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デジタル経済は天使か悪魔か? プーチン・ロシアが模索する新たな国家主権

迷宮ロシアをさまよう 更新日: 公開日:
意外にもロシアではシベリアがデジタル経済の重要な開発拠点の一つになっている。写真は関連企業・機関が集積するテクノパークの管理棟で、未来的(?)な外観が印象的(撮影:服部倫卓)

デジタル経済を戦略的目標の一つの掲げるプーチン

しばらく前にお届けした「プーチンの『ロシア改造計画』はどこへ 人もコンクリートも重視の欲張りプロジェクト」 で報告したとおり、2018年5月にスタートしたロシアの第四期プーチン政権では、いくつかの重要な政策課題を設定し、それらに優先的に取り組もうとしています。

その一環として、ナショナルプロジェクト「デジタル経済」が始動しています。この政策プログラムにおいては、デジタル経済の発展に向けた支出の対GDP比を6年間で3倍に、ブロードバンド・インターネットに接続している家庭の割合が現状の72.6%から2024年には97%に、世界のデータ保管・処理に占めるロシアの比率を現状の0.9%から2024年には5%に、といった数値目標を設定しています。

ロシアのデジタル経済の内実は?

エネルギー・資源への依存から脱却して、経済の高度化を遂げたいロシアが、経済のデジタル化を志向することは、理解できます。

実際、日本人などが最近のロシアを訪問すると、想像していたよりも先進的な面があり、驚くことが多いようです。日常の買い物のキャッシュレス化や、スマホを使ったタクシー配車サービスなどは、我が国よりもずっと普及が進んでいます。

また、ロシアでは若くて有能なIT技術者の層が形成されており、外国企業がロシアにソフト開発を委託することも盛んになっています。コンピュータセキュリティのカスペルスキー社のように、世界規模で成功を収めている会社も出てきました。

しかし、問題は、ITがロシア経済全体を牽引するくらい大きな産業に成長できるか、またロシアのデジタル産業が国際競争力を発揮できるかということだと思います。先日ロシアで刊行された最新の『2019年版デジタル経済統計集』を紐解き、様々な指標を眺めてみると、あまり楽観的にはなれません。

この統計集によれば、ロシアはほとんどのデジタル指標で、欧米および東アジア諸国に水をあけられています。図表1に示されているとおり、ロシアのGDPに占める情報・コンピュータ・通信(ICT)部門の比率は3.4%で、ここに挙げられている主要国の中では最低という結果に。しかも、このところその比率はほとんど横這いです。

上述のとおり、近年ロシア企業やエンジニアが外国からソフト開発を受注するというビジネスが注目を浴びています。これを経済用語で言えば、ICTサービスの輸出ということになります。しかし、図表2に見るように、ロシアのICTサービス輸出は世界全体の0.8%を占めるにすぎず、とてもこの分野で大国とは言えません(輸入の方が多いので、ロシアはICTサービスの純輸入国となっている)。他方、図表2に見るとおり、ICT関連の商品(コンピュータ、スマホ、各種の機器・設備など)の輸出で、ロシアは世界シェアわずか0.1%。ソフトでも、ハードでも、世界のデジタル市場全体から見れば、ロシアの存在感はごく希薄なのです。人工知能(AI)、ブロックチェーン、仮想現実(VR)など、ロシアのデジタルテクノロジーが話題になることはありますが、今のところ技術・産業の卵と理解した方がいいでしょう。

確かに、スマホの効果もあり、ロシア国民のインターネット普及率・利用率などは、先進国並みに高まる方向にあります。しかし、ロシアの場合、利用率が高いのはSNSであり、個人にしても企業にしても、生産的な用途での利用は低水準です。図表3に見るとおり、ロシア国民のITリテラシーは、諸外国と比べて低い水準に留まっています。

デジタル技術には、既存の産業を掘り崩したり、雇用を奪ったりする効果もあります。ロシアにとってデジタル経済は新風ではありますが、今のままでは、単に外国から技術を導入したり、かえってグローバルなプラットフォームへの依存を深めるだけに終わってしまうかもしれません。

ネット通販ではロシアの逆襲が始まった

ただし、ネット通販の分野では、注目すべき変化が起きています。本連載では1年ほど前に、「ロシアにとって踏んだり蹴ったりな中国アリババのネット通販」 という話題をお届けしました。

1年前のコラムでは、ロシアでも諸外国と同様にネット通販が拡大しているものの、多くのロシアの消費者が国内ではなく外国(典型的には中国系のアリババ)の通販サイトに注文を出してしまうので、国内の通販業者が割を食い、ロシアに税金も落ちていないという問題を指摘しました。ところが、図表4に見るとおり、2018年には国内取引が急激に拡大したのです。

そして2018年9月に、ロシアにとっては画期的なニュースが伝えられました。中国系のアリババ・グループがロシア資本と合弁企業AliExpress Russiaを創設し、ロシアにおけるアリババのネット通販事業を同合弁に委ねることになったのです。AliExpress Russiaの株式比率は、アリババ・グルグープ48%、ロシア通信大手のMegaFonが24%、ロシア・ネットサービス大手のMail.Ru Groupが15%、ロシア直接投資基金が13%となっています。

ロシアのネット通販市場で大きなシェアを握っていたアリババ・グループによるビジネスが、ロシア国内取引に移行するということですから、ロシアにとっては大きな意味があります。また、ロシアの商品をアリババのネットワークに乗せて中国などの諸外国に販売することも想定されています。もっとも、2019年6月の報道によれば、AliExpress Russiaの具体的な設立・活動条件をめぐって交渉が続いているとされており、まだサービスはスタートしていません。ロシア側は、ロシアの顧客データがロシア国内で保管・管理されることに、強くこだわっているようです。

主権インターネット法が成立

筆者は、プーチン体制のロシアにおいて、価値体系の中核にあるのは、「国家主権」であると考えています。このほど、新時代における国家主権のありようを象徴するような法律が、ロシアで成立しました。2019年5月1日にプーチン大統領が、連邦法「情報、情報技術および情報の保護について」に署名したものです(一部の条項を除き発効は2019年11月1日)。通称、「主権インターネット法」と呼ばれています。

主権インターネット法は、ロシアが外国からサイバー攻撃を受けたような場合に、ロシアのネットをグローバルネットワークから遮断し、ロシアにおけるインターネットの機能継続を確保することが目的であるとされています。しかし、プーチン体制にとって不都合な内外の情報を遮断するためのネット規制だとの批判の声は根強く、大規模な抗議集会も起きています。

6月20日、プーチン大統領が自らロシア国民の要望や疑問に答えるという毎年恒例の「大統領ホットライン」が開催されました。その時にも、主権インターネット法を疑問視する声が寄せられ、プーチン大統領は「分かっていただきたいのだが、これはインターネットに何らかの制限を加えるようなものでは、まったくないのだ」と、躍起になって強調しました。

おそらく、プーチン政権が考えているのは、「世界の覇権争いは、20世紀までのような軍事力や経済力によるものから、今後はサイバー空間にシフトしていく。ロシアとしては、この分野での国家安全保障には、万全を期したい」ということなのでしょう。プーチン政権のそのような発想は、理解できないではありません。ただ、ロシアでありがちなように、過度にネット規制の方向に舵を切ると、政権の目玉政策であるデジタル経済化に、ブレーキをかけてしまうことにもなりかねません。