スタートからおかしな日だった。9月22日早朝、私はロンドンから錦織が参戦していたマゼル・オープンの取材に向かおうとしていた。開催都市はフランスのメッス。パリまで飛び、そこから列車を乗り継ぐ手段もあったが、乗り換えが楽だと判断して、列車でドーバー海峡の海底トンネルを渡るユーロスターを選んだ。
ところが、だ。ロンドン発のユーロスターが始発なのに、「列車のホーム到着が遅れた」という理解しがたい理由で遅れた。57分遅れで「花の都」のパリ北駅に着いた。パリ東駅からのTGVが「もしかして遅れているかも」と期待していたが、定刻通り、発車していた。
世界ランキング12位の錦織は第1シードで、この日は準決勝の第2試合に登場する予定だった。相手は予選から勝ち上がった世界166位のマティアス・バヒンガー(ドイツ)。試合開始は午後3時以降。第1試合のジル・シモン(フランス)があっさりストレート勝ちしたので、私が会場に駆け込んだ午後3時すぎには、錦織がちょうどコートに登場するころだった。
■ストレート勝ちのはずが……
何とか試合開始時間には記者席に座ることが出来た。錦織は第1セットで一度もブレークポイントを許さず、6―2で先取した。スタートダッシュが良すぎると、その反動で次のセットで崩れることは珍しくない。それでも、第2セットでは要所を締めてサービスゲームをキープしていた。
近くに座っていた日本の通信社の記者が東京本社のデスクに電話で連絡していた。「ストレートで勝ちそうなので、見たままの雑観記事を送ります」。ギリギリ朝刊の最終版に間に合う時間帯だった。
しかし、不思議なことが起こる。第2セット第10ゲームでバヒンガーがワンチャンスをものにしてブレークに成功し、錦織は4―6でセットを落とした。最終セットに突入し、無欲の快進撃で勝ち上がってきた相手の勢いが増す。とくにサーブがさえ始めた。
象徴的だったのが第5ゲーム。錦織がジュースに持ち込んだ後、「センター方向」にサービスエースを打ち込まれた。再び、ジュースに持ち込んだとき、今度は錦織のフォアサイドに逃げる「ワイド方向」へのサービスエースを食った。錦織は思わず、ダンテ・ボッティーニコーチ、中尾公一トレーナーが陣取る席に向かって両手を広げるポーズ。「お手上げだよ、サーブのコースが読めないよ」というアピールに映った。
それでも、要所は締めていた。相手のサービスゲームだった第7ゲームで3ポイントを先行し、トリプルブレークポイントの大チャンスを得た。しかし、ここから5連続失点。しかも、30―40から相手が放ったショットはベースラインギリギリ。錦織は「チャレンジ」して、機械による判定に託したが、本当にギリギリで入っていた。結局、ブレークに失敗し、勝機も逃げた。
錦織は気分を一新する儀式でラケットを交換したが、流れは戻ってこずにセットを落とした。迎えた最終セット、錦織は6度のブレークチャンスを逃し、逆にバヒンガーにたった1度のチャンスを生かされて「大金星」を献上した。6-2、4-6、5-7。総獲得ポイントは錦織の101に対し、相手は96。いつもは総ポイント数が少なくても、勝負どころを逃さず勝つのを得意とする錦織なのだが、この日は逆だった。
試合後の錦織の記者会見で、相手のサービスコースが読めなかった点について尋ねた。「そうですね。特に3セット目は全然読めなかったですね。まあワイド方向へのサーブが強烈だったし、両方ともコースがすごく良かったので、まあサービスゲームはすごく相手のサーブも良くなってきたので、しようがない部分はありますけど、それでも大事なポイントで取り切れなかったのが敗因ですね」
総獲得ポイントで上回っているのに負けるのは珍しいが、とも尋ねると、「2セット目は仕方ないにしても、3セット目は常にジュースにいっていたので、あれだけ取り切れないところはやっぱり、かなりつらかったですね。あれだけチャンスがあったのに。もったいなかったです」。
