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ロシアのサッカー・フーリガンはどこに消えた

迷宮ロシアをさまよう 更新日: 公開日:
まだ本田圭佑が在籍していた当時のCSKAモスクワの試合の様子。あれだけ荷物検査が厳しいのに、サポーターはどうやって発煙筒を持ち込むのだろうか(撮影:服部倫卓)

杞憂に終わったロシアW杯のフーリガン不安

前々回に引き続き、サッカーの話題です。2018年6月14日がFIFAワールドカップ(W杯)ロシア大会の開幕日で、それからちょうど1年が経ちましたので、また語ってみたくなりました。

1年前のロシアW杯で印象的だったのが、見事に治安が保たれたことでした。諸外国のセキュリティのプロたちも、称賛していたようです。しかし、大会前には、不安も指摘されていました。大イベントに付き物のテロの脅威に加え、ロシア人フーリガンの存在がクローズアップされたからです。

というのも、近年、ロシアのサッカー・フーリガンの引き起こす暴力沙汰が、たびたび世間を騒がせてきました。特に、2016年の欧州選手権(ユーロ)フランス大会で起きた事件は、ヨーロッパ・サッカー界を震撼させました。これは、マルセイユでのロシア・イングランド戦に際し、観客席で両国サポーターが乱闘騒ぎを起こし、さらに試合後に市街で大々的な衝突が発生して、イングランド側の1人が亡くなったものです。

2016年のマルセイユ騒乱の衝撃は大きく、BBCは2017年に「Russian Hooligans: Sports Terrorism Documentary」という特別番組を放送しました。その中に、ロシア人フーリガンの一人が、「2018年のW杯では、我々は暴力のフェスティバルでお迎えする」と警告するシーンがあり、イングランド側は震え上がったようです。これ以降、英国のマスコミでは、ロシアからW杯開催権を剥奪すべきだとする論調が高まりました(むろん、2018年W杯招致でロシアに敗れた恨みもありますが)。

筆者自身は、ロシアW杯での治安の問題を、あまり不安視していませんでした。「ロシアで一番恐ろしいのは、テロリストでもフーリガンでもなく、国家権力。W杯では、そのロシア国家権力が万難を排して治安維持に当たるだろうから、フーリガンのことなど気にする必要はない」というのが、筆者の持論でした。

実際、筆者のこの見立ては的中し、ロシア当局はW杯で不測の事態の発生を一切許しませんでした。もっとも、だったらなぜ、決勝戦で反体制パンクバンド「プッシーライオット」の乱入を許したのかと、釈然としないのですが。

ロシアのサッカー警備は警官を大量投入した人海戦術で行われる(撮影:服部倫卓)

ロシア・フーリガンの秘密

ここで、ぜひ解説しておきたいのが、ロシアにおけるサッカー・フーリガンの特質です。

ロシアでフーリガン現象が本格化したのは、ソ連邦崩壊後の1990年代のことと言われます。それが初めて耳目を集めたのが1995年のことで、モスクワ随一の繁華街であるアルバート通りで、CSKAモスクワとスパルタク・モスクワのサポーターによる衝突が起きました。

その後、サポーターによる集団的なケンカが日常化し自己目的化するにつれ、それを戦う枠組みとなるフーリガングループが誕生していきました。そうしたグループのことを、ロシア語では「フィルマ」と言うのですが、ここでは「チーム」と訳しておきましょう。ちなみに、一つのサッカークラブに一つのフーリガンチームという対応関係ではなく、ビッグクラブでは複数のチームがあるのが普通です。CSKAであればヤロスラフカ、ユーゲント、スパルタクであればユニオン、シュコーラ、グラディエイターズ、ゼニトであればミュージックホール、スネークなどが有名どころです。

大きな転機となったのが、2010年にスパルタク・モスクワのサポーター1名が北カフカス出身のムスリム数名に殺害された事件でした。警察の捜査姿勢への不信もあって、モスクワ中心部の広場にサッカーサポーターを中心とする数万人の若者が繰り出し、警官隊と衝突。これは新生ロシアで最大規模の民衆暴動であり、また民族対立がロシアの国家体制を揺るがしかねない状況となりました。

危機感を募らせた政権側は、これ以降、フーリガン対策に本腰を入れることになります。プーチン首相(当時)は主立ったサポーター団体の幹部を招集し、不文律を取り交わしました。その要点は、次のようなものであったと考えられています。「諸君が、若い情熱の発露として、戦い合うことは黙認しよう。人目に触れない森や野原で殴り合うのであれば、我々は問題視しない。ただし、それをスタジアムや街中で行ってはならない。増してや、体制に歯向かうようなことは許さない」

これをきっかけに、ロシアのサッカー・フーリガニズムは、集団格闘技のような様相を強めていきました。今やロシアのフーリガンたちは、酒など飲まず、日頃からストイックに肉体を鍛え上げ、戦いの日に備えています。そして、日時・場所・人数をあらかじめ申し合わせ、決戦の場に赴くのです。チーム同士の対戦は、総合格闘技の「PRIDE」を集団でやっているような雰囲気です。対戦が終われば、お互いにハグをし、「良い戦いだったな。また会おう」などと言葉を交わして別れていきます。ある種、サッカーのパラレルワールドのような戦いが、人知れず繰り広げられているのです。

