日が沈んだ寒空の下、照明に照らされる少女たちは、白い息をはきながらサッカーボールを追いかけていた。昨年12月、ドイツ西部ケルン。地域のアマチュアクラブ「DJKズードウェスト」の15歳以下女子チームの練習だ。ドイツ女子代表も育ったことがあるクラブで、難民の少女2人がプレーしていた。
ゴールした仲間とハイタッチしてはしゃいでいたシルバ・オスマン(14)は、シリアから約3年前にドイツへ。「向こうでは、髪を帽子の中に隠して内緒でサッカーをしていた」。イランから来たメリカ・アスカリ(13)は「サッカーはできても、スカーフを巻かないといけなかった。ここではしなくていいし、友達もできた」と喜ぶ。2人は口をそろえて言う。「ドイツでプロになりたい!」
彼女らが夢を持てたのは、ケルンにある難民の少女を対象にしたサッカー教室のおかげ。ドイツ女子1部ケルンの選手だったトゥーバ・テッカル(33)が運営する。戦争や紛争を逃れ、やってきたドイツで「好きなことをやれるチャンスを与えたかった」。知る限り、同じようなサッカー教室は、同国内で他にないという。
毎週水曜の午後、集まった約15人とボールを追う。運営からコーチ役まで、基本的に1人でこなす。これまで、8~16歳の約60人が参加したという。
活動を始めたのは、現役を引退した2016年から。背景には、家族の影響がある。ドイツ・ハノーバー出身だが、両親はクルド人。姉はイラクの紛争地帯も取材したジャーナリストだという。
欧州に多くの難民が押し寄せた15年、メルケル首相が受け入れを決めたドイツには多数が流れ込んだ。ドイツ内務省によると、同年の難民申請希望者は約89万人。その年にテッカルの姉が中心となり、イラクで迫害を受ける人たちの救済のため支援団体を設立した。サッカー教室は、その活動の一環だ。
■メルケル首相も激励
シリア、アフガニスタン、イラク、イラン、アフリカ諸国……。ケルンにある難民用住居を回って、逃れてきた少女たちを誘ったという。「本人はやりたくても、女の子がサッカーなんて、という親もいる」。文化的、宗教的背景の違いから、説得するのは容易ではないという。自身もかつて、母親の反対を押し切ってサッカーを始めた少女だった。
人脈を生かし、ケルンのプロクラブが設立した財団から、用具や練習場の提供を受ける。少女らの交通費を含め、17年の運営費は約8万ユーロ(約1000万円)。支援だけでは足りず、自身の給料もあてている。
17年春には、活動を知ったメルケル首相と面会をした。「難民がスポーツを通して社会に順応するための素晴らしい活動」と激励された。だが、難民が犯罪を起こすこともあり、世間の目は厳しくなってきていると感じるという。
ドイツで生きていくため、自立した強い子に育って欲しいと願う。「サッカーを通じて規律を学び、自分自身の価値を感じ、自信を持って欲しい。女の子だから、難民だから、制限があるわけじゃない」。今では、地元のチームになじめなかった子や、貧しい家庭のドイツ人も参加する。問い合わせも増えてきているといい、「ドイツ国内に広げたい」と語る。