ドイツでは今「MeToo」ならぬ「MeTwo」運動が盛んです。
このMeTwoのTwoは英語で「2つ」の意味です。つまりMeTwoは「私にも祖国(やルーツ)が『二つ』あります」と訴えかける人々の投稿なのです。Twitterには#MeTwoのハッシュタグのもとドイツ語の投稿が数多くあり、ドイツのメディアでもMeTwoにまつわる発信が多く、ひとつの運動になっています。
ことの発端は、今年6月のWorld Cupロシア大会(FIFAワールドカップ)。ドイツが早々と負けて退散し、ドイツ国内で残念さと悔しさの雰囲気が漂っていた時に、トルコ系ドイツ人であるメスト・エジルがトルコのエルドアン大統領とともに撮った写真について非難の声が高まったことです。写真は、大会前に撮影されたものでした。
「ドイツ代表であるにもかかわらず、トルコのエルドアン大統領とともに写真に納まるのはいかがなものか」とスポットが当たり、議論が巻き起こりました。ドイツサッカー連盟のラインハルト・グリンデル会長も、大会後のインタビューで、「エルドアン大統領との写真撮影について、エジル本人が公に意見を示さなかったこと」に苦言を呈しました(後に会長はエジルに謝罪)。ドイツを含む欧州では、エルドアン大統領はジャーナリストを拘束するなど人権侵害をしている政治家という認識があり、現在欧州では同氏を「独裁者」と見なす風潮が強いです。そんな中、エジルに対してドイツ国内では「ドイツのチームのサッカー選手であり、ドイツで育ったのに、なぜ民主的ではないトルコの大統領に会ったり写真に納まったりするのか」という批判が繰り返されました。エジルは大統領を支持しているのではないか、と疑問の声も上がりました。
この騒動のなか、エジルは7月末にドイツ代表からの引退を表明するとともに、その理由が人種差別であると発表しました。
エジルはトルコ系移民の三世で、本人はドイツで育ち、国籍もドイツですが、日ごろよりドイツサッカー連盟から差別をされたり、ドイツのサッカーファンからトルコ系であることについて差別的な言葉を投げかけられたりすることがあったといいます。エルドアン大統領とともに撮った写真が批判を浴びるなか、彼は「僕は(サッカーで)勝てばドイツ人、負ければ移民」と言い残しています。ドイツには約300万人のトルコ系の人(そのうち約半数以上がドイツ国籍)が住んでいますが、エジルが発言したことで、かねてよりドイツに存在した差別問題が浮き彫りにもなりました。
エジルは「僕にはドイツとトルコ、二つのハートがある」とも綴っています。彼の「もうひとつの祖国トルコ」のトップである人物がたまたまエルドアン氏だったのであり、チャリティーイベントで会ったことも、ともに写真に納まったことも政治的な意図はなかったと説明しています。会った際には、そもそもサッカーの話しかしなかったといい、「愛するもう一つの祖国、トルコの大統領に敬意を示さなければいけないと思った」と語るとともに、自身が母親から受け継いでいるトルコの伝統も大事にしていると語りました。
#MeTwoのもと、声を挙げ始めた当事者たち
エジルの「僕にはドイツとトルコ、二つのハートがある。」発言を受け、著述家で多文化的な平和をコンセプトとした協会「異文化間の平和」(独: Interkultureller Frieden e.V.)の代表を務めるAli Can氏がSNS上でMeTwo運動を発起しました。同氏は「自分が住んでいるドイツに愛着を感じるとともに、自分が生まれたトルコの村の人々にも愛着を感じる」とした上で、「ドイツで物件を探す際に不動産屋さんで、すぐに自分の職業を言い、ドイツ語に流暢であることを早い段階でアピールしないと、外国風の名前と容姿ではねられてしまう」とその苦悩を語っています。これを受け、ドイツ在住の外国にルーツのある人々が#MeTwoのハッシュタグのもと、自らがドイツでの日常生活の中で受けている差別について投稿しています。MeTwo運動のキーワードは、「祖国やルーツが二つ」そして「そのことで受けている差別」です。
この「祖国が二つ」には筆者もドキッとしました。というのは、自分にも日本とドイツという二つの「祖国」があるわけですが、幼いときの経験、そして大人になってからの経験を通して「両方の国が同じぐらい好きで、二つの国を祖国だと思っている」という気持ちを持ちつつも、この考え方への理解が得られない場面にもたびたび直面してきたからです。「祖国が二つ」と言っても、「それで結局あなたは何人(なにじん)なのですか?」と苛立ちとも思えるようなリアクションは日本、ドイツを問わず少なくありませんでした。両方の国に愛国心があるといのは、一部の人にとっては「矛盾」にうつったり「なんだか怪しい」と感じたりすることがあるようです。
#MeTwoを語る上でTwitter上でも、「ドイツも好きだけど、自分のルーツの国も同じぐらい好き」という発言が時に周囲から理解されなかったり、裏切り者として見られてしまったりする、という苦悩が綴られています。
ただこの#MeTwo運動に関しては、「当事者」と「そうでない者」の間の温度差も目立ちます。外国にルーツのある人々が様々な体験を語る一方で、「私は差別をしたことがない」「あなたは体験を誇張している」「たいしたことのないことだ」といった反論も相次いでいて、非常に難しい問題となっています。そんな中、ドイツのZeit紙は、「白人であることによって、当たり前のように自分が有利なポジションにいることに気付かない人が多い。『あくまでも差別はKu-Klux-Klanのような特殊な人達がするもの。自分は関係ない』といった認識が、日常生活において、自覚のないまま白人でない人の意見を軽視したり、差別をしてしまうことにつながっている。」という社会学者Robin DiAngelo氏の見解を紹介しています。
「話題の振り方」にも注意が必要?
#MeTwoにおいては当事者の悩みとして、人と知り合いになる時などに「自分のルーツがある国の政治情勢について話題を振られる」というものもあります。ときには初対面で「貴方は自分の国の政治家の誰々について、どういう意見ですか?」と聞かれることも。その際、回答を濁したり、その政治家が好きだと言ったりするような回答は認められず、あくまでも「ドイツの世論が良し」とする回答をしないと、しつこく詰め寄られるという声が上がっています。
また、ドイツ以外の「祖国」に愛国心があっても、それがイコール「その国の政治家」を支持しているとは限らないのに、たとえばトルコ系ドイツ人が「トルコが好き」と言うと、「どうせあなたはエルドアンを支持しているのだろう」と言われることもあるようです。
この騒動では国の政治情勢や二国間関係に個人が翻弄されている現実が見えてきます。エジルに関しては、どのようないきさつであれ、面会は断るべきだったという意見も出ています。でも、それは当事者にとってかなり酷なことではないでしょうか。両国の関係がよければ、それは容認され、そうでない場合は即、世間から牙が向けられるという危険を孕んでいるように思います。
根が深いこの問題ですが、当事者が一人で悩んだり、仲間内だけで語り合う時代は終わりを告げ、当事者に声をもたらしたドイツのMeTwo運動はひとつ大きな前進なのかもしれません。そしてもちろんそのことにより引き起こされた議論も長い目で見れば社会にとって意味のあるものだといえるでしょう。
そしてドイツのみならず、ほかの国に関しても「ルーツが違う国にある人」「祖国が二つある人」が時に色眼鏡で見られる事実があることを考えると、このドイツの#MeTwo運動は決して他人事だとは思えないのでした。