照りつく太陽が沈めば、砂漠の夜は肌寒い。11月9日、米アリゾナ州スコッツデイル。マイナーリーグの混成チームが戦う秋季リーグは新システムの実験場になった。
この日の試合はピオリア対ソルトリバー。両チームの監督が死球や三塁セーフなどを巡って計4回のビデオ判定を要求した。いずれも判定は覆らなかったが、際どかったのが5回、3−2でリードしていたソルトリバー2死三塁の場面だ。三塁寄りのゴロ。遊撃手の一塁送球はやや山なり。判定はセーフだった。三塁走者は生還。守備側の監督が球審に歩み寄った。
放送と同時にスタンドの大画面に「ビデオ判定中」と出た。約2000人の観客からは「オー」という低い声。球審はスタッフからヘッドホンを受け取り、判定担当者の声に耳を澄ませていた。
約1分間。選手は定位置に。観客は座席にもたれかかって待った。その後、何事もなかったかのように球審が打者走者を一塁に残したまま試合が再開した。
映像での判定と思えば冷静に受け入れられた。ただ、歓喜や落胆のタイミングを逸し、拍子抜けした印象もあった。
完全試合崩した誤審
「大きな変化を決断した。歴史的だ」。その5日後、フロリダ州オーランドであった記者会見で大リーグコミッショナーのバド・セリグ(79)が宣言した。全30球団によるオーナー会議で、それまで本塁打にのみ認められてきたビデオ判定を大幅に拡大することで合意したのだ。アリゾナ秋季リーグで効果が証明されたという。
もともとビデオ判定の導入は、野球が米4大プロスポーツで最も遅れていた。最も早かったアメリカンフットボールのNFLは1986年、ホッケーのNHLは91年、バスケットボールのNBAは2002年に導入した。大リーグが本塁打に導入したのは08年だった。
ファンがテレビの再生映像で誤審に敏感になっても、大リーグが「保守的」だったのは審判の尊厳をかたくなに守る伝統があったからだ。古くから機械判定が当然の陸上競技などと違い、チーム同士がせめぎ合う球技では、試合の流れをコントロールするのも審判の裁量とみられてきた。セリグ本人も「審判の判定も野球の一部」と強く反対していた。
だが、2010年6月。デトロイト・タイガースの投手ガララーガがクリーブランド・インディアンスを相手に9回2死まで走者を許さなかったものの、一塁ゴロを巡る「誤審」で完全試合が台無しになった。USAトゥデー紙の当時の調査では、すでにファンの78%がビデオ判定の拡大を支持していた。
近年、試合時間が延びていることも、セリグが適用拡大に慎重だった理由だった。アリゾナ秋季リーグで判定にかかったのは平均1分40秒。AP通信によると、監督として大リーグ歴代3位の通算2728勝を挙げた大リーグ特別アドバイザーのトニー・ラルーサ(69)は「試合の遅延理由にならない」とした。
米メディアはセリグの変節を好意的に受け止めた。ニューヨーク・タイムズは「人生は順応の連続だ」とセリグに説いた父の言葉を引用し、「彼はこの言葉を思い出した」と論評した。
1試合1チーム2回まで
来季からは、ストライク・ボールの判定と、空振りかどうか、ファウルチップかどうか、以外の全てがビデオ判定の対象。球場のビデオカメラで撮影されたものを大リーグ機構のあるニューヨークで実績ある元審判らが確認して判定する。1試合で各チーム2回まで要求でき、判定が覆った場合、回数に数えない。
この流れを危惧する声もまだある。元大リーグ審判のデイブ・パローン(62)は「正確さと人間性が両立しなければならない」と強調する。
1988年にあったシンシナティ・レッズ対ニューヨーク・メッツの試合で一塁塁審を務め、遊撃ゴロをセーフと判定。メッツの勝ち越し点が入った。抗議した当時のレッズ監督ピート・ローズに突き飛ばされた。その後、注文していたスーツの包みを開けたら切り裂かれていた。
あの時の判定は間違っていないと確信している。ただ判定を巡り、「あれはセーフ」「いや、アウト」とファンは盛り上がり、興奮する。「それも含めて野球だ」と思う。
テニス・サッカー、「見せる」判定も
テニスでは、4大大会のうち、土のコートにボールの跡が残る全仏を除く3大会でビデオ判定を導入している。ラインを割ったかどうかなど球の動きを複数のカメラで解析する「ホークアイ」という技術を使用。コンピューター・グラフィックスで再現された映像を観客が選手と一緒に注視する。
米大リーグでも、テニスと同様に判定中のビデオ映像を球場の画面で流すことを検討しているという。
サッカーでは、今季からイングランド1部リーグで得点に関してホークアイを導入。国際サッカー連盟も、機械を使った「ゴール判定補助技術」の導入に取り組み始めた。来年のワールドカップ・ブラジル大会では、すでにこの技術の採用が決まっている。
バレーボールでも試験導入している。
一方、日本のプロ野球では、ビデオ判定は本塁打の判断のみ。今のところ拡大の予定はないという。