「絶滅の危機」から回復
サマリア人は、新約聖書の中でイエス・キリストが語ったとされるたとえ話に登場する。強盗に襲われた人が道端に倒れていたところにユダヤ教司祭ら3人が通りかかり、ただ一人助けの手を差し伸べたのがサマリア人だったとして、イエスは隣人愛を語ったなどと解釈される。「善きサマリア人」として欧米社会では、自分の不利益を顧みない行為を示す比喩的な表現としてよく使われている。
ユダヤ人やキリスト教徒らとの歴史的な対立によってサマリア人は「絶滅の危機」に瀕し、サマリア人古老によると、1919年3月にはサマリア人の数は191人にまで落ち込んだ。しかし、ユダヤ人らとの結婚を認めるなど民族のルールを変更し、今では814人にまで回復した。
古代の調理法で羊を丸焼き
ナブルスに滞在中、サマリア人の知人に「過越祭を是非、観に来てくれ」と誘われた。サマリア人は、古代イスラエル人の習慣を多く残していると言われ、この過越祭もその一つ。この祭は、出エジプトを祝うもので、ユダヤ人とも共通する。サマリア人は、モーセ五書(トーラー)を聖典とするものの、聖地はユダヤ教がエルサレムであるのに対してゲリジム山だ。
自ら羊を屠って丸焼きにする儀式は、2500年以上も前から続けられてきた。2メートル以上の穴が10個近く掘られ、昼過ぎから乾燥したオリーブの木を投げ入れて火を付け、釜を暖める。夕方、約60頭の羊が一斉に屠られ、処理した後に2メートル以上の串に刺し、1つの釜で数頭を丸焼きにする。羊を投入した後、炎で焦げないよう泥の蓋で手早く密閉して空気を遮断。蒸し焼きの状態にする。
羊を投入してから約4時間。釜の熱でじっくりと焼かれた羊が取り出されたのは午後11時ごろだった。蓋が破られると、蒸気が激しく立ち上る。羊の焼けた香ばしい匂いが立ち込めた。この羊は、サマリア人や近隣に住むパレスチナ人しか食べられないことになっているが、知人は「隙をうかがって少し差し入れてくれる」と約束した。だが、「香ばしくてとろけるような肉」(知人談)を味わうチャンスは訪れなかった。
アイデンティティー育む食物戒律
中東では、食物戒律や断食を理由に他人が食べられないという場面には遭遇してきたが、まさか自分が口にできないとは。日本人ほど世界の食を貪欲に取り入れてきた国もない。われわれのような食文化とは対極的なのがサマリア人の食卓だ。ソーシャルメディアなどの情報ツールの発達やグローバル化が進展する中でも、厳しい戒律を守り、食べてはいけないものが少なくない。
ユダヤ教と同様に、乳と肉を同時に調理したものは食べることはできない。このため、チーズバーガーはタブー。エビなどの甲殻類やイカ、タコもダメ。肉もサマリア人が屠った牛肉や鶏肉など以外は食不適で、ファストフードチェーンのフライドチキンやハンバーガーも食べられない。知人は「ロブスターって一体どんな味なの」と興味津々だが、「サマリア人の伝統やコミュニティーを守っていくためには食を含めた戒律は重要だ」と話す。
サマリア人が海外出張に行く際には、缶詰を持って行き、国外では野菜サラダや魚料理ばかり食べることになるという。食文化は、パレスチナ人と共通するものが多いが、羊肉をヨーグルトで煮込んだパレスチナの名物料理マンサフは、前述した通り食べられない。
食物戒律は、衛生管理の面から説明されることが多い。ユダヤ教やイスラム教で摂取が禁じられる豚肉は、寄生虫の問題があったとされる。だが、食物戒律は、信徒と異教徒との違いを際立たせることにより、選民意識を盛り上げるという側面もある。絶滅の危機に瀕したサマリア人のコミュニティーが今も続く理由の一つであろう。
そんなサマリア人たちは日頃、どんな料理を食べているのだろうか。訪ねたのは、サマリア人のアブード・コーヘンさんのゲリジム山山頂付近にある自宅。サマリア人たちは、ユダヤ教と同様に金曜日の日没から土曜日の日没まで労働を禁じる安息日を守る。安息日には作り置きした料理を食べることから、冷めても美味しい中東のゴマペースト、タヒーナを使った料理が数多く登場するという。
コーヘンさんの親戚が経営しているタヒーナの製造工場も案内してもらった。工場にはゴマをローストする芳香が漂う。イスラエルでも質の良さで人気があり、欧米にも輸出されている。そんなタヒーナの味が引き立つ料理の一つがナスを丸焼きにしてペースト状にしたババガヌーシュだ。サマリア人のポテトサラダにも、タヒーナが使われる。コーヘンさんは「タヒーナを食べない日はほとんどないよ」と笑った。