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どんなに人気でも土日は休む パリの超有名ブーランジェのこだわり、理由はシンプル

LifeStyle 更新日: 公開日:
どんなに人気でも、土日は必ず休む主義のパン店主、クリストフ・ヴァスールさん。右は店員の女性=パリ、玉川透撮影

■日本人観光客も並ぶブーランジェリー

パリ10区、サンマルタン運河の近くにあるブーランジェリー「Du Pain et Des Idées(デュ・パン・エ・デジデ)」。19世紀のパン屋を改装したアンティーク調の店内をのぞくと、焼きたてを買い求めるお客でごった返していた。最高品質のオーガニックな材料を用い、フランス伝統の製法でていねいに焼き上げたパンはパリジャンにも定評があり、地元の美食ガイドで何度も受賞している。クロワッサンやフランスパン、厚さ5センチの名物「パン・デ・ザミ」が、ショーケースに並ぶそばから売れていく。東京に系列店が進出したこともあり、本店と味比べしたいと訪れる日本人観光客も少なくないという。

人気でも土日は必ず休むパン店「Du Pain et Des Idées」で売られているパン=10月2日、パリ、玉川透撮影

だが、どんなに人気が出ても、営業は平日5日間だけ。創業者のクリストフ・ヴァスールさん(51)にその理由を問うと、答えは率直だった。「簡単です。生活の質を下げたくないからです」

かつて、クリストフさんは香港を拠点に、日本のアクセサリー会社の営業マンとして世界中を飛び回っていた。「常にオンの状態」で、土曜も朝から働き、たまの休日も取引先との会食やカラオケに費やす日々。仕事とプライベートが入り交じる生活が続いていたある日、銀座の老舗デパートで打ち合わせをしていて、ふと思った。「アクセサリーは人間が生きるために必須ではない。それを売り続ける自分は本当に幸せなのだろうか」

人気でも土日は必ず休むパン店「Du Pain et Des Idées」の店先で買ったばかりのパンに舌鼓を打つ人々=10月2日、パリ、玉川透撮影

思い悩んで同僚たちに相談すると、頭がおかしくなったのかと言われた。しかし、クリストフさんは真剣だった。そのとき浮かんだのが、幼いころ憧れていたブランジェ(パン職人)だった。フランス人にとって、毎日食べるパンは「命」そのもの。今までパンを作って友達に振る舞ったことはあったが、趣味の域を出なかった。1999年、会社を辞め、パリの職人に弟子入りして技術を磨き、フランスの国家資格を取得。2002年、ついに自分の店を開いた。

「人生は仕事だけじゃない」がポリシーのクリストフさんは、従業員の働き方改革にも取り組んだ。個人経営のパン店の多くは、朝一番に焼きたてのパンを店頭に並べるため、パン職人は深夜2時ごろから働いている。しかし、クリストフさんの店では、午前5時、7時、12時のシフト制を採用。あえて朝一番にすべての商品を店頭に並べることはせず、時間差で売り出す方式にした。

どんなに人気でも、土日は必ず休む主義のパン店主、クリストフ・ヴァスールさん=パリ、10月2日、玉川透撮影

パリでは近年、中国人ら外国人観光客たちの「爆買い」を見込んで、デパートなど週末も営業する大型店が増加。個人営業のブーランジェリーは厳しい戦いを強いられ、売り上げ維持のために営業日を増やす店が増えているといわれる。

しかし、こうした動きに、クリストフさんは反対する。「週末営業すれば、確かに売り上げは増えるでしょう。でも、代わりに面倒なことや、失うものも増える。人生はお金だけでは語れません。家族と過ごしたり、気の置けない仲間とレストランでのんびり食事したりすることこそ、人生だと思っています」

現代人の心が「消費」に向かいすぎているのではないか。クリストフさんが週末営業をしない背景には、そんな思いもあるという。「例えば、最新型のスマートフォンが発売されるたびに手に入れたくなる。またお金が必要になり、働く。欲望とは際限のないものです。それを抑えて、自分の幸せがどこにあるのか。日々、考えています」 

■「13時間以上働くと不幸に」?

仕事よりプライベートの充実を優先し、家族で何週間もバカンスを楽しむ――。フランス人といえば、そんな「休み上手」のイメージが強い。実際、労働政策研究・研修機構によると、フランスの一人当たり平均年間総実労働時間(2016年)は1472時間。1713時間の日本人にはうらやましい話……と思いきや、それも過去の話になりつつあるようだ。インターネットやスマートフォンなどデジタル機器の急激な進歩で、仕事とプライベートの境界線はあやふやになり、事実上の労働時間が延びているといわれる。クリストフさんのような生き方は、少数派になりつつあるのかもしれない。

そんなフランスで約140年前、熱狂的に受け入れられた本がある。フランス人の社会主義者、ポール・ラファルグ(18421911)の「怠ける権利」だ。1880年に初版が刊行された著作の中でラファルグは、「人間は13時間以上働くと不幸になる」と訴えた。

ラファルグが育った当時のフランスは、1848年のニ月革命を受けて労働者の『働く権利』が掲げられ、労働が賛美された時代。くしくもラファルグは、「労働者の権利」を論じたドイツの思想家、カール・マルクスの娘婿だった。彼の主張は、当時の風潮と義父の思想に真っ向から反論するものだった。

しかし、「13時間の労働」とは、あまりにも極端に聞こえる。

「確かに破天荒なところもありますが、彼の主張はその後にレジャーの概念を生み出すきっかけを作り、18時間労働の実施にも影響を与えたと言われています」。大妻女子大学教授で、「怠ける権利!」(2018年、高文研刊)の著者、小谷敏氏はそう語る。

小谷敏・大妻女子大教授

小谷氏によれば、ラファルグは、産業革命による過剰な労働で欧州の民衆の健康状態が損なわれ、「生きる喜び」が奪われていたと感じていたという。過剰生産で物価が下がり、企業収益が低下して不況に陥る。そうなれば、ブルジョアたちは労働者を雇用しなくなる。だとすれば、怠ける権利を宣言し、13時間以上働かず、残りの時間はうまいものを食べ、怠けて暮らすように努めねばならない――。彼はそう考えたのだった。

小谷氏によれば、「怠ける権利」はラファルグの死後も消え去ることなく、戦後成長期のフランスや西ドイツ、日本でよみがえり人々の心を捉えてきた。特に、オートメーション化が進み、人間の仕事が機械に奪われるという不安が広がった米国で、ラファルグの思想が静かなブームになったという。

「いまも、当時の状況に近いものがあるかもしれません。近い将来、人工知能(AI)に人間の仕事が奪われるかもしれない。そして、バーンアウト(燃え尽き症候群)や過労死が社会問題になっている現代に通じるものがある」と、小谷氏は指摘する。

「みんなが怠けていたのでは、社会は成り立たない。それはその通りですが、死に至るまでの労働を拒否する権利をもたない人間は自由とはいえない。いまこそラファルグの『怠ける権利』に耳を傾けてみる時ではないでしょうか」