私のON
ドイツ西部の街デュッセルドルフで、子ども向けのサッカースクールを開いて3年になります。
デュッセルドルフは日本企業の支社なども多いところで、駐在員の方も多い。そうしたご家庭のお子さんなどに、サッカーを教えています。デュッセルドルフの地元のチームでも少年たちを教えていますので、幼稚園から小学校6年生までの40~50人を指導しています。
サッカーの指導者になりたいと考え始めたのは、大学生の時。きっかけは、応援していた地元のチーム、名古屋グランパスエイトの「変身」でした。
高校時代の1993年にサッカー・Jリーグが始まりましたが、なにせグランパスは弱かった。93、94年とリーグの下から2番目で「お荷物クラブ」と言われていました。それが95年、アーセン・ベンゲルが監督に就任すると、とたんに優勝争いに加わるようになったのです。天皇杯というタイトルまでとりました。監督が代わるだけで、がらりとチームが変わったことに、本当に驚きました。
ぼくは高校までサッカー部でしたが、サッカーを理論的に教えてもらったことはなかったんです。ところがベンゲルを通じて、ヨーロッパではサッカーが理論的に研究されているということを知り、自分もそこに関われないだろうか、と考えるようになりました。それぐらい、ベンゲルの存在は大きかったんです。
でも、当時は「サッカーを職業とする」というのは想像もできない世界です。結局は就職して、経理のサラリーマンになりました。でも、やっぱりあきらめきれない。調べてみると、ドイツにはサッカーを教えている大学がありました。
そこで、その大学の日本人OBのコーチに会いにいったりして情報を集め、2002年、3年間勤めた会社をやめて、ドイツに移りました。ドイツ語もできない状態でしたから、まずは現地で言語を学び、ケルンにある体育大学に入りました。
大学では、サッカーだけでなく、テニスや水泳といった様々な種目や、栄養学などを学びます。合わせて、アルバイトとして地元のチームで小中学生にサッカーを教えるようになりました。
そのうち、アルバイト先のチームのトップ監督に誘われ、彼のサッカースクールのコーチになりました。2012年のことです。でも、彼のもとで教えているうち「この教え方は日本人には通じない」とか、「自分なら、こう教える」とか考えるようになりました。
ドイツに駐在している日本人家庭の子どもさんたちもいたのですが、ドイツの子どもたちとは反応が違うのです。さらに、自分なりの教え方も少しずつ形になってきた手応えもありました。そこで3年後、日本人向けのスクールをつくって独立しました。
まず目標つくり、逆算で練習を組み立てるドイツ人
日本とドイツは、似たようなくくりをされることも多いのですが、こちらで暮らしてみるとずいぶん違うと感じます。
まず、大人も子どももそうですが、こちらでは自ら主張しなくては相手にしてもらえません。たとえばチームの運営ひとつをとっても、いろんな会議があり、長々と議論をする割には結論が出ないことも珍しくありません。
ところが、そんな議論の後に、リーダーが独断で結論を決めてしまうことがあります。
だったら議論しなくていいのにと思うこともありますが、議論の時に発言しておかないと、決定に文句を言う権利も与えられません。自ら主張しておかないと、何もしていないのと同じと理解されてしまうのです。最初は面倒だと思いましたが、こちらで過ごすうちに、これには慣れてきました。今では、言いたいことは先に言っておこうという感じです。
子どもたちも、同じように主張してきます。コーチから「学ぼう」というよりは、どう一緒にサッカーをするのか、と考えている感じで、どんな人物なのか、どの程度やったら怒る人なのか、何を持っているのか、いろいろ試してきます。
練習方法も、理詰めなのがドイツ流。ムダは嫌われますから、「目標からの逆算」で練習を組み立てます。こちらでは毎週末に試合がありますので、その試合に勝つにはどうすればいいのか、そのためには今、どんな練習が必要なのか、という風に逆算していくのです。
もちろん目先の試合のためだけでなく、何年後にどんな選手になるべきなのか、といった長期的な目標からの逆算も重要です。子どもたちに何かをやってもらうにしても、説明が必要です。
一方で、日本の子どもたちには、教えてもらうのを待っている姿勢が目立ちます。その分、言われたことにはきちんと従いますし、練習も一生懸命です。
