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ノートルダム大聖堂は、モニュメント(記念物)としてヨーロッパで最も多くの訪問者を受け入れているといわれます。年間の観光客や巡礼者は約1300万人で、入館者が昨年一千万人を超えたルーブル美術館、約500万人を受け入れたベルサイユ宮殿などを大きく上回ります。ルモンド紙によると、40万人以上の生活を支える存在でもあり、門前町にあたるサンミシェル界隈はパリの一大観光拠点となっています。
その賑わいは、大聖堂がパリを代表するモニュメントとして認知されているからに他なりません。現実面で見ると、大聖堂が入場無料であることも、人気に一役買っているでしょう。ノートルダム大聖堂は1905年の政教分離法によって国家の所有と位置づけられる一方、永続使用権を認められているカトリック教会が維持費や保全費を負担し、利用者の自由なアクセスを確保することになっているからです。同様に、フランスで多くの教会や聖堂に、入場料は求められません。
この大聖堂が着工されたのは1163年で、約100年にわたって工事が続きました。一通り完成したのは14世紀だと考えられます。その後、大きな火災こそなかったものの、破壊と修復は繰り返され、特にフランス革命後には何度も略奪を受けました。1804年、ナポレオンはこの大聖堂で戴冠式に臨みましたが、その際には石灰で応急的に整えられたといわれます。その場面は、新古典主義を代表する画家ジャックルイ・ダヴィッドの大作「ナポレオンの戴冠式」に描かれ、ルーブル美術館で最も人気の高い作品の一つです。
ノートルダム大聖堂は、パリの南西100キロ近くにある世界遺産「シャルトル大聖堂」に比べると、建築美で劣るといわれます。にもかかわらず、パリの中心シテ島に位置することから、ナポレオンに限らず近代以降のフランスの元首にまつわる重要な行事を引き受けました。大聖堂は約9000人を収容しますが、都市化が進んだパリでこれほど多くの人を集める施設がほとんどなくなったからでもあります。
王政時代以降の歩みは、ほぼ同等の規模を持つ周囲の大聖堂との違いも際立たせました。パリの東北約150キロにある世界遺産「ランス大聖堂」は、歴代フランス国王の戴冠式の場となってきました。ジャンヌ・ダルクがシャルル7世に王位を継承させるためにランスに進軍したのはよく知られています。しかし、王政廃止とともにその役割も途切れ、次第に衰退しました。また、パリ北郊の「サンドニ大聖堂」は歴代国王の墓所で、政治的にはノートルダム大聖堂より重要だと見なされてきましたが、同様に王室の消滅とともに影響力を失いました。
逆に、王室べったりでもなかったパリのノートルダム大聖堂は、王政廃止後に共和国の権力者が力を誇示する劇場として地位を確立しました。1945年には第2次世界大戦勝利を祝う式典会場となり、戦後はドゴール、ポンピドゥー、ミッテラン各大統領の国葬会場としても使われたのです。ノートルダム大聖堂がフランスを代表する存在として認知された背後には、これら歴史的には比較的最近の行事が大きく作用しています。
ただ、それだけだとノートルダム大聖堂は国威発揚の施設にとどまっていたでしょう。市民の間で人気を呼ぶきっかけをつくったのは、1831年に発表されたヴィクトル・ユゴーの初期の代表作「ノートルダム・ド・パリ」でした。
中世の大聖堂を舞台にしたこの小説は、それまでの文学の定番だった英雄や貴婦人の活躍物語ではなく、ジプシーの少女エスメラルダや、孤児として大聖堂で育てられた醜い鐘突き男カジモドを主人公としています。それが大評判となり、映画やミュージカルとなって後世に受け継がれたのは、庶民の恋愛感情や葛藤がいきいきと描かれていたからに他なりません。庶民に向ける作家のまなざしは、自らも恋や人間関係に悩み、権力と対峙して亡命生活を過ごしたユゴー自身の生き様と重なっています。彼が「フランスの国民作家」と呼ばれるゆえんです。
ユゴーはつまり、大聖堂を、単に聖職者や権力者のための存在としてでなく、ジプシーの少女や鐘突き男にとってのよりどころとしても描いたのです。小説の成功は、ノートルダム大聖堂を市民に身近な存在として定着させました。同時に、小説は人々の大聖堂への関心を喚起し、荒れ果てていた建物を修復する道を開いたのです。
尖塔や屋根など今回焼失した部分の多くは、こうして19世紀に補修されたり再建されたりしたところです。ステンドグラスの多くも19世紀以降設置されたものですが、一部はそれ以前のものが残っています。今回被害が出なかったか、懸念されるところです。
今回の火災を受けて、修復再建を目指す広範囲な募金運動が早くも立ち上がりつつあります。それは、ノートルダム大聖堂が歴史を象徴する文化遺産であると同時に、多くの人々にとって身近な存在だったからでもあるでしょう。この動きが、大聖堂の意義と役割を再認識するきっかけとなるよう、望んでやみません。