1. HOME
  2. 特集
  3. 疲れる土
  4. 都会の農園、心の効用 いま見直される土の力、日本の土の実力は?

都会の農園、心の効用 いま見直される土の力、日本の土の実力は?

World Now 更新日: 公開日:
泥のついた子どもの手=2019年3月31日、東京都千代田区、林紗記撮影

都会で「土」が見直され始めている。東京近郊ではファミリー農園が人気を集め、世田谷区などでは6~8年待ちといった人気ぶり。利用者からは「土に癒やされる」といった声も多い。ただし、日本全体でみれば耕地の減少、農家の減少はいまも続いている。複雑な環境に置かれている日本の土だが、世界的に見ると、農業に向いた侮れない実力の持ち主でもある。

■シャンシャンシャンと癒やされる

東京都千代田区の旧中学校校舎の屋上では、いま約25組が小さな「農地」でベビーリーフやじゃがいも、チンゲンサイなどを育てている。

合同会社コマンドAが運営する施設「3331屋上オーガニック菜園」。「3331」は「シャンシャンシャン……」の江戸一本締めに由来する。

担当の米窪由樹子さん(40)によると、利用者の6割が小さい子どもがいる家族で、「土に触れさせたい」というのが一番多い理由という。

公営の農園の人気も高い。世田谷区では1区画15平方メートルで900余りを「ファミリー農園」として2年間約2万2000円で区民に貸し出している。高齢者を中心に申込者が多く、抽選の倍率は昨年は5・3倍だった。6~8年待ちもあるという。

園芸用の土をさわる子ども=2019年3月31日、東京都千代田区、林紗記撮影

こうした施設でも、「子どもたちのために」という声は多い。武蔵野市の市民農園で4月の日曜日に、9歳の息子と一緒に農作業をしていた会社員男性(41)は「食育の一環で借りて2年目。子どもは土いじりで虫を探したりして楽しんでいる」と話していた。

市内に住む小笠原由里子さん(51)は高校生の息子達也さん(16)と土を掘り起こし、うねを作る作業をしていた。高校で機械の勉強をしている達也さんは「こうやって土に触れていると、気晴らしになる」とせっせとシャベルを動かした。

武蔵野市内の市民農園で、土を掘り起こしうねを作る作業をする親子=高橋友佳理撮影

土いじりは、人間の心に「癒やし」を与える効果もあるといわれている。米国などでは第2次世界大戦後から、心や体を病んだ人たちのリハビリとして園芸が使われてきた。日本でも、精神を穏やかにするなどの効果があると言われ、園芸を治療に取り入れている精神科病院や高齢者施設もある。

埼玉県飯能市の飯能老年病センターでは敷地内に農園を作り、主に認知症の患者に園芸療法を取り入れている。中度の認知症の患者を対象に週1回、農地でキュウリやトマト、スイカなどを栽培し、収穫して食べているという。作業療法士の大塚守さん(46)は「畑に行って興奮する方を見たことがない。逆に落ち着いたり集中したりする」。「水耕栽培でもよいのでは?」と聞くと、「農業をやっていた人は過去の経験を思い出すし、やっていなかった人も雑草取りなどで貢献できるので、土の方がいい」と返ってきた。

飯能老年病センターでは敷地内に農園を作り、認知症などの患者に園芸療法を取り入れている=飯能老年病センター提供

■先人たちがつくってきた土

都会での農園にいち早く取り組んできたのが練馬区の農家、白石好孝さん(65)。1.3ヘクタールの農地の一部を使い、1997年に体験農園「大泉 風のがっこう」をオープンした。「土から野菜をつくり、それを食べるのはずっと人間がやってきたことですが、そうした原点を見直す動きが出てきているのではないでしょうか」と言った。

白石好孝さん

かつては田園風景が広がっていた練馬区だが、高度経済成長時代に宅地化が進んだ。さらにバブル期には、農地が次々にマンションやアパートへと変えられていった。

江戸時代から続く農家に生まれた白石さんだが、仕事を継いだころには周囲はどんどん農業をやめていった。だが、「農業をやめてアパートにしたとしても、農家が豊かになり、あるいは幸せになっているようには見えなかったんです」と振り返る。

農業を続けた理由のひとつが、環境が恵まれていたことだった。練馬は大消費地・東京にあり、野菜の販売先に事欠かない。

そして「土」も豊かだった。「ここの土は『黒ボク』と呼ばれる黒い土です。フカフカで粒が細かく、水はけがよく、なのに水もちもいい。特に根菜類の栽培に適している肥沃な土なんです」

