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オリンピックで号泣、ジョコビッチの涙の理由

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ノバク・ジョコビッチ Photo: AFP時事

思わず目を疑った。絶対的な強さを誇ってきたテニス界の王者が感情を抑えきれず、号泣していた。全米オープンなど4大大会の決勝で負けたときでも悔しさを押し隠し、勝者をたたえる姿を見るのが常だったから、驚いた。

87日(現地時間)、リオデジャネイロ五輪男子シングルス1回戦。金メダルの大本命、世界ランキング1位だったノバク・ジョコビッチ(セルビア)は、フアンマルティン・デルポトロ(アルゼンチン)にストレート負けした。センターコートの去り際、ジョコビッチはあふれる涙を隠そうともせず、観衆のねぎらいの拍手に左手を掲げて応え、舞台から消えた。

私はすぐ、ツイッターでつぶやいた。

リオ五輪を現地で取材していた稲垣記者のツイート

プロテニスプレーヤーの「常識」で考えれば、五輪は究極の目標ではない。毎年開かれる全豪、全仏、ウィンブルドン、全米の4大大会を制することが最大の勲章だ。名誉とともに、優勝すれば賞金数億円が懐に入る。五輪には賞金は出ないし、金メダルも純金ではない。リオ五輪からは、世界ランキングに反映されるポイントすら与えられなくなった。「ただ働き」といったら言い過ぎか。

たしかにジョコビッチは五輪に重きを置いていることを公言していた。全仏オープンを6月に初めて制し、4大大会すべてを制する「生涯グランドスラム」を達成した彼が、唯一手にしていない栄冠が五輪の金メダルだった。

「もちろん、失望しているよ。だって、これは五輪なんだから」

敗戦後のコメントだ。失望はわかるが、あの泣きじゃくりぶりは尋常ではなかった。

彼にとって「五輪」の重みとは? それを確かめたいと思った。

まず、彼の母国に飛ぶことにした。

セルビアではみな「愛国心」と言う

 セルビアの首都ベオグラードを訪ねるのは8年ぶりだ。前回の来訪時はジョコビッチが全豪オープンで4大大会初優勝を飾り、空前のテニスブームが到来していた。

1990年代の旧ユーゴスラビア紛争で、セルビアは世界中から「悪役」のレッテルを貼られ、首都は米国を中心とする北大西洋条約機構(NATO)軍の空爆を受けた(09面にメモ)。内戦のあと、頭角を現したテニススターたちは、セルビアのイメージを明るくする親善大使の役割も担っていた。

私自身、99年の空爆を身近に感じる体験をしている。爆撃が始まった3月下旬、セルビアの隣国、クロアチアのサッカークラブに移籍したカズこと三浦知良の取材で首都ザグレブにいた。ホテルでテレビをつけると、ニュースでベオグラード空爆の様子が映った。映像を通してだから、死の恐怖とは無縁だったが。当時、ジョコビッチの両親は、子どもが空爆におびえて家に閉じこもるのは発育上よくないと考え、息子にはあえて屋外でテニスをさせたという。

17年が過ぎた今も、街には空爆で壊された軍事施設が当時の姿をさらす。今回、まず訪ねたのはジョコビッチが少年時代に通っていた「パルチザン・テニスクラブ」だ。会長のドゥシャン・グルイチ(61)が迎えてくれた。

壁に飾られたジョコビッチとの写真を自慢げに指さしながら、グルイチは振り返る。「ノバクは空爆のときも練習に来た。この近くには軍事関連施設はないし、空爆は夜が多かったからね」

──リオ五輪で流した涙の意味はなんだと思いますか?

「彼はセルビアを背負っていた。愛国心の塊だ。3度目の五輪で自信もあったはずだ。だから失望したんだろう。でも、泣くのは恥ずかしいことじゃない。家でテレビを見ていたが、彼が試合で負けて泣くのを初めて見て、私も泣けてきた」

ほかにも、ジョコビッチを知る人たちに見解を尋ねて回った。誰もが「愛国心の強さ」を涙の主因に挙げた。

パルチザン・クラブでコーチをしていたミリ・ベイコビッチ(55)は、数年前に亡くなったジョコビッチの祖父との会話の記憶をたどってくれた。「孫が五輪の金メダルを取ると約束してくれたと。負けた瞬間、そのことが脳裏をよぎったのかもしれないよ」

テレビ解説者のネボジャ・ビシコビッチ(46)は少し違った見立てだ。2011年、ジョコビッチは全米オープン優勝直後の国別対抗戦デビスカップで、ベオグラードでのアルゼンチン戦を体調不良で途中棄権した。