■「負けに不思議の負けなし」のはずが
予選勝ち上がりで世界ランキング166位の選手が相手だと、どこかに受け身になる意識はあるのか? その点も質問した。「うーん、まあ、あんまり気にしないですけど、でも、この大会、全員、(球筋が)フラットな相手だったので、初戦から大変でしたし、どの試合も大変でした」
あるフレーズが頭に浮かんだ。
「勝ちに不思議の勝ちあり 負けに不思議の負けなし」
勝負ごとは運に左右されるけれど、幸運が味方して勝つことはあっても、負ける時には何かしら理由がある。プロ野球の名将、野村克也氏がよく使ったフレーズだ。元々は、江戸時代の平戸藩の9代藩主、松浦静山が剣術の指南書に記した言葉らしい。
それにしても、これまで数多く取材してきた錦織の試合の中で、「不思議な負け」に思えた。ATPツアーで世界166位の選手に負けるのは、2013年全米オープン1回戦で同179位のダニエル・エバンス(英)に屈したのに次ぐ「格下」への敗戦だ。後から気づいたのだが、この日のマッチデープログラムは4強に勝ち上がった4人の写真が載っていた。第1シードの錦織は一番上なのだが、その表情はぼうぜんとしているカット。バヒンガーは充実した表情で力強く右腕を掲げるガッツポーズ。どこか暗示的な絵柄だった。
もっとも、男子テニスの世界での実力差は紙一重ともいえる。今年の全米オープンでベスト4入りし、世界ランキングのトップ10復帰が視野に入る錦織ですら、歯車が狂えば負けることがあるのが、何よりの証明だ。私は記事の中で「格上」「格下」という表現は、なるべく使わないようにしている。
錦織が負けた試合の翌朝、メッス駅近くの宿泊ホテルの窓から外を眺めると、小雨が降っていた。気分が沈む。取材する立場ですら落胆するのだから、あの負け方をした錦織はどんな心中で朝を迎えたのか。決勝で当たるはずだったシモンには今年の全仏オープンで快勝していた。
もっとも、錦織は敗戦後の記者会見でも、締めくくりは気持ちを前向きな方向に持って行くことが多い。メッスでもこんな風に言っていた。「テニス自体はそんなに悪くはないので、ええ、ポジティブに、体の疲れもあるので。しっかり休んで、また頑張りたいです」。
似たような質問に、もう一度繰り返した。「ええ、テニスは悪くはないので、まあ、取り切れないところだったり、直さなければいけないところだったりは、いくつかありますけど、まあ全体的にはそんなに悪くないので、この何試合かは反省して、次に迎えたらと思います」
有言実行。その直後の楽天ジャパンオープンは準優勝、上海でのマスターズは8強入り。欧州に戻ってウィーンが準優勝、そしてパリが8強。ツアー・ファイナルの切符を手にした。すでに4番手で出場権を手にしていたフアンマルティン・デルポトロ(アルゼンチン)が右ひざ骨折により欠場という繰り上げ出場だが、昨夏の右手首故障による約半年の離脱からの復活は見事だ。
パリで錦織は11月2日の準々決勝でフェデラーに敗れ、私は翌日、ロンドンに戻った。9月、大幅な遅延で嫌な思いをした午後3時13分にパリ北駅発のユーロスター、ロンドン行きをあえて選んだ。ホテルをチェックアウトした後、これまた9月に乗り換えの時間が大幅に余ったことで見つけたパリ東駅近くのビストロにランチで寄った。気分は2カ月前と全く違う。デルポトロの早期復帰は絶望視されていたから、錦織のツアー・ファイナル出場は、事実上、「当確」だったからだ。
スムーズなときは何事もスムーズ。パリからの帰路はむしろ予定より少し早く、ロンドン・セントパンクラス駅のホームに滑り込んだ。自宅に戻ったころ、ATPから錦織のツアー・ファイナル繰り上げ出場を告げるニュースが流れてきた。2年ぶり4回目のツアー・ファイナルへの復帰だ。ようこそ、ロンドン。そして、その初戦でパリで屈したフェデラー戦の連敗を6で止めた。錦織自身、「ボーナスだと思って戦いたい」と話した晴れ舞台。過度な重圧がない分、期待は膨らんでいく。