その肥沃な土で育まれた伝統野菜のひとつが、練馬大根だ。長さ1メートルにもなる長い大根は、土の中に小石などがあるとそこから分岐してしまう。小石のないフカフカの土だからこそ、まっすぐ地中に伸びていけるのだ。

白石さんの畑の土。黒い層が60センチほどある

土が豊かな理由には、先人たちの努力もある。何百年にもわたり、大都市・江戸から出る人糞などを有機肥料として、土を改良する取り組みが続いてきた。練馬の農家は江戸に野菜を売りに出て、下肥を仕入れて帰ってきて、それを畑にまくことで生産を続けてきたのだ。

白石さんはこう言う。「人間が食べる野菜は、かなり肥料成分を必要とします。土に肥料を加えなければ、2年もすればやせて使えなくなってしまう。そうならないよう、日本の農家は伝統的に、落ち葉を入れたり、人糞を使ったりしながら再生産できる形で農地を少しずつ広げてきたのです」

■日本の土の実力は

土ができるまでの道のりは長い。

土は岩から生まれる。太陽光や風、水などにさらされた岩は砕かれ、粘土鉱物と言われる小さな粒になる。これが土の「土台」になる。さらに火山灰が土台になることもある。

そこに微生物をはじめとして動植物がすみつくようになると、死後に分解されながら土台にまじっていく。こうして数千年から数千万年をかけて今の土になった。

土台となる物質や、地形、気候などによって、できあがる土の性質は変わる。大きく分けると、世界に12種類ある。

色もさまざまだ。赤や黄色は、おもに鉄さびと同じく鉄分の酸化によるもので、古いほど赤いと言われる。黒の多くは、草の根などの動植物の死骸や排泄物が分解されてできる「腐植」の色だ。養分が地下水に抜け落ちて灰色になっている土もある。

農業に向いた土の豊かさは、微妙なバランスで決まる。養分をどれぐらい蓄えているかという「中身」も大事だが、「形」も大事。土の粒の大きさが、保水力や耕しやすさ、収穫しやすさなどを左右する。

手と土=2019年3月31日、東京都千代田区、林紗記撮影

それでも、一般的に言えば「腐植」の多い黒い土が豊かな土と言われる。

最も肥沃な土として知られているのが「チェルノーゼム」だ。養分のバランスがよく、土の中によく保たれている。この土は、ウクライナやロシア、中国などのユーラシア大陸のほか、カナダやアメリカのプレーリー、アルゼンチンのパンパなどにも分布している。 一方で「永久凍土」や「砂漠土」など、農業に向かない地域の土もある。

では、日本の土はどうか。主に北海道から関東にかけて広く分布する「黒ボク土」は、火山灰が土台とされる。

土の成分には草原だった痕跡も残っており、縄文人が野焼きなどをしていたところにできた土とも言われる。

色はチェルノーゼムと同じ「黒」。腐植は多く、リンなどの肥料成分を多く抱え込んでいる土なのだ。

■「やせた土」からの変身

ただし、黒ボク土はクセが強い。肥沃なチェルノーゼムは、ため込んだ養分を簡単に作物に渡してくれる。ところが黒ボク土の場合、化学的に土と養分の結びつきが強く、作物にもその養分を簡単には渡してくれない性格だ。

だから黒ボク土は長い間、やせた土として知られていた。大都会、江戸が生み出す「うんこ」を肥料として使えた練馬のような産地は、むしろ例外だった。

化学肥料を組み合わせて土の性格を改良し、幅広く活用されるようになったのは、第2次大戦後。これで、黒ボク土のある地が一大野菜産地に様変わりした。

白石農園の畑。多品種少量生産で、年間100種類の野菜が栽培されている

黒ボク土に限らず、火山灰由来の日本の土には、作物に養分をなかなか渡さない性格がある。こうした欠点を補う方法のひとつが水田耕作だった。土を水中に沈めてしまうと、養分を取り出しやすくなるからだ。

さらに、水田では水を引き込むことによって養分が補給され、連作障害も起きにくい。水田耕作は、水が豊富な日本ならではの土の生かし方だったと言える。

世界的に見ると、チェルノーゼムなどの肥沃な土がある土地は、雨が少ない。だから灌漑などで水をくみ上げて土を無理に使おうとすると、地表に塩が残る塩害を招いてしまうジレンマがある。

一方で、日本の黒ボク土は、クセはあるが、しっかり養分を抱えている。そして日本は水も豊富。土と水がそれなりにそろっている豊かな土地とも言える。

だが、日本の耕地は減り続けている。農林水産省によれば、1960年に607万ヘクタールあった農地面積は、2016年の447ヘクタールまで減少。耕地利用率は134%から92%へと下がっている。