「全米で7試合戦い抜いたのに、国を代表して戦うときに1試合ももたないのかと非難もされた。棄権したときの対戦相手は、くしくもリオで負けたデルポトロ。いろいろな感情が一気に押し寄せたのかもしれない」

なるほどとは思うが、やはり本人に聞かないことには真実はわからない。

開催中のマスターズ・パリ大会に向かうことにした。ジョコビッチも参戦している。記者会見で直接聞いてみよう。

ところが、取材当日、ジョコビッチは過去14戦全勝のマリン・チリッチ(クロアチア)に敗れ、2年余り保持してきた世界ランキング1位の座から陥落することがほぼ確実になった。とても、「リオ五輪での涙の理由は?」と尋ねる空気ではない。直撃は今季最終戦、ロンドンでのATPツアー・ファイナルまでお預けとなった。

トップ選手はグローバリズムの象徴だ

パリ、ロンドン、ニューヨーク、東京、上海……。男子テニスのプロツアーの主要大会が開かれるのは、世界の名だたる都市が多い。テニスのトップ選手はグローバリズムの象徴だ。ヒトやモノが国境という垣根を越えて、自由に行き交う。スポンサーを集めやすく、賞金が出せる都市を巡り興行するプロツアーをまわる選手たちは、国の支援を受けるわけでもなく、自らの力で人生を切り開く。ランキングというわかりやすい指標、勝てば倍々ゲームで増える賞金。そこには明快な競争の原理が働き、強い者に富が集中していく。

日本のエース、錦織圭は実力も思考もグローバルだ。全国大会で優勝した小学6年のとき、すでに「『日本一』という言葉にこだわらず次は『世界一』をめざして」と学校で作った新聞に書いた。12年全豪オープンで日本男子80年ぶりのベスト8を果たしたときは、「昔から世界を基準に考えて戦ってきたので」とさらりと言ってのけた。

Photo: Reuters

13歳で島根県松江市の実家を離れ、米フロリダ州を拠点に暮らし、世界のツアーを行脚する彼にとって、ふだん「日本人」を意識する場面はあまりない。

そんな錦織の意識が、リオ五輪を戦っているうち、明らかに変わった。

7月のウィンブルドン。ゴルフの松山英樹がジカ熱などへの不安を理由にリオ五輪参加をやめたと知り、記者会見で、「僕もあんまり出たくないな」と口にしていた。

ときどき、冗談とも本気ともつかない発言をする人だから、五輪は出るだろうとは思っていたが、他の競技の選手のように「4年間の努力をリオにぶつける」といった情熱を感じられなかったのは確かだ。

それが、五輪が開幕し、自分や他の日本人選手たちが勝ち進むうち、発言のトーンが変わっていった。

ベスト8入りを決めた試合の後で、こんなやりとりをした。体操の男子個人総合で2連覇を飾った内村航平について、「重圧を背負いながらの金は、ものすごく感動した」。さらに、日本が準決勝進出を決めた7人制ラグビーについては、「すごかった。見入ってしまったというか。7人制はたぶん初めて見たので。感動というか燃えました」

日本選手団の一員としてどう感じたかを尋ねると、「同じ日本人であれだけかっこいい活躍をされると自然と燃えます」。ふだんクールな彼の言葉とは思えない。これが五輪の魔力なのか──

日本テニス界96年ぶりのメダルを獲得して一時帰国したとき、こう明かした。

「本心を言えば、12回戦ぐらいは気持ちが入らないまま、試合に入っていました。ランキングのポイントもなかったり、自分は何をめざして戦えばいいんだと。それが、だんだん日本のために戦うというのも、悪くないなと」

「すごいモチベーションが上がって、ここで全部吐き出して帰ろうと思った。それで勝ち取った銅メダルだったので、今までにない経験ができた五輪でしたね」

王者が背負う二つの「祖国」

そのリオで錦織の決勝進出を阻み、ロンドン大会に続く2連覇を果たしたのがアンディ・マリー(英)だ。彼には、背負う「母国」が二つある。英国と、スコットランドだ。

photo: Reuters

 3年前のウィンブルドン選手権で、英国男子として77年ぶりに優勝した「国民的英雄」は、スコットランドの小さな町ダンブレーンで育った。

マリーの微妙な立ち位置を垣間見る出来事があった。6月、ウィンブルドンの開幕を控えた記者会見。その前日、英国は明け方まで大騒ぎだった。欧州連合(EU)離脱の是非を問う国民投票で、事前の予想に反して離脱派が上回り、残留を訴えたキャメロン首相は電撃辞任を発表した。

