなら、あのような現実を見た人は復讐心に燃えてしまうから。流血や殺害の現場を目にした私は、自爆を決意した。どうしてパレスチナ人たちはこんなに苦しまなければならないの。(武装闘争に加わった)若者たちは私のきょうだいたちであり、パレスチナのために命を落とした。思考と感情が同時に自爆という決断に影響を及ぼした」

「もちろんジェニンだけが自爆を決断した理由ではなかった。蓄積された感情だった。私はいつも、仕事に向かった父親がイスラエル軍の検問所で通行を阻まれ、帰ってくるのを知っていた。父親だけではなく、全ての人がそうだった。イスラエル軍が村に侵攻し、オリーブオイルを投げ捨てる光景などが自分の中に圧力として鬱積していた」

ヨルダン川西岸は、オリーブの畑が広がる美しい風景が特徴的だ。秋になると、家族総出でオリーブを摘む光景は、パレスチナの風物詩だ。実を塩漬けにしたり、オイルを絞ったりして、パレスチナの食生活に欠かせない。そんな大切なオリーブオイルに対するイスラエル軍の蛮行が女性の心に突き刺さった。

ユダヤ人入植者によって伐採されたパレスチナのオリーブの木

社会復帰した自爆未遂犯

獄中で会ったハムールやその両親はどうしているのだろうか。人づてに刑期を終えたハムールの所在を突き止め、西岸北部の町カバディアで14年ぶりの再会を果たした。彼女は、親戚が営む結婚相談所で働いていた。その姿は、幾星霜を経たことを感じさせたが、シワを顔の中心に集めてうめぼしのような笑顔になる若き日の面影をしのばせた。今は、社会に居場所を見つけたようだった。

久しぶりに会うハムールに以前のような悲壮感はなかった。「刑務所から出たらインティファーダは終わっていた。 権利獲得の闘争は続いているが、今は皆、自分たちの生活を維持するのに必死だ。政治家たちは椅子取りゲームに終始している。刑務所にいたときは、精神状態を保つために頑なになっていたけれど、今は冷静に物事を考えられるようになった」と話し、前向きに生きているようだった。

パレスチナ民主連合(FIDA)という左派系の政治組織に属すハムールは、女性の権利向上などの運動にも取り組んでいた。一緒にヨルダン川西岸ジェニンの町を散策した際、刑務所で共に過ごした元受刑者たちとすれ違い、笑顔であいさつを交わしていた。刑務所での人脈が、結婚相談という活動にも活きているようだった。イスラム系武装組織の自爆テロ未遂犯としてイスラエルに囚われ、宗教的な熱情に満ちていた当時の雰囲気は消え失せていた。

パレスチナ料理を前にしたハムール

農業とコーラン愛する寡黙な父

獄中インタビューに臨む前、ハムールの実家を訪れた。追加取材が許されない状況で、彼女に両親の近況を話せば、少しは気を許してくれるのではないかと思ったからだ。ハムールの両親も歳を重ねたものの、元気そうだった。ヨルダン川西岸滞在中、ハムールの実家に何度か出入りしていたところ、有機オリーブオイルを生産する食品会社カナーンの社員が訪れていた。社員の男性は、オリーブを栽培する父親に品質管理を指導していた。

カナーン社と契約するオリーブ畑=ヨルダン川西岸ジャバア村

獄中インタビューでは、ハムールがオリーブオイルについて語っていたことが印象に残っていた。父親のオリーブ畑は、自宅のある村から少し離れたところにあり、毎日のようにトラクターに乗って畑に通っているという。案内を頼んだところ、乗れと言われたのは約70年前に製造されたトラクターだった。エンジンをかけると、ガタガタガタと大きな機械音を上げながら動き始めた。

村を見渡す丘の斜面に広がるオリーブ畑には、野菜やハーブも植えられて、小鳥のさえずりだけが響く。寡黙な父親は、コーランを読むのが生き甲斐だ。静かにコーランと向き合う場所が欲しいと、農地に小屋を建てた。そこで、雨水を貯めた地下タンクから水を汲み、中東特有のどろっとしたアラビックコーヒーを振舞ってくれた。自爆テロを試みようとした娘を持つ父親。カナーン社は、日本にもオリーブオイルを輸出している。この畑で収穫されるオリーブも、日本に届けられているオリーブオイルの材料になっているという。

農地に建てた小屋の前でコーランを読むハムールの父親

庶民に愛されるインゲン豆の煮込み

異国の人たちと親密になるには、食という人類共通の喜びを共有するのが一番だ。特に中東は客人をもてなす文化がある。ハムールの自宅では、多くの家庭料理を味わわせてもらったが、鶏肉とインゲン豆を使ったファスーリアというシンプルな料理が印象に残っている。

簡単に調理できるため、庶民が頻繁に食べる家庭の味だ。鶏肉とインゲン豆をトマトで煮込んだシチュー。ご飯とともに食べるのが一般的だ。家庭によっては水分が多くてスープに近い場合もある。鶏の出汁とインゲンの甘さ、トマトの爽やかな酸味が一体となったヘルシーな味わいが魅力。今は、新鮮なインゲン豆が畑にないので、乾燥したインゲン豆を使って作ってみた。現地では、乾燥した白インゲン豆を使い、ファスーリア・バイダと呼ばれる。パレスチナでは鶏肉やラム肉を使うが、ご近所さんから頂戴したシカ肉でアレンジした。

 

【動画】鶏肉と豆の煮込み料理「ファスーリア・バイダ」の作り方