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「歴史はくり返す」は本当か 100年前の古戦場に立って考えた

ことばで見る政治の世界 更新日: 公開日:
フランス・ソンムの古戦場に設けられた英仏共同墓地

11月11日は、第1次世界大戦の終結からちょうど100年。ヨーロッパ各地で様々な記念行事が行われたが、今回は、従来の記念年とは明らかに違っていた。現代世界の混迷の姿に、ナショナリズムが激しくぶつかり合った第1次大戦前夜との類似を見る人も多い。1世紀前、なぜ人類は地獄のような戦争に突入したのだろうか。ヨーロッパの古戦場から考えてみた。(朝日新聞編集委員・三浦俊章、写真・仙波理)

■戦場全体が巨大な墓地

緑の野に白い墓標がどこまでも続いていた。ここはフランス北部、ベルギーとの国境に近いピカルディー地方。第1次大戦で最大の会戦と言われる「ソンムの戦い」の古戦場である。

戦いが始まったのは1916年7月1日だった。この地でドイツ軍がイギリス・フランスの連合軍と激突した。イギリス軍だけで12万人が参加し、初日だけでそのうち2万人が戦死、4万人が死傷した。ほとんど崩れ落ちているが、塹壕の一部が今も残る。慰霊塔もそびえている。古戦場自体が、巨大な墓地なのだ。

フランス・ソンムの古戦場に設けられた英仏共同墓地に立つ十字架

日本にとって第1次大戦は遠い戦争である。主要な戦場はヨーロッパであり、日本は限定的に関与しただけなので、戦争のことはあまり知られていない。しかし、ヨーロッパを旅すると、大戦の残した巨大な爪痕をいたるところで見ることができる。

イギリスとフランスのほとんどの地方自治体に、第1次大戦の出征兵士を称える記念碑が残る。その数は両国で約6万に達する。私は40年前にロンドン大学に留学したが、講堂の壁には、第1次と第2次の両世界大戦で亡くなった出身学生の名前が彫り込まれていた。その名前の数は、第1次大戦の名前のほうが第2次大戦より多かった。

膨大な数の犠牲者を出しただけではない。第1次大戦は、19世紀初頭以来続いていた貴族的・帝国的な「古き良き秩序」を、崩壊させた。

大戦前のヨーロッパは、フランスとスイスをのぞくと、すべて君主国だった。第1次世界大戦は、1917年のロシア革命を誘発し、戦後は革命と民族自決の嵐がヨーロッパ大陸を覆い、社会変動の波はさらに植民地へと達した。

第1次大戦の戦後処理は、永続的平和をもたらさなかった。敗戦国ドイツは過大な賠償金に苦しみ、経済恐慌がヒトラーという怪物を生んでしまった。さらに大きい世界大戦が起きた。こう考えると、第1次大戦がきっかけとなって、人類史は劇的に変わってしまったのだと言える。

フランス・ソンムの古戦場。かつての塹壕が公園になっている

第1次大戦開戦のきっかけは、よく知られているように暗殺事件だった。1914年6月28日、オーストリア・ハンガリー帝国の皇太子夫妻が、オーストリアが統治していたサラエボ(今日のボスニア・ヘルツェゴビナ)で、セルビア民族主義者の凶弾に倒れた。

実は、要人の暗殺は当時のヨーロッパでは珍しいことではなかったので、この事件が戦争を引き起こすと予想した人はほとんどいなかった。だが、当時のヨーロッパでは、戦争を防ぐために複雑な同盟関係がはりめぐらされていた。その同盟関係が逆に武力行使の連鎖を生み、世界大戦になってしまった。

戦争に先立つ100年の間に、ヨーロッパ諸国は産業革命を成し遂げ、巨大な工業力と軍事力を蓄えた国家が並び立っていた。義務教育、徴兵制、鉄道網……近代国家が生み出した諸制度は、実は、大規模な長期戦争を可能にしていた。だが、当時の指導者が思い描いていた戦争のイメージは、依然として古風なナポレオン時代のものだった。大砲による砲撃のあと、騎兵隊が突撃して勝敗を決するという短期戦を想定していたのである。

要するに人類は、自らが持つに至った破壊力のすごさを知らないまま、開戦してしまったのである。飛行機、戦車、毒ガスなど新兵器が次々に投入され、空前の殺し合いが始まった。

■「なぜ戦争に?」「それが分かってさえいたら」

開戦の後、ドイツ帝国の前宰相だったベルンハルト・フォン・ビューローが、宰相のベルトマン=ホルヴェークにこう問いただしたという。

「なんで戦争になったのだ?」。答えは「それが分かってさえいたら」だった。

意図せずして戦争が始まり、世界を滅ぼすこともある。平和はもろい。それが20世紀の歴史の教訓だった。しかし、戦争の記憶が消えるにつれて、その教訓は顧みられなくなった。トランプ大統領の「アメリカ第一主義」やヨーロッパに渦巻くポピュリズムの嵐が、平和の礎石であるリベラルな国際秩序、多国間協力の枠組みを浸食している。

第一次大戦終戦100年に合わせフランスを訪問したトランプ米大統領。11月10日、マクロン仏大統領と会談した=ロイター

第1次世界大戦の始まりを目撃したオーストリアの作家シュテファン・ツヴァイクは、後に自伝的作品『昨日の世界』で、こう振り返っている。

「1914年における大衆の大多数はいったい戦争について何を知っていたであろうか。彼らは戦争を知らず、ほとんど戦争のことを考えたこともなかった。戦争はひとつの伝説であり、まさしくそれが遠くにあることが、戦争を英雄的でロマンティックなものにした。……『クリスマスにはまた家に帰って来ますよ』と、1914年8月に新兵たちは笑いながら、母親たちに叫んだのであった」(『昨日の世界Ⅰ』、原田義人訳、みすず書房)

核時代に生きる私たちはもはや戦争にそのようなロマンは抱いていない。しかし、ナショナリズムと戦争の危険性について切迫感が乏しいという意味においては、1914年の民衆とそれほどの違いはないのかもしれない。

歴史は繰り返さない。人間が同じ過ちを繰り返すのである。