感想を聞かれ、マリーはいつものぼそぼそとした口調で言った。「申し訳ないけど、今日そのことは議論したくない」

マリーは2年前、スコットランドで英国からの独立の賛否を問う住民投票があった際には、ツイッターで独立賛成を示唆するつぶやきをして、独立反対派から脅迫めいたバッシングを浴びた。06年のサッカーW杯のときには、「イングランド以外のチームなら、どこでも応援するよ」と口を滑らせた過去もある。だから、発言には慎重になったのだろう。

元来、スコットランド人は欧州志向が強い。6月の国民投票で、英国全体では離脱に賛成する人々が過半数を占めたが、スコットランドでは全32地区で残留派が上回り、英国からの独立をめざす機運が再燃している。

過去にはそんな経緯もあったが、国民は現金だ。国を二分する国民投票の結果を受け、沈滞したムードを救ったのは、マリーの3年ぶりのウィンブルドン制覇だった。

マリーの地元は、国民的英雄をどうとらえているのだろう。かつてマリーが、ロンドンを拠点とするメディアに対し、悔しまぎれに漏らした愚痴を思い出した。「僕が勝てば英国人と呼ぶし、負ければスコットランド人となる」

11月、パリからエディンバラへ飛び、列車に1時間揺られてダンブレーンを訪れた。

町の観光名所になっている、大聖堂近くの郵便ポストを見に行った。ロンドン五輪でマリーが金メダルを獲得したのを記念して黄金に塗られたものだ。近くで30年以上、文房具や新聞などを扱う雑貨店を営むピーター・メルドラム(67)は、幼いときからマリーを知る。

単刀直入に聞いた。勝ったときだけ、英雄扱いするイングランドのメディアのご都合主義を感じませんか?

「この町だけでなく、スコットランドの英雄だし、英国のヒーローだ。世界ナンバーワンを独り占めすることはないよ」。ずいぶん寛大だ。その後も町にあるパブを2軒ほど巡り、酔客相手にイングランドに対する刺激的な意見を集めようとしたが、収穫はなかった。

マリーが初めて世界ランキング1位になった直後だっただけに、数日後の地元週刊紙には誇らしげな見出しが躍っていた。「世界はダンブレーン出身の男の子に畏敬の念を抱いている」

マリーは故郷への愛着がひときわ強い。それは「悲劇の町」としての歴史とも無縁ではない。963月、小学校で無差別殺傷事件が起き、教師1人と16人の児童が銃の犠牲になった。自殺した犯人が発砲したとき、8歳だったマリーも兄のジェイミーと共に体育館に向かっていたところだったという。

町のパブで当時の話も聞こうとしたが、一様に口は重かった。メルドラムは言った。「アンディの活躍で、町の名が明るいニュースとして発信されるのはうれしい。彼はここの大聖堂で結婚式を挙げたんだ。地元への愛着が強い何よりの証明だよ」

スポーツ記者の自分に跳ね返ってきたもの

 1110日、ロンドン。ATPツアー・ファイナルの取材にやってきた。ジョコビッチ、マリー、錦織らトップ8人が顔をそろえる。

エディンバラからの機内でスコットランドの民族衣装を着た一団と一緒になった。翌11日のサッカーW杯・ロシア大会の欧州予選、イングランド対スコットランドの応援に乗り込むサポーターたちだ。

「ロンドンにいるアンディも応援に来るはずさ。スコットランドにとって心強いよ。何しろ世界1位だからね」

同じ英国民でも一番負けたくないライバル。どこか、きょうだい同士の意地の張り合いに似ている。サッカーの代表戦で顕在化する限定的なナショナリズム。日本代表が勝つと、東京・渋谷のスクランブル交差点にレプリカユニホームの若者が繰り出すのも、一体感を共有したい欲求の表れだろう。

ATPツアー・ファイナルではセルビアの旗を手にジョコビッチを応援する観客が見られた Photo:Reuters

一方で、スポーツには偏狭で排他的なナショナリズムが入り込む危険もある。12年ロンドン五輪のサッカー男子3位決定戦。日本に勝って喜んだ韓国の選手が、「独島は我が領土」と書かれたプラカードを掲げた。日本が領有権を主張する竹島だから、外交問題に発展した。

この騒動の翌日、バレーボール女子の3位決定戦で日本が韓国を破って銅メダルを獲得した試合を会場で見届け、気分がスッとする自分に気づいた。敵を作ることで国民を団結させるという国民国家の力学を実体験した気分だった。