2016年のマルセイユ事件の動画を見てみると、ロシアのフーリガンの特質が良く分かります。イングランド側は、ビール瓶を投げたり、椅子を振り回したりして暴れています。それに対し、ロシア側は格闘技のファイティングポーズをとり、あくまでも素手で敵に立ち向かう姿勢を見せています。これぞ、ロシアのフーリガン・アスリートの美学なのです。

このように、ロシア国内に関して言えば、フーリガニズムは局所化され、森や野原に追いやられました。その結果、ロシアのサッカースタジアムは健全化され、最近では女性や家族連れも増えています。特に、ロシア代表の試合などは、平和そのもの。ただ、国内の規制が厳しくなった分、ロシア人フーリガンが外国に遠征すると、解放感からか、2016年のマルセイユのような事件を起こしてしまいがちです。

スパルタク・モスクワの本拠地でロシア代表の試合が開催された時の様子(撮影:服部倫卓)

すっかり飼い慣らされたフーリガン

もはやロシアのフーリガンは、体制と一体化した存在という面があります。一頃は、おそらくは金銭的な見返りを得つつ、プーチン政権による民主化運動や市民運動の抑圧に加担したりもしていたようです。マッチョイズム、排外主義といったフーリガンの価値観は、実はプーチン体制のイデオロギーと通底するところがあるのです。

ただし、2018年のW杯は世界が注目する晴れ舞台だったので、ロシア当局としてはフーリガンという恥部を覆い隠そうとしました。W杯が近付くにつれ、本件を担当する内務省過激主義対策センターによるフーリガン統制は厳しさを増しました。主要なフーリガンチームの幹部は頻繁に当局に呼び出され、大会期間中は騒ぎを起こさないよう、厳重に警告を受けたそうです。

当局は、普段からフーリガンたちの微罪に関する情報を蓄積し、彼らが体制の意に沿わない振る舞いをすれば、いつでも逮捕できるよう準備しています。フーリガンといえども、妻子のいる者も多く、普段は仕事や学校に通っているので、収監されたり、勤め先や学校から追放されるようなことがあっては一大事です。また、フーリガンチームは民間警備会社などの副業を営んでいる場合も多く、もしも当局ににらまれたら、そうしたビジネスも握りつぶされてしまいます。

こうしたリスクがあまりに大きいことから、W杯でロシアのフーリガンが外国のサポーターと衝突するようなことは、まずないだろうというのが、関係者の一致した見方だったのです。筆者がロシアW杯の治安に太鼓判を押していたのも、そうした分析を踏まえたものでした。実際、大会期間中、大物フーリガンたちは皆、ダーチャ(ロシア式の簡易別荘)などでおとなしく過ごしていたようです。

W杯後のフーリガンは?

2018年6-7月のW杯を経て、ロシア・サッカーの2018/19シーズンが開催されたわけですが、ロシアのフーリガンによる暴力沙汰は相変わらずのようです。フーリガンチーム同士の衝突が時折伝えられますし、2018年11月にはイタリアから遠征してきたASローマのサポーターを地元CSKAのフーリガンがモスクワ市中心部で襲うという事件も起きました。

こうした中で、当局のスタンスが変わってきたという見方もあります。ASローマのサポーターが被害に遭った事件を受け、公安当局はCSKA系のフーリガンチームを徹底的に摘発し、すでにその世界から足を洗っているOBたちにすら捜査の手が及んだということです。まるで見せしめのような厳しい捜査・摘発が行われたため、「当局はフーリガンの最終的な撲滅に乗り出したのではないか」という見方も広がりました。

その一方、これは暴力的なフーリガンではなく健全なサポーターの話ですが、サッカーのサポーターにまつわる新しい現象も見て取れます。ウラル地方の中心都市であるエカテリンブルグで、先日、正教会の聖堂の建立に反対する市民たちによる大規模なデモが発生しました。市民たちの憩いの場である緑地公園が失われてしまうことに、若者を中心とする多くの市民が反発したものでした。ロシア全国の注目を集めたこの騒ぎは、プーチン大統領が両陣営に対話を求め、対立はひとまず収束する形となりました。筆者が注目したいのは、デモ参加者の中に、地元サッカークラブFCウラルのサポーターたちも含まれていたとされる点です。

上述のとおり、一頃はサッカー・フーリガンがプーチン政権による民主化運動や市民運動の弾圧に加担するような現象もあったとされます。それが、エカテリンブルグの教会建立をめぐる対立では、地元サッカークラブのサポーターが市民運動の側に立つという変化が生じたわけです。サッカーサポーターが民主化運動の牽引役となるような現象は、2014年のウクライナの政変の際にも見られたものです。むろん、サッカーサポーターの力だけでロシアの社会や政治を動かせるわけではありませんが、見逃せない潮流の変化だと思います。