日独の違いがよく出る練習に、パスなどの基礎練習があります。日本ではよく向かい合ってパスの練習などをしますが、ドイツではまずやりません。というよりも、子どもたちが退屈して、やってくれません。
やってもらうには、理論的に説得しなければいけませんが、それも大変なので、ぼくはやっていませんね。それよりも、まずは遊びやゲームを重視して、その中で、必要な能力を磨いていけるよう組み立てます。
日本でやられているような基礎練習の繰り返しは、技術の向上に欠かせないものですし、悪いとは思いません。ただし、その技術は試合で生かされなくては意味がありません。
日本からこちらに来る子どもたちの中には、練習ではすごく上手なのに、試合になるとそれを発揮できない子をよく見かけます。ですから、そうした基礎練習と、試合とをつなぐ部分が日本の課題ではないかと感じます。
小学生でも「国際試合」 違いを感じるチャンス
ドイツでは、アマチュアのサッカーチームでも、幼稚園から大人までチームがあって、毎週末、ホーム・アンド・アウェー方式で試合が組まれています。そこで日本の子どもたちのチームも、ドイツの子どもたちと向き合って、試合をしています。小学生であっても立派な国際試合です。
ひとつひとつのプレーの選択の場面で、外国人がどう反応し、どう考えるのか、その違いを子どもたちは肌で感じています。
指導をしていて思うのは、そこで感じた「外国」を少しでも今後の人生に生かしてもらえればいいな、ということですね。日本の国内にも外国人が増えていますし、海外に出て仕事をすることも、これからさらに重要になるでしょう。
その前に、自分とは違う考え方の人がいるということを、肌で感じるいい機会なんです。
もちろん、日本のサッカーをさらに強くするような選手も出てきてほしいと思っています。
少しずついい選手が育ってきているので、将来が楽しみです。
私のOFF
2012年に、こちらで結婚し、デュッセルドルフに近いケルンに住んでいます。
もうすっかり慣れましたが、こちらではやはり日本に比べると時間がゆっくり流れていると感じます。有給休暇を2~3週間取るのは、当たり前。仕事も5~6時には終わります。
最近は少し変わってきたのですが、ドイツに来たころはスーパーも5時~6時には閉まり、週末も土曜日の午後には閉店でした。今時ずいぶん不便なところだと、正直なところ驚きました。
それに、きちんとしていると思われがちなドイツですが、電車の遅れなどはしょっちゅうです。それでもイタリアなどに比べれば、来るだけまし、ということになります。日本の新幹線のように、数分間隔で走っていて遅れがほとんどないなんて、考えられません。それでも慣れてしまえば、どうということもありませんし、この方が気楽なのかもしれません。
不便を受け入れるにも理屈がある
面白いなあ、と思うのは、スーパーのレジの行列です。
こちらではレジが4カ所あっても、店員が休憩中で1カ所しか開いておらず、客がずらっと並ぶようなことがよくあります。
日本だったら「他のレジを開けろ」と客が言い出すか、言い出す前に店の人がやってきてレジを開けそうなところですが、店員は誰も出てこないし、さらに、客の方も文句を言わないのです。
こういうことを言い出すと、それが自分の身にも降りかかってくる。みんな、それが分かっているからじゃないか、とぼくは思っています。
誰かが休みを取っているのに、呼び出してレジを開けさせることができるということは、
自分が休んでいる時にも、顧客から「働け」と言われかねない、ということです。
そう考えると、客の側もそういう要求はできない。つまり自分も休む分、不便さは受け入れようというのが、なんでも理詰めのドイツらしい考え方なんじゃないかと思っています。
こうしたことも慣れましたし、特に生活に不便は感じていませんね。気になることと言えば、魚を食べる機会が少ないことぐらいでしょうか。魚については質も低いし、種類もとても少ないです。
お気に入りの場所は、やっぱりケルンの大聖堂ですね。
最初に見たときは、本当に感動しましたが、すぐに見慣れてしまって、下を通っても見上げもしなくなりました。それが今では、眺めると懐かしくなって「帰ってきた」という気分にさせてくれる存在です。特にライン川から見る大聖堂がお気に入りです。
やまうち・けんじ/1975年、愛知県出身。2002年にドイツに渡り、ケルン体育大学を経て15年にサッカー教室「独日サッカーアカデミー」を開校。