偶然の幸運に感謝したくなる。取材をしていて、たまにそういう瞬間に遭遇するが、まさにそうした出会いがあった。中世の趣を今も色濃く残す古都ペルージャ。この街で20年前の秋、21歳の中田英寿がイタリアリーグ1部(セリエA)にデビューし、3連覇を狙うユベントスから2ゴールを奪う鮮烈なスタートを切った。
中田が所属していたころに取材して以来、19年ぶりにレナト・クーリ競技場を訪ねると、鉄骨がむきだしのスタジアムは当時と全く変わっていなかった。
取材に訪れた週末は、懐かしのカードがあった。ペルージャ対ベネチア。99年、当時中田と共に日本代表の中核だった名波浩がベネチアに在籍し、10月23日、ペルージャでセリエA初の「日本人対決」が実現したのだ。どしゃ降りの雨で、スタジアム脇の駐車場が池のようになった光景が思い出として残っている。今は両チームともセリエB(2部)に在籍し、セリエA昇格を争うライバル対決だった。
試合前、メンバー表で対戦相手の監督欄を見た。そして、見返した。いや、間違いない。フィリッポ・インザギ。2006年W杯でイタリアが世界一に輝いたときのストライカーだ。しかも、中田がペルージャでデビューし、ユベントスから2ゴールを決めた試合で、ユベントスの先発メンバーに名を連ねていた。本来、事前の準備で調べておくべきことではあるが、勉強不足を恥じるべきなのは脇におかせてもらい、巡り合わせに感謝した。
試合は1点を先行されたペルージャは後半終了間際に追いつき、引き分けに終わった。試合後の記者会見。奇遇はチャンス。私はイタリア語ができないが、ペルージャ在住の知り合いの記者に頼み、試合についての総括が一段落したころ、インザギに質問してもらった。
中田が2ゴールを決めた20年前の試合、覚えていますか?
あっさり否定された。「昨日のことさえ、忘れるのに、20年前のことは覚えていないよ。この試合の後、また次の試合があるからその試合を覚えているのは難しい……。ただ、中田とは対戦したし、僕の友達だから、再会したら、喜んで彼にあいさつするよ」
セリエAに昇格できるかどうかは、自分の監督としてのキャリアを左右するだけに、20年前の郷愁に浸っているような余裕はなかったのかもしれない。
だが、そのコメントを会見場で聞いていた地元紙のペルージャの番記者、フランチェスカ・メンカッチが会見の後で、こう言った。「忘れるはずはないわよ。ナカタはあんなにすごいことをやったんだから。あの試合を記憶から消し去ることなんて不可能だから。インザギのコメントはウソよ」。まるで、自分の名誉を無視されたことのように、憤慨してくれた。勝手ながら、少しだけ、自分がほめられた気分になった。日本人として誇らしく、ナカタの偉大さを改めて実感した。
インザギ率いるベネチアは結局、1部昇格はならなかったが、インザギ自身は今季から、セリエA、ボローニャで指揮を執る。そこも、かつて中田が所属した古巣の一つ。セリエAには、NAKATAの足跡が、あちこちにある。