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中国の発禁作家が見た本屋の最新事情 「書店は増えた、言論空間はどうか」

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閻連科さん=2014年11月13日、北京、佐渡多真子氏撮影

カフカ賞作家・閻連科氏インタビュー インターネットの普及とともに冬の時代を迎えた書店。しかし、国策の後押しもあって中国では豪華な書店が次々と店開きしている。そんな現状をどう見るか。中国国内では発禁となっている作品も多いカフカ賞作家の閻連科氏は、書店増とうらはらに狭まる中国の言論空間を憂えた。(構成、写真=朝日新聞編集委員・吉岡桂子)

■書店なのか、カフェなのか

東京を訪ねたとき、店主が1人で1冊だけを売っている書店を見学しました。私も数年前、20平方メートルぐらいの場所を探して、1カ月か1週間ごとに1冊の本を売る本屋を考えてみたことがあります。私の本ではなく、私の好きな文学書を売る。選んだ本を通じて、私自身も語ることができます。うまく場所が探せず、それきりになってしまいましたが、今も夢です。

中国で書店が増えていること自体は良いことです。北京や上海など大都市だけでなく、新疆ウイグル自治区・ウルムチにも立派な書店がつくられています。政府が補助金を出すなど政策面で支援している。そして、書店は豪華で美しくなっている。これは間違いのない事実です。

ただ、新しく開店した書店の多くは、本そのものよりもコーヒーのほうがよくできています。カフェなのか書店なのかわからない。半分は冗談ですが。おいしいコーヒーも美しい店ももちろんいいことですが、私は書店を、カフェや文房具、ファッション雑貨などではなく、本にこだわりを持っているかどうかで判断します。

北京のショッピングモールにある書店「SKP RENDEZ-VOUS」。しゃれたカフェやチーズやワインを売る店、雑貨や文具店もある。1階にはルイ・ヴィトンなど高級ブランドが入居していた。中国では不動産開発と書店が一体となって動いている=2019年3月3日、北京

好きな書店は、店主が大事にしているものが伝わる店です。面積が大きいとか、たくさんの本があるとかではなく、書店主の選書の方針がはっきりとしていること。北京の大学街にある万聖書園は尊敬しています。お金もうけになりそうにもない本も置いてある。(中国共産党・政府の要人が執務する)中南海にも近い三味書屋は夫婦でずっと文学作品を扱っている。閉店しましたが、(北京の大学街にあった)風入松書店、上海で(知識人が集う場だった)季風書園も懐かしい。

北京の大学街にある万聖書園。「通過閲読 獲得解放」に店主劉蘇里の思いがこめられている。民営書店の先がけとして93年に開業した=2019年3月3日、北京

作家の立場で言えば、中国において声を発することは、ますます厳しくなり、その空間は小さくなっています。これは世界で広く知られる通り、明らかです。もともと中国では、文化大革命や六・四(天安門事件)など多くのテーマで自由に書けない問題がありました。いま、直面している変化は、外国の翻訳本を含めて初版では検閲を通った作品が重版にあたって問題視され、出版できなくなったり、部分的な削除を求められたりすることです。

■本の種類は減っている

本の読み手が増えているかどうかは、うーん、よくわかりませんね。ただ、書籍の出版点数は減っているのです。中国では出版は許認可制で「書号」と呼ばれる管理番号が必要です。この数は年々減っており、本の種類が減っていることを示しています。中国共産党が指定する政治書や子どもの教育のための児童書が増えていることは間違いありませんが、議論を呼びかねない書物は減っています。書店の価値を考えると、店主が選書できる多様な出版物があるかどうかは非常に大切なことだと思います。

上海の知識人が集う場だった季風書園が18年1月に閉店した跡地に、上海図書館傘下の「上図書店」が開業していた。20年の歴史を持つ「季風」の閉店は家賃交渉の不調が理由とされるが、背後に当局の圧力があったとみられている=2018年8月9日、上海

