1. HOME
  2. LifeStyle
  3. ロシアの「ダーチャ」に学ぶ暮らしのヒント<前編>「自分の生活は自分で守る」

ロシアの「ダーチャ」に学ぶ暮らしのヒント<前編>「自分の生活は自分で守る」

荻野恭子の 食と暮らし世界ぐるり旅。 更新日: 公開日:
ヴァレーニエ(左)とカンポート(右)=竹内章雄撮影

◉夏のダーチャの仕事が、冬の食生活を支えてきた

わたしがロシアに通い始めたのは20代後半、まさにペレストロイカ前後の頃で、目的は、ボルシチやピロシキといったロシアの料理を知ることでした。でも、大陸である旧ソ連は、中央アジア、コーカサス、バルト、キルギス、ベラルーシほか、たくさんの共和国から成る壮大な国。 世間ではロシア料理と捉えられているボルシチひとつ取っても、実はウクライナの料理ですし、ピロシキにしても焼いたもの、揚げたもの、と色々なものがあり、その後、長い時間をかけて旧ソ連15カ国全土をめぐる結果になったのです。そうしてこそ、ロシア料理が見えてきた部分があります。その時に、ロシア人のライフスタイルである「ダーチャ」に出合いました。

「ダーチャ」とは、都市に暮らす人々が、初夏から秋までの週末を過ごす、菜園付きのセカンドハウスをさします。

モスクワやサンクトペテルブルクの都心のアパートで暮らす友人宅に伺うと、「ダーチャ」で収穫した野菜や、仕込んだ保存食を使った料理などが出てきて、

「うちのダーチャで採れたキャベツの漬物!美味しいから食べて!」

「うちのダーチャで仕込んだプラムのカンポート(ジュース)だから飲んで!」

いつもそう勧められてきました。

自宅の北側の部屋には、野菜の塩漬け、ヴァレーニエ(ロシア風ジャム)やカンポート(ロシア風コンポート)、干し野菜やキノコの瓶詰めがズラーっと並んでいて、最初に見た時には、「これがロシア人の生活の糧なのだ」と大層驚いたものです。

北側の部屋にズラリと並ぶ保存食の瓶=荻野恭子提供

◉ダーチャとの付き合い方も変化してきている

「ダーチャ」は、モスクワやサンクトペテルブルクといった都市から30〜100キロ圏内に広がっていて、主に、都会暮らしの人々が活用しています。国民の半数以上が保有していると言われていますが、富裕層向けの豪華なレジャー感覚のダーチャなど、形態も様々に広がりつつあります。

冬が長く、夏が短いロシアでは、どこかに旅行に行くというより、夏は自分の「ダーチャ」で過ごすのが、長年のスタンダードでした。旧ソ連崩壊後は、夏は海外でバカンスという人も増えましたが、変わらず「ダーチャ」が大好きな家族もいて、夏中過ごす人もいます。ただ、維持が大変なので、手放す人も増えつつあるようです。

◉「ダーチャ」に通うのは大変なパワー

「ダーチャ」へは、金曜日の晩から向かい、日曜日の晩に都会に戻ってきます。野菜や草花を育て、森や高原でキノコ狩りやベリー摘みを楽しみ、川で泳いで釣りをして、バーベキューをして……。そうして、都会の喧騒から離れ、心身ともにリフレッシュします。

都会で働く人が、夏の間金曜日の夜から「ダーチャ」に行って、週末作業して日曜の晩に自宅に戻り、月曜からまた仕事というサイクルは、徐々に若い人は大変になってきているようではありますが、年金暮らしのお年寄りは時間もありますし、生きがいになっている部分も大きいようです。親が自家製の野菜や保存食をせっせと作って息子や娘に分ける、買ったものでは味わえない「おふくろの味」は、万国共通なのでしょう。

 シーズン中の週末には、ダーチャ渋滞と呼ばれる渋滞が起きるほどで、交通手段は主にバスか車。乗り合いで友達と行く人も多いですし、街道に通るバスを乗り継いだりして行く人もいます。帰りの車は収穫した野菜や果物、花などで、トランクも座席もパンパン。毎週通うには距離もありますし、ライフスタイルにするには大変なパワーを要します。ですから、大勢の人がこれをずっと続けているのはすごいことです。

まず、3月になると都会のアパートの出窓で野菜の苗床を作ります。これはコンパクトに、牛乳パックやプラスチックの小さなポットなどに植えて育てます。そうして、凍った土が溶ける5月の半ばを過ぎ、「ダーチャ」の畑に植え替えると、シーズンの始まり。6月の声を聞くと一気に暑くなり、気温は35度くらいまで上がります。実りの季節の到来です。その後、夏の間に収穫した野菜で保存食を仕込み、秋の半ばになると最後のジャガイモを収穫して、その年の「ダーチャ」を閉じます。

都会のアパートで、苗を育ててから畑に植え替える。なんとも合理的!=荻野恭子提供

◉「自給自足」という国策から広まったダーチャ

友人の「ダーチャ」を訪れるたび、繰り返し聞いたのが、代々語り継がれているという「ダーチャ」のルーツについてです。実際の記述を辿ると、なんとピョートル大帝時代(16821725)の帝政ロシアにまで遡ります。

トルストイやチェーホフといった帝政時代の作家の文学にも「ダーチャ」は登場しますが、当初は、貴族や豪商などの富裕層が田舎暮らしを楽しむ、別荘的な存在でした。ロシア帝国が崩壊して旧ソビエト連邦(1925〜1991)となり、政治経済がさらに悪化したスターリン時代には、国策として自給自足が奨励され、「自分の食べ物は自分で作る」というポリシーが広まりました。これが現在の「ダーチャ」のベースでしょう。

当時は国民が土地を保有することはできず、すべて国有地という時代でしたが、「ダーチャ」としての申請であれば、土地があてがわれたのです。そこに小屋を建て、畑を耕し、食べるために野菜作りをし、長い冬を生きぬくために保存食を仕込み、加工してきた背景があります。

ソ連崩壊後は、都市には外資系スーパーも立ち並んで、年中豊富に食材が手に入るようになりましたが、大量生産のものが多いので、ナチュラルかどうかはわかりません。旧ソビエト連邦の時代に「自分の体は自分で守れ」と国から言われ続けてきたことから、農薬や効用、食べ合わせなどについても詳しくならざるを得なかったロシアには、健康志向の人が実に多いんです。「健康に生きるためには、自分で自分のことをしなくては」というポリシーとして無農薬の野菜を作り、暮らしにダーチャを取り入れているのだと思います。今後はどうなって行くかわかりませんが、だからこそ、維持が大変なダーチャを今も代々受け継ぎ、続けているのでしょう。

→次回は2月7日更新予定です。