もしも今、マリア・シュナイダーが生きていたら、「#MeToo」運動の先陣を切っていたのではないか。世界中にスキャンダルを巻き起こした「ラストタンゴ・イン・パリ」(1972年)の数ある性描写の中でも、暴行同様のアナルセックスの場面は、演技とはいえ、ベルトルッチ監督とマーロン・ブランドが示し合わせて、マリアを驚かす形で撮影が行われた。19歳の駆け出し女優は、ふたりの世界的スターに人形のように扱われたのだ。性の解放と自由が謳われていた70年代だったが、だれも若い女優の受けた心の傷に目を向けなかった。それどころか、彼女は貶められ、唾を吐きかけられた。
『あなたの名はマリア・シュナイダー(Tu t’appelais Maria Schneider)』は、しだいに麻薬依存に絡め取られ、立ち直ろうとあがきながらそれでも演じることをやめず、58歳で逝ったこの女優の痛々しい生涯を、17歳年下のいとこで「ル・モンド」紙の政治記者が、あえて親族の目線で描いたノンフィクションである。
作品の冒頭、マリアの葬式でアラン・ドロンがブリジット・バルドーの手になる追悼文を読み上げる。フランス映画界のもうひとりのセックス・シンボルは、さっさと映画界に愛想をつかしてスポットライトから身を引き、動物愛護に全霊をかけていた。同時に彼女は、若きマリアを庇護し、最後までマリアに心をかけた知己のひとりでもあった。
作品では、マリアが青春を、著者が子ども時代を生きた70年代が、シュナイダー家を舞台に活写される。著者の父(マリアのおじ)は毛沢東の死に涙した過激な左派で、生活はヒッピー・スタイルながら高級官僚。その家に、マリアはよくころがりこんできた。マリアに憧れ、畏怖し、生涯を見守った著者は、抑制のきいた文体で、狂気や死の匂いのつきまとうシュナイダー家を内側からえぐるように描く。文体の背後に滲み出る愛情が、マリアの人生にひとつの救いを与えている。
死の床でも、見舞い客にシャンパンを要求し、その場でグラスを傾けたマリア。シャンパンの弾ける気泡のように輝いていたはずの若かりしマリアの姿を、もう一度目にしたくなる。彼女が誇りにしていたという、アントニオーニ監督の「さすらいの二人」(75年)のビデオテープを巻き戻してみたい。
テロリストに転じた若者の「弱さ」に寄り添う
以下に紹介する2作はどちらも、世界中を震撼させた、パリにおける過激派組織「イスラム国」(IS)によるテロ事件を舞台にしている。
ヤスミナ・カドラ著『Khalil(カリル)』の舞台は、2015年11月13日、フランス・サッカー競技場に集まった人々を狙ったテロ事件だ。主人公のカリルは、自爆装置が作動せず、「栄誉ある死」に失敗し、ベルギーへと逃げ帰る。自らの命を賭してひとりでも多くの群衆を殺戮しようとした若者の心の内を、どんな苦しみや葛藤や空虚が支配していたのか。カドラは物語の力によってテロリストの内面に肉薄しようとする。
カドラはアルジェリア出身のフランス作家。イスラム原理主義がその作品の重要なテーマのひとつだ。15年には、リビアのカダフィ大佐を語り手とした作品も発表している。
テロリストの行為を肯定しているようだという反発を引き起こしかねないが、『カリル』は、イスラム原理主義に絡め取られた若者の迷いや弱さや浅はかさにとことん寄り添うことで、憎しみや絶望がもたらす荒廃した世界から、わずかに残る人間性を掬い出そうとしているかのようだ。
シャルリー・エブド襲撃事件の生き証人がつづる記録
対する『Le lambeau(切れ端)』は、同年1月7日、編集部員や警察官ら計12人が殺害された、シャルリー・エブド襲撃事件を物語る。作者のフィリップ・ランソンはその日の会議に参加していたジャーナリストのひとり。顎を銃弾にもぎ取られながら死の手を逃れた。
カドラの小説とは対照的に、想像力を駆使した虚構ではなく、事件の生き証人が、事実を事実として書き留める困難に勇敢に立ち向かった闘いの軌跡である。
あり得ない、あってはいけないような現実を生きた時、人はどのようにその「事実」を書き留めることができるのか。「そのこと」を描くのはもちろんだが、「そのこと」が起こってしまった前と後の、その一瞬の差は永遠に近く、その永遠の時間を描けなければ、おそらく作者は事件後を生き続けることができなかったにちがいない。克明かつ一切のナルシシズムを排したランソンの文章に、読者はひたすら圧倒される。
病院という場所が著者の日常となり、十数回におよぶ外科手術が行われることになる。その過程で、著者の根本的な生の意識の転換と脱皮が、子ども時代の遠い記憶に導かれて、ひそやかに進行する。その意味で、本書は単なる記録を超え、プルーストやカフカに通じる文学の真髄に迫っている。
病院通いは長期的に続くことだろうが、作者はインタビューに答えたり読者と交流したり、時が止まったままだった「日常」を取り戻しつつある。
フランスのベストセラー(フィクション部門)
9月5日付L’Express誌より
1 Les prénoms épicènes
Amélie Nothomb アメリー・ノートン
ベストセラー作家が再び家族および父と娘の愛憎関係にメスを入れた最新作。
2 Un monde à portée de main
Maylis de Kerangal メイリス・ド・ケランガル
心臓移植をテーマにした前作に続き、今回はだまし絵を描く若い女性が主人公。
3 À son image
Jérôme Ferrari ジェローム・フェラーリ
コルシカ女性写真家の生涯を通し、映像と現実と死の関係性が掘り下げられる。
4 La disparition de Stephanie Mailer
Joël Dicker ジョエル・ディケール
ディケールお得意のアメリカが舞台。一家殺人事件をめぐる謎の果てに何が……。
5 Le lambeau
Philippe Lançon フィリップ・ランソン
2015年のシャルリー・エブド襲撃事件。生き残った作者の渾身の証言。
6 Khalil
Yasmina Khadraヤスミナ・カドラ
パリ同時多発テロ事件でサッカー競技場を狙った犯人のひとりの内面に降り立つ。
7 Tu t'appelais Maria Schneider
Vanessa Schneiderヴァネッサ・シュナイダー
「ラストタンゴ・イン・パリ」でスキャンダルを撒き散らした女優の生涯。
8 La Jeune Fille et la nuit
Guillaume Mussoギヨーム・ミュッソ
25年を経て再会した3人の学友は、ある殺人事件で結ばれていた。
9 My Absolute Darling
Gabriel Tallentガブリエル・タレント
社会から孤立し支配的な愛情を注ぐ父と娘の息詰まるような関係を描く。
10 Forêt obscure
Nicole Krauss ニコール・クラウス
姿を消した富豪の謎と人生に行き惑う米作家の彷徨がテルアビブで交わる。