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ムルマンスクは北極海へのゲートウェイ ロシアの街物語(8)

迷宮ロシアをさまよう
世界初の原子力砕氷船レーニン号。現在はすでに退役し、ムルマンスク港に係留されて博物館として公開されている。(撮影:服部倫卓)

興味尽きない街ムルマンスク

前回、「スホーイ・スーパージェットの大事故でロシアの宿願が窮地に」と題するコラムをお届けし、5月5日にモスクワのシェレメチェボ空港で起きたアエロフロート機の事故を取り上げました。問題のアエロフロート便が向かうはずだった目的地が、北極圏のムルマンスクという街です。

ムルマンスクと聞いても、一般の日本人はほとんど馴染みがないでしょう。しかし、その戦略的重要性はきわめて高く、興味深いエピソードにも事欠きません。今回は北極海へのゲートウェイ、ムルマンスクの街物語を綴ってみましょう。

ムルマンスクの誕生

ムルマンスクが誕生したのは、1916年10月4日だったとされています。特筆すべきことに、ムルマンスクは、1917年に終焉する帝政ロシアで、最後に誕生した街でした。

当時は第一次世界大戦のさなかであり、ロシアは協商国側に立ってドイツと苦しい戦いを続けていました。バルト海はドイツに制圧されていたため、ロシアは同盟国である英仏からの支援物資を受け入れるため、北極海に面した「ムルマン」の地に港を築くことになりました。港は1915年に完成し、翌1916年の10月4日に正教会の聖堂完成に伴う式典が行われ、今日ではこれが街の生まれた日とされているわけです。

ちなみに、かつてロシア人はノルウェー人、ノルマン人のことを「ムルマン人」と呼び、そこから「ムルマン」が地名としても使われるようになり、コラ半島全体を指して「ムルマン」と呼ぶようになりました。1916年に誕生した港町は、「ロマノフ・ナ・ムルマネ」と名付けられ、これは「ムルマンのロマノフ」という意味でした。1917年のロシア革命でロマノフ王朝が廃止されたことを受け、同年に街の名は今日の「ムルマンスク」に改名されました。

港が誕生した当初は、ロシア軍はこの地に駐屯しておらず、英仏軍がドイツの攻撃から港を守ったということです。ロシア革命でロマノフ王朝が倒れたことを受け、最後の皇帝ニコライ2世は、この港を経由して外国に逃れることも画策したとか。第一次大戦が終結したことで、ようやく外国軍はこの地から撤退していきました。

ソビエト体制下で、独裁者スターリンの時代になると、ムルマンスクの発展が加速しました。1929年にこの地を訪れたソ連の文豪マクシム・ゴーリキーは、若い住民たちが街の建設に奮闘している様子を称賛したと言います。1930年代初めには、ムルマンスクはソ連で最も急成長している街と呼ばれました。

ムルマンスク海運会社の博物館。北極海航路開発の歴史を展示(撮影:服部倫卓)。

戦勝への貢献

1933年には最高権力者スターリンもムルマンスクを視察に訪れ、当地の防衛機能が強化されることになりました。これが、後のソ連(現ロシア)北方艦隊の始まりです。

この頃から、ムルマンスクを拠点としたソ連による北極海航行の試みも本格化しました。ソ連には北極海に面してもう一つアルハンゲリスクという港町がありますが、冬に凍結するアルハンゲリスクと比べて、不凍港であるムルマンスクの優位は明らかでしたので、ソ連の北極海輸送の本部は1936年にアルハンゲリスクからムルマンスクに移転しました。北極海航路の開拓を率いたのが、伝説的な船長のウラジーミル・ヴォローニンでした。北極海が航行可能な海であるということが明らかになったのは、ヴォローニンの功績だったと言われています。1938年にはソ連最初の砕氷船スターリン号も就航しました。

上述のとおり、ムルマンスクという港町が誕生したのには、第一次大戦下で英仏からの支援物資を受け入れるという使命を帯びたものでした。その使命は、第二次大戦の独ソ戦下で、復活します。すなわち、再びドイツと対決することになったソ連は、米国から「レンドリース」と呼ばれる武器貸与を受けることとなり、その主たる受入窓口の一つとなったのが、北極海に面したムルマンスク港だったのです。

しかし、その作戦は苦難に満ちたものでした。独ソ戦の緒戦で、ムルマンスクはドイツ軍による爆撃を受け、港は機能を失いました。1941年夏にレンドリース協定が成立し、連合軍がムルマンスクとアルハンゲリスクを視察したところ、ムルマンスクの惨状ゆえ、アルハンゲリスクが受入港として推薦されました。しかし、スターリンは不凍港のムルマンスクにこだわり、結局ムルマンスクが受入港に指定されたのです。ムルマンスク港が米国からの最初の支援船を受け入れたのは、1942年1月11日のことでした。しかし、その後もドイツによる空爆は続いて、当時のムルマンスクは木造家屋が主流だったこともあり、1942年6月には街がほぼ灰燼に帰す大被害を受けています。ムルマンスクがナチス・ドイツの脅威にさらされなくなったのは、ようやく1944年10月のことでした。

戦後になり、1974年に、港を見下ろす丘に、「ソビエトの極地の防衛者像」という巨大な石像が設置され、今日でも街のシンボルになっています(下の写真参照)。対独戦勝への貢献が認められて、1985年にムルマンスクは「英雄都市」の称号を授かりました。

ソビエトの極地の防衛者像(撮影:服部倫卓)

オーロラ観光の穴場

ムルマンスクと言えば、何と言っても、特筆されるのはその緯度の高さでしょう。ムルマンスク市は北緯68度58分であり、これより北が「北極圏」とされる北緯66度33分を優に超えています。筆者自身、2013年に仕事でムルマンスクに出張しましたが、「北極圏」に足を踏み入れたのは初めてでした。もちろん、これだけ緯度が高いと、夏は完全な白夜で日が沈まず、冬は逆に極夜となって太陽がまったく昇りません。ムルマンスクは、オーロラ観光の穴場となっており、日本からもツアーが出ているようです。

緯度的には北極圏ですが、ムルマンスク沖には暖流である北大西洋海流が流れているため、ムルマンスク港は不凍港となっており(本格的な貿易港としては世界最北の不凍港と言っていいでしょう)、当地は緯度のわりにはそれほど極寒の地ではありません。

今日のムルマンスクは、ロシア最大規模の漁港を擁し、北極海航路の起点であり、北方艦隊の司令部も置かれた街です。北極立国を目指すロシアにとって、まさに最重要拠点と言えるでしょう。

ただし、ロシア北方艦隊の基地が置かれているのは、州都ムルマンスク市から北東に25kmほど離れたセベロモルスク市というところで、ここには一般人は立ち入ることはできません。ムルマンスク市内にあるのは貿易港と漁港だけで、ここでは戦艦や潜水艦の姿を拝むことはできません。

その代わり、ムルマンスク港では原子力砕氷船の勇姿に触れることができます。1957年に進水した世界初の原子力砕氷船「レーニン号」は、1989年に退役しましたが、その後ムルマンスク港に係留され、現在は博物館として公開されています(冒頭写真参照)。現役の原子力砕氷船も、ムルマンスク港を母港としているので、港で目にする機会があると思います。