主将の腕章をメッシに
5月20日、私はバルセロナの空港に降り立ったとき、まだ半信半疑だった。
スペイン代表で2010年W杯南アフリカ大会優勝の立役者となり、生え抜きのクラブであるスペインリーグのバルセロナで4度の欧州クラブ王者に貢献してきた主将、「優勝請負人」といってもいい大物の神戸への移籍――。スペインの現地紙などでしばらく前から報道され、日本の一部メディアでも報じられ始めていた。20日に本拠であるリーグ最終戦が終われば、去就について明らかにする。そんな観測が強まっていたことから、私はローマでのテニス取材からバルセロナに急きょ飛ぶことにした。
レアル・ソシエダードとの最終節は午後8時45分からのキックオフだった。でも、せっかくなので、早めにカンプノウ競技場に向かった。先発メンバーに背番号8のイニエスタを見つけた。この夜は偉大な主将の「惜別試合」なのだ。観客席には巨大な人文字が披露された。「INFINIT INIESTA」。カタルーニャ語で「無限のイニエスタ」を意味し、彼の背番号8を横にすると「無限大」のマークに見えるのとひっかけたものだった。イニエスタは後半37分に退く際、万雷の拍手を浴び、主将の腕章をエースのメッシに渡した。試合後のセレモニーで、涙ぐみながら「私にとって世界一のクラブで素晴らしい22年間を過ごせたことを誇りに思う」と感謝し、胴上げされた。
14歳の少年に、グアルディオラは言った 「入場料を払ってでも見に行く」
イニエスタの名前を初めて知ったのは1999年、もう19年前になる。バルセロナのクラブ創設100周年の取材で現地を訪れたとき、クラブ関係者が教えてくれた。「将来、必ずバルサの背番号4を背負う少年が彼だよ」。当時14歳。小柄で、色白。私服を着ていたら、アスリートという印象が薄そうな外見を覚えている。
その夏、イニエスタはナイキが主催する15歳以下の国際大会でチームを優勝に導いた。表彰式で優勝トロフィーをイニエスタに手渡したのが当時、バルセロナのトップチームで主将を務めていたペップ・グアルディオラだった。クラブ生え抜きの彼の背番号は「4」。つまり、私にイニエスタの将来性を予言したクラブ関係者は、イニエスタをクラブの象徴的存在と重ねあわせていたのだ。
その表彰式の時の逸話は、地元ではあまりにも有名だ。グアルディオラはこうささやいたという。「君が出る試合に、私は入場料を払ってでも見に行くよ」。そして、その数週間後、当時トップチームに上がったばかりで、イニエスタより4歳上のシャビ・エルナンデスに告げた。
「下部組織の試合を見に行くといい。僕ら2人をお払い箱にするすごいやつがいる。君は僕を引退させるだろう。でも、君はそいつに引退させられるんじゃないか」
シャビは99年の世界ユース選手権決勝で日本を破り、スペインを世界一に導いた若手の有望株だった。
グアルディオラの「予言」は外れた。それはバルセロナのライバルクラブのサポーター以外の世界中のサッカーファンにとって幸せなことだった。のちにイニエスタとシャビはバルセロナが奏でる美しいパス回しのパートナーとして長く共演することになった。そしてグアルディオラ自身が監督として、数々の栄光を勝ち取ることになった。
イニエスタはシャビがクラブを離れた後、主将としてチームを引っ張ってきた。昨秋には前代未聞と言えるクラブとの「生涯契約」を結び、愛するクラブへの忠誠を誓ったばかりだった。だからこそ、全盛期を過ぎたとは言え、母国のW杯代表に選ばれる実力を保つ段階での日本行きは、にわかには信じられなかった。
でも、本当だった。5月24日、東京のホテルの記者会見にイニエスタは登場した。「自分のサッカーを見せるために来た。そのことでクラブや日本のサッカーが発展すればいい」と抱負を語った。スペインメディアなどによると、3年契約で年俸は推定2500万ユーロ(約32億5千万円)。
「イニエスタのパスを受けないか?」は最上の勧誘文句
3年契約というのがうれしい。171センチ、68キロ。欧米人に比べて小柄な日本人が親近感を覚える体格だ。派手なフェイントでみせびらかしたりしない。足に吸いつくように球を操り、相手の動きを見極め、もしくは先読みして逆を取る。ピッチの中でも外でも威張らないし、飾らない。
そんなロールモデル(模範)が加入したことで、神戸はJリーグの他クラブに在籍する選手を勧誘しやすくなる効果が期待できる。「イニエスタのパスを受けてゴールを量産しないか」は極上のセールストークになる。Jリーグで優勝を狙うには、登録人数が「5人以内」の外国人に依存するのでは難しい。優秀な日本人選手を勧誘するのに、イニエスタと最低3年は一緒にやれる、という保証は安心感を与える。そうした副次的効果で、ヴィッセル神戸はJリーグ屈指の強豪の飛躍できるか。イニエスタのロシアでの活躍ぶりを自身の今後の去就と絡めて見定めているJリーガーが、いるかもしれない。