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無名なサランスクがサッカーW杯会場を勝ち取ったわけ

迷宮ロシアをさまよう 更新日: 公開日:
上空から撮影したサランスク中心部=2017年8月、ロイター

6月14日、FIFAワールドカップ(W杯)ロシア大会が始まりました。自慢ではありませんが(ホントは密かな自慢です)、私はロシアW杯の11開催都市、すべてを訪問したことがあります。日本代表の試合は、サランスク、エカテリンブルグ、ボルゴグラードの3都市で行われます。ですので、この3都市から街物語を始めたいと思います。 

第1回は、日本にとっての初戦会場となるサランスク。

実は私はあるメディアから、「日本の試合会場が決まったら、その3都市を紹介するコラムを大至急書いてほしい」と頼まれていました。そこで私は、2017年12月1日にモスクワで行われた組み合わせ抽選会の模様を、テレビの前で、固唾を飲んで見守っていました。

個人的には、最近の日本代表の試合などよりも、はるかにドキドキワクワクでした。日本が試合をする3都市のすべての組み合わせを想定して、24通りの地図をあらかじめ作成し、「さあどこだ? 矢でも鉄砲でも持って来い」とばかりに、景気付けにウォッカをあおりながら、抽選会に見入りました。

結局、日本代表の戦いの場に決まったのが、上述の3都市。事前に用意していた24通りの地図のうち、日の目を見たのが、下に見るバージョンです。星印が日本戦の会場、丸印がその他の開催都市となります。

条件最悪のサランスク

ただ、初戦会場のSaranskという文字を見て、私のウォッカの酔いは、一気に醒めました。

サランスクはまずい。

最初がいきなりサランスクでは、日本人サポーターにとっての難易度が高すぎる。アクセスも、ホテル事情も、一番厳しいところじゃないか。いやあ、これは厄介なことになった。思わず、そんなことを心の中で叫びました。

何しろ、当時私が得ていた情報では、サランスクにはホテルが312室しかない(!)と言われていました。また、航空便は極めて少なく、鉄道ではモスクワから片道8時間かかります。ロシア人ですら、特別な用事がない限り、まず行かない場所ですので、利便性が悪いのも無理ありません。

日本のサッカー関係者やサポーターの皆さんは、ロシアの地方都市の名前など、すべて初耳でしょうから、「初戦がサランスク」と言われても、すぐにはピンと来なかったと思います。しかし、実際にホテルの手配を始めると、事の深刻さに気付き、パニックに陥ったようです。これが世に言う日本サッカー界の「サランスク・ショック」です。

なお、サランスクの名誉のために言っておくと、W杯に向けて、ある程度ホテルの追加建設も進み、最終的には1000室くらいまで増えるということのようです。また、サランスク空港では2017年12月に新ターミナルが完成し、新規就航した航空会社もあるので、アクセスも多少は改善されました。

サランスクの街角に掲げられていた看板 「モルドヴィア民族とロシア国家の諸民族との一体性千周年 我々は皆ロシアだ!」とある(撮影:服部倫卓)

モルドヴィア人とは?

サランスクという街は、ロシア内陸部の、沿ヴォルガ地域と呼ばれるエリアにあります。人口は30万人弱であり、ロシアW杯の11開催都市の中では最小です。

サランスク市は、モルドヴィア共和国の首都です。「共和国」と言っても、独立国家ではありません。ロシアでは、少数民族のために「共和国」という自治単位が設けられているのですが、その権限は普通の州と変わりなく、あくまでもロシアという国の中の一地域です。

モルドヴィア人(Mordvins)は、フィン・ウゴル系の少数民族。ウクライナとルーマニアに挟まれた独立国家のモルドヴァに住んでいるモルドヴァ人(Moldovans)はラテン系で、それとはまったく別なので、注意してください。なお、ややこしいことに、モルドヴィア人はエルジャ語とモクシャ語という2つの言語グループに分かれ、実は両言語はお互いに意思疎通が困難なほど異なるようです。

ロシアには、モルドヴィア人、ウドムルト人、カレリア人など、フィン・ウゴル系の少数民族がいくつか存在し、その中で最大勢力となっているのがモルドヴィア人です。世界的に見ても、ハンガリー人、フィンランド人、エストニア人に次いで4番目に数が多いフィン・ウゴル系民族だそうです。なお、2010年時点のモルドヴィア共和国の民族構成を見ると、ロシア人が53%と多数派であり、モルドヴィア人は40%と少数派となっています。

フィン・ウゴル系と言われても、どのような容貌の人々なのか、想像がつかないことと思います。結論から言うと、モルドヴィア人の見かけはロシア人とあまり変わりません。基本的に、モンゴロイドではなく、コーカソイドです。

しかも、現地で聞いた説明によると、モルドヴィア人は長年にわたりロシア人との混血が進んできたので、今日ではほとんどロシア人と見分けがつかなくなっているそうです。宗教的にも古い時代からロシア人と同じ東方キリスト教を受け入れており、現在はほとんどのモルドヴィア人がロシア語に移行しています。「私はロシア人」「あの人はモルドヴィア人」といったルーツ上の区別はあるものの、両者は完全に溶け込んで共存しています。

下でお目にかけるのは、現地で買ってきた『英語・ロシア語・モクシャ語・エルジャ語会話集』という本の表紙。モルドヴィア人女性の姿が見られますが、「ロシア人女性です」と言われても、ほとんどの人は何の疑問もなく納得してしまうでしょう。

ロシアとの千年の友情を現金化

サランスクの街を歩いてみたところ、他のロシアの地方都市とはちょっと違う雰囲気を感じました。整然とした街並みに、妙に立派な行政・文化・スポーツ施設が立ち並び、ちょっと北朝鮮チックでもあります。当日は霧が立ち込めたりもしていたので、何やらボルガの異空間に迷い込んだかのような感覚がありました。

資源を持たざる地域のはずなのに、どうやってこれらの箱ものをこしらえたのでしょうか? 実は、モルドヴィアでは2012年に「ロシアとの一体性千周年」を祝う記念祝賀行事がありました。これに向け、連邦政府から巨額の建設投資予算が割り当てられたらしく、一連の建造物は多くがその賜物と思われます。「優等生民族」へのご褒美のようなものでしょうか。

人口30万人足らずで、地元サッカークラブ「FCモルドヴィア」も強豪とは言いがたいサランスクが、なぜW杯開催権を射止めることができたか? この共和国がクレムリンと太いパイプで繋がっており、中央でのロビー能力に長けているからだというのが、その答えだと思われます。