(言論の統制は)書き手を変えます。出版にこぎつけるためには、妥協が要る。同じ内容だけど、直接的に表現せず、婉曲に記述し、より芸術的に変えたんです、と説明できるかもしれない。けれど、自分ではわかるでしょう。長期的にみると、作品だけでなく作家の心にも影響を及ぼします。中国の若い作家が直面する困難さは非常によくわかる。家庭があり、子どもは小さい、自分自身もまだまだ生きていかなければならない。手のひらからペンとパソコンのキーを失ってしまうわけにはいかない。なにも中国に限られた問題ではない。第2次世界大戦のときの日本を含めて世界中に似たような歴史があります。

■沈黙は、したくない

書くことが自由ではないときに、小説という芸術が持つ価値や、長い目で見た意義を考えてみる。文学とは何かと。社会問題を解決できるほどの大きな力はない。しかし、沈黙は、作家として選択すべきではないと思っています。私は1958年生まれで60歳をすぎた。もし、沈黙してしまったら、黙っているうちに人生が終わってしまうかもしれない。作家として向こう10年が大事なときです。だから妥協はしません。これは、勇気とか正義とか政治思想とはなんの関係もない。私の年齢が私に著作を促すのです。

閻連科さん。香港科技大学の客員教授も務める=2018年8月4日、香港

中国の現実に注目し、中国人の生きていくことの困難さ、個人の存在が社会で消されていく過程--。どんな時代の変化があろうと、これを書き続ける。どのように中国の現実に向き合い、書くか。最も現実的な問題は、最も芸術的な表現が難しい。だからこそ、作家の力量が試されます。

中国ではロシアの「収容所群島」(著者ソルジェニーツィン氏は旧ソ連の非人間的な社会を描いて国外追放された)のような作品は書けない。トルストイのような文学作品を書く能力はそうそうない。しかし、両方の要素を結合して、中国の現実に向き合い、長く読まれる文学をつづっていく行為は歴史的にも力を持つものだと思います。

中国だって作家を小説ひとつで監獄に放り込むほどはむちゃくちゃじゃありません。(中国大陸では)出版できずとも、香港でも台湾でも、日本でも出版できる。世界にいる読者こそ作家にとって大きな支えになります。中国の読者は非常に開放的な態度です。外国の方々が想像するような民族主義、愛国主義で本に向き合ってはいません。どこの国の作品でも、好きな本を読みます。中国の読者が日本の名作を読むのは今に始まったことではありません。芥川龍之介、夏目漱石、川端康成、大江健三郎、三島由紀夫、さらに古典も読まれてきました。

閻連科さん=2014年11月13日、北京、佐渡多真子氏撮影

■日本の作家に来て欲しい

80年代生まれ、90年代生まれの若者たちは、日本文学に親近感を持っています。村上春樹さんの先へと関心がのびています。私も「小さなおうち」の著者、中島京子さんに会いました。主人公が語る形をとりながら、背後に第2次世界大戦の歴史をすえている。日本の私小説は非常にいい。日本文学の伝統の一つだと思います。彼女のファンは中国にも多い。彼女のような日本の作家がもっと中国に来て読者や中国の若い作家と交流することを期待しています。日本のベストセラーが同時に中国でも広く読まれ、時代を共有することは素晴らしいと思います。

「本屋さんに行こう」連続インタビュー

#1 中国の発禁作家が見た本屋の最新事情 「書店は増えた、言論空間はどうか」

#2 「西安のソクラテス」が、考える人を中国で育てる

#3 ゆとりを得た世代の「知への欲求」 市民の力が中国の書店を支える

#4 中国が向かう「書店4.0」とはどんな世界か

#5 変化のスピード、半端ない 韓国・独立書店の顔が語る本屋事情

#6 「本が売れないからコーヒーを」ではない 韓国の経験が教える生存戦略