ナショナリズム論の古典といわれる『想像の共同体』の中で、ベネディクト・アンダーソンは、「国民とはイメージとして心に描かれた想像の政治共同体」だと説いた。私自身、日本への帰属意識はあるが、12000万の同胞の大多数と、直接の知り合いではない。

もう少しだけ、「国民」について考えたい。英国の歴史家エリック・ホブズボームは、西洋で人々を「国民化」する文化的装置の役割を果たしたのはスポーツとマスメディアだと論じた。スポーツは「国家間闘争の一表現」となり、スポーツ選手は「彼らの想像の共同体を表現するものとなった」と。

……待てよ。だとすると、スポーツメディアの片隅で、五輪の7大会を取材してきた自分は、日本という「国民国家」の強化を後押ししてきたのだろうか?

1111日、ファイナルに出る8選手の記者会見が開かれ、スイス、日本、フランス、セルビアなど選手の出身国の記者も詰めかけた。私以外の記者もみな、記事の「主語」は自国選手が中心になる。

ただ、私の今回の関心の対象はジョコビッチだ。リオの涙の理由を聞かなくては。何人目かで私の順番が来た。

「あなたがリオ五輪の1回戦で負けたときに号泣した姿はとても印象深い。なぜ、あれほど涙がこぼれたのか。そうさせる五輪の魅力とは何ですか?」

ジョコビッチは言った。「五輪は独特な祭典だ。アスリートとして、祖国を代表して戦うことは、とてつもない名誉だ」

五輪憲章は「(大会は)国家間の競争ではない」とうたうが、国別対抗戦の色彩が強い。愛国心を発露させる装置としての機能が、五輪が世界的興行として成功しつづけてきた要因だろう。

今年の全米オープン開催中、錦織の父、清志と食事をしながら、なぜ五輪が世界的に人気があるのかという話題になったとき、冗談めかして問われた。「康介さんだって、圭が日本人だから応援するんでしょ?」

一瞬、ドキッとした。18歳からの成長の過程を見守ってきたから、彼に自然と情は湧く。世界屈指のストロークは、国籍を度外視して、魅力を感じる。ただ、錦織が日本人選手だから、私の記事が大きく載るのも事実だ。

記事を書く上で、無意識のうちに「(我らの)錦織」という感覚で、日本の読者に投げかける筆致になっていることに気づく。私のツイッターでは、フォロワーの中のテニスファンに向けて、過去のデータを基に錦織が勝利する可能性を探る「安心理論」を発表するのが恒例になっている。かなり応援団に近い。

東西冷戦時代、共産主義圏の国々は五輪メダルの数を国威発揚に利用した。昨今はグローバル化に伴い、先進国で政治への不信が広がる。欧州では移民の大量移入で、国民が帰属意識に敏感になっている。今また、排他的なナショナリズムが蔓延し始めている。

五輪やスポーツが「国力」を誇示し合う代理戦争の舞台となり、アスリートがその駒として利用される風潮は広まってほしくない。記事を書くことでそれに加担したくもない。

もっとも、テニスに関して言えば、心配は無用だろう。観客席での応援は「ニッポン!」「ゴー、チームGB(グレート・ブリテン)」ではなく、「カモン」の後に、「ケイ!」「アンディ!」「ノバク!」と名前を呼ぶのがテニス流だ。

勝者が年末の世界ランキング1位となるジョコビッチとマリーのファイナル決勝はマリーが勝った。11歳から互いを知り、誕生日も1週間しか違わない2人は、健闘をたたえあった。

ジョコビッチの「涙」は、もう乾いている。リオは残念だったが、記者会見では「次のチャンスがあれば、また出たい」と言った。それが33歳で迎える20年東京五輪だ。そこには64年東京五輪で銅メダルを獲得し、次の五輪への重圧から自ら命を絶ったマラソンランナー、円谷幸吉の悲壮感はない。

億万長者であるテニスのスターにとって、五輪は人生のすべてではない。グローバル経済の大海原で、世界的企業からの協賛金が潤沢に集まるテニス界には国家権力の干渉を許す素地もない。

ジョコビッチの涙の正体を探る旅は、「愛国心」というキーワードにたどり着き、スポーツ記者の自分への問いかけとして跳ね返ってきた。愛国心は自然な感情だ。私にもある。ただ、スポーツが国威発揚と結びつき、対立をあおることもある。肩ひじ張らず、適度な熱さで、ナショナリズムと付き合いたい。