「反スポーツ」と判断されたジェスチャー
広げた羽根の上で二つの頭が互いにそっぽを向いている「双頭の鷲」のシンボルを、多くの人は目にしたことがあるでしょう。
ロシアの国章、オランダやドイツなどの各都市の市章、欧州各地の王家の紋章などに頻繁に登場する意匠です。その名を聞いて、ワグナーの行進曲「双頭の鷲の旗の下に」を思い浮かべる音楽ファンがいるかもしれません。
起源は古代メソポタミア文明にまでさかのぼるそうですが、中世からの神聖ローマ帝国で紋章に採用され、欧州に広く定着しました。
サッカー・ワールドカップ(W杯)ロシア大会のセルビア対スイス戦で、ゴールを決めたスイスの2選手がこの「双頭の鷲」を思わせるジェスチャーをして、騒ぎを引き起こしました。
国際サッカー連盟(FIFA)の規律委員会が調査に乗り出し、2選手は「反スポーツ的行為にあたる」として罰金を科せられました。
そのしぐさは、開いた手を体の前で交差させた程度です。知らない人なら、それが鷲を意味するなどと思いもしないでしょう。
2選手自身は意味するものを説明していませんが、彼らがアルバニア系だったこと、対戦相手がセルビアだったことから、このふるまいは政治的なパフォーマンスと見なされました。バルカン半島の血なまぐさい歴史を想起さえさせたのです。
抑え込まれたふるさとの民族ナショナリズム
スイス代表のこの2人は、セルビア戦で同点ゴールを決めたグラニト・ジャカ選手と、決勝点を挙げたジェルダン・シャキリ選手です。
ジャカ選手はスイス生まれですが、コソボ出身の両親を持つ移民2世です。シャキリ選手はコソボ生まれで、幼少時に家族でスイスに移住しました。コソボの住民の大半は隣の国アルバニアと同じ民族で、2人の選手の家族もともにアルバニア系です。
コソボはもともと、中世のセルビア王国の中心として栄え、住民の多くがスラブ系のセルビア人でした。17世紀以降、彼らは北部に移動し、代わってイスラム教徒のアルバニア人がコソボに住み着きました。
アルバニア系は次第に増え、人口の9割前後を占めるに至りました。
一帯は、オスマン帝国やハプスブルク帝国の影響から帰属が二転三転した激動の地域です。第2次大戦後は社会主義のユーゴスラビア連邦に包含されました。
連邦内の共和国セルビアが首都ベオグラードを擁し、政府軍や治安部隊内で強い影響力を持つ一方、コソボはセルビア共和国内の自治州の地位に甘んじ、開発からも取り残されました。
そのような格差を背景に、コソボではしばしば暴動が起きましたが、社会主義体制は民族ナショナリズムをおおむね抑え込んできました。
冷戦崩壊後の1990年代、ユーゴ全土は内戦状態に陥り、数々の虐殺が繰り返されました。コソボでもセルビアの部隊とアルバニア系組織とが衝突しました。
両選手の家族がコソボからスイスに移住したのは、この内戦を逃れてのことです。アルバニア系の彼らの目に、迫り来るセルビアの部隊がどう映ったか、容易に想像できます。
内戦は泥沼化し、激化を懸念した北大西洋条約機構(NATO)のセルビア各地への空爆による介入などを経て、2008年にコソボは独立を宣言しました。
それから10年。関係には多少の改善が見られますが、セルビアはコソボをいまだ国家として承認していません。セルビア系とアルバニア系の住民同士の関係も、和解にはほど遠い状態です。
ユーゴ内戦の末にセルビアは勢力をそがれ領土を失ったものの、ロシアとの密接な関係を保ち、十分な軍事力も維持する一種の地域大国です。一方、コソボはバルカン半島で最も貧しい国となり、失業率は30%を超えています。
そのような歴史を背に、両選手はサッカーでセルビアと戦いました。そして勝ち得たゴール。意図してか図らずか、2人は同じポーズを取りました。
それはアルバニアの国旗にある、赤字に黒で描かれた「双頭の鷲」だと多くの人が受け止めました。アルバニア系の誇りを示した、セルビアへの屈辱を晴らしたと。それはまた、FIFAの規定に反すると判断されることにもなりました。
この一件は、2012年のロンドン五輪男子サッカーでの騒ぎを思い起こさせます。韓国と日本との間で争われた3位決定戦後、韓国の選手の1人が竹島の領有権を主張するメッセージを掲げました。
選手はFIFAから出場停止や罰金の処分を、国際オリンピック委員会(IOC)からも厳重注意処分を受けました。
スイスの2選手の場合も、同様にその振る舞いが政治的メッセージだと見なされました。FIFAは今回、2選手に加えスイスの1選手にも罰金処分を科しました。
また、セルビアのファンが差別的なメッセージを掲げたなどとして、セルビア協会とセルビア代表の監督も罰金処分としました。
2選手に対しては、同情の声もあるようです。いずれの家族も、戦火を逃れ、難民としての苦難を重ねてきたのは間違いありません。その逆境をはねのけた不屈の精神がゴールを呼び込んだともいえますから、セルビアへの抗議の身ぶりぐらい許されるべきだと考える人もいるかもしれません。
セルビアはかつて、コソボに限らずボスニアやクロアチアなど旧ユーゴ各地で「民族浄化」と呼ばれる残虐行為を重ねたとして、国際社会の糾弾を受けました。そのイメージはまだ、欧州の人々の意識に刻まれています。
善悪、単純には分けられない
一方で、FIFAがとった対応の背後にある理念も、考慮すべきでしょう。
現代の紛争には様々な要素がからみます。善と悪、正義と不正、迫害する側とされる側、といった具合に単純に分けられるものではありません。
ある場所での被害者が隣の場所では加害者になり、敵と味方が入れ替わり、味方同士が時に争う。国内内戦に国際社会の駆け引きがからみ、一つの陣営の中でも穏健派と強硬派が対立する。
過激な勢力が浸透して憎悪を扇動することもあれば、見せしめのための処刑、民族や宗教の対立を隠れ蓑にした利権争い、といった現象も横行します。コソボ紛争も、セルビアを悪者扱いしてすべて片付くものではありません。
アルバニア系の中には、アルバニアやコソボ、セルビアを含め周囲に広がるアルバニア系住民を統合するナショナリズム「大アルバニア主義」を奉じる人もいます。「双頭の鷲」のジェスチャーはそのシンボルとも受け止められかねず、セルビア側が警戒するのもうなずけます。
穏やかに共存していた社会の中に、宗教や民族、言語、習慣の違いによって急に亀裂が生じ、ナショナリズムが台頭する。それが殺し合いにまで至ったのが、旧ユーゴの内戦でした。その火種は今も、完全に消えたわけではありません。
フィールドでのちょっとした言葉、ちょっとしたジェスチャーが、フィールド外の現実世界の対立に油を注ぐ。その危険性を十分認識しているから、FIFAもIOCも神経をとがらせるのです。
だから、スポーツと政治とははっきりと切り離されなければなりません。選手個人にも徹底した自制が求められます。そのような節度を保って初めて、人々は安心してスポーツを楽しめるのです。
「双頭の鷲」は、実は対戦相手のセルビアの国旗にも描かれています。双方の選手たちが、そのような国家や民族のシンボルを背負うことなく技を競い合う。そうした時代を望まずにはいられません。