ウィンブルドン近くの学校から選考
ウィンブルドン選手権の場合、会場近郊にある、日本の中高にあたる32の学校から選ばれる。総勢250人程度で平均年齢は15歳。大会側に聞くと、1千人から選抜されるそうで、これだと競争率は4倍程度。しかし、取材を進めると、実はさらに「狭き門」であることが判明した。
インタビューしたウィンブルドン高から選ばれたマゴニガル舞鈴(まりん)さん(15)は、母は日本人、父はアイルランド出身。英国生まれだが、9歳から4年間ほど、東京で暮らしていたそうだ。
舞鈴さんによると、母校では今年は200人ほどが立候補し、その中から学校の代表で選ばれるのは10人だけ。「私も去年は学内選抜で落選したんです」。この時点で競争率は、何と20倍だ。
大会前年の10月から学校でトレーニングが始まり、振り落とされていく。大会側によると、求められる資質は「テニスのルールに精通している」「俊敏性」「選手の目や手の動きで意図を察知する能力」など。ルールについては筆記試験がある。なお、「大会中に学校の試験がない生徒」という条件もある。
ボール転がす腕前がカギ
さらに欠かせないのが、ボールを芝生の上で転がす技術だ。4大大会で面白いのは、全豪と全米ではボールパーソンはボールを投げあうこともあるのに対し、全仏とウィンブルドンは赤土と芝の上を転がして、球を移動させる。私は勝手に「カジュアルな豪州、米国らしさに対して、伝統と格式を重んじる欧州らしさ」と解釈していた。すると、今年から全米では「転がす方式」への変更が発表された。何でも、「野球のように球を投げるのが不得意な少年少女でも挑戦できるように」ということらしい。あれっ? 私の解釈は正しくなかったのか。
舞鈴さんによると、この球を芝の上でうまく転がす技術の習得が合否の分かれ目になるから、学校でも友人と練習に励んだという。
学校内の代表争いを勝ち抜くと、年明けの2月から32校から集った精鋭によるサバイバルが始まる。まずは週1回。4月になると、実際のウィンブルドン選手権の会場のコート(芝の上にシートを敷いた状態)で週4回の練習に励む。舞鈴さんの学校からは10人のうち7人が合格。昨年すでに合格し、実践を積んだ10人を含めた17人が今年の大会に挑んだ。
「我が校は優秀なんです」 舞鈴さんが主に担当したのは14番から17番コート。偶然、錦織圭の1回戦に当たった。「タオルをあげたりしたんですけど、すごい汗をかいていた」
「試練」もあった。錦織はこの大会から、サーブを打つときに1球ずつしかもらわない「一球入魂」方式を試し始めた。フォールトしたら、改めて次の1球をもらうスタイルだ。
初めての経験に、戸惑わなかったのだろうか。「男子の場合、ふつうは3球ぐらい要求して、ボールを2つキープして、一つはポケットに入れることが多いけれど、錦織さんは最初、1球だけ受け取ったので、そういうことなのかな、と」。舞鈴さんの選手の意図を素早く察知できる能力を身が生き、冷静に対応することができた。
「ボールガール」の登場は40年前
舞鈴さんの来年の目標はセンターコートの舞台を踏むことだ。「やっぱり、センターコートとか1番コートを担当する子はすごく球の転がし方がうまい。もう、パーフェクト!」と感嘆するほどに、センターコートを任されるボールボーイ・ボールガールの技術力は高い。
ボールガール、ボールボーイを統括するセーラ・ゴールドソンさんによると、「センターコートと1番コートは1グループ6人で6組で回す。大舞台を踏めるのは優秀な36人」というから、さらに狭き門。大会中も担当者が出来栄えを厳しく査定しているという。ちなみに、男子に加え、女子がボールガールとして登場したのは1977年。女子がセンターコートを任されるようになったのは86年からだ。
そんな険しい道を目指すのはなぜなのか。「センターコートを担当できれば、ロジャーに会えるチャンスが増えるから」。あこがれのロジャー・フェデラー(スイス)と同じコートに立つ――。それが舞鈴さんのモチベーションになっている。