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スマホを捨ててホメロスを読もう パリ書店のベストセラー

Bestsellers 世界の書店から 更新日: 公開日:
Photo: Toyama Shigeki

世界を駆け巡り、数々の冒険を通して作品を発表してきた作家シルヴァン・テソンが、エーゲ海の島に腰を据え、ホメロスとじっくり向き合った。この欄では『Dans les forêts de Sibérie (シベリアの森の中で)』などを紹介したことがある。今回の『Un été avec Homère(ホメロスと過ごす夏)』は、ラジオ番組のためのエッセイをまとめたもの。

トロイア戦争を語る『イーリアス』と、英雄オデュッセウスの故郷への帰還の旅『オデュッセイア』。ふたつの長編叙事詩は、古代ギリシャの吟遊詩人ホメロスの作とされるが、作者の正体は定かでないし、語られるトロイア戦争の史実も神話と組んず解れつ。真実の追求に生涯を費やした研究者の数は知れない。

テソンは事実云々を問うのではなく、物語の現場に身を置き、ギリシャの泡立つ海や風、光と一体化することで、ホメロスの世界と共振することに成功した。もともとが口承で伝えられた叙事詩である。破壊と秩序、従属と自由、栄光と忘却、死、放浪と故郷、美、運命など、語られるべきテーマはすべて詰まっている。西欧人がどのように感じ、考え、いま在るのか。『イーリアス』と『オデュッセイア』は、文学という言葉が存在する以前に西欧人の土台を築いた最古にして最高の文学作品だ、とテソンは言う。

デジタル化によって狭まり、均一化され、エゴの肥大した世界への痛烈な批判もちりばめられている。スマートフォンを捨てて吟遊詩人が語る言葉の響きとリズムに身を任せてみれば、古代ギリシャの神々と人間たちが織り成す世界の物語はなんと香り高く、残虐ではあるが崇高で豊穣な光に溢れているのだろう。

テソンの言うように、「人間はいつの時代も変わらない」のかもしれない。しかし、人間がいかに愚かな行為を繰り返そうと、神々の介入によってその運命が翻弄されようと、 人間にはいつもある選択肢が残されている。テソンが『オデュッセイア』を、「宿命から逃れる可能性の物語」と位置づける所以である。

ヒマラヤやシベリアを駆け巡り、数々の塔を制覇し、なんということもない屋根から落ちて半身不随になりかけたこともある破天荒な作家、テソンは、ホメロスに「よりよく生きる」道を示されたと告白する。これも本物の文学が持つ魔力のひとつだろう。

 かくも純粋な兄弟愛

ホメロスが謳う「英雄」の対極に、誉とは無縁のごく平凡な男の人生がある。『Mon frère(兄貴)』は、固定ファンを持つ人気作家ダニエル・ペナックが、2007年に医療事故で亡くなった5歳年上の兄への思慕の情を、独特の手法で吐露したエッセイ。

脚本や芝居でも活躍するペナックは、8年前すでに、米作家メルヴィルの『代書人バートルビー』を自ら朗読する連続公演を行っている。バートルビーは、「せずにすめばありがたいのですが」という言い回しで仕事を拒み続けた男の不条理な物語。その世界は、カフカに先んじているとも言われる。控えめなのに、異様な存在感のあるバートルビーに、作家は自分に文学の道を開いてくれた兄の姿をどこかで重ね合わせていたのだった。ごくふつうの勤め人だった兄は、ものへの執着とは無縁の、どこか浮世離れしたところのある人物だった。

兄の死から10年経ってようやく、死の衝撃と同時にすべての思い出が消えてしまったかのように感じていたペナックは、『バートルビー』の抜粋を本文に繰り返しはさみ込むことで、兄と自分の過ごした時間や思い出の感触を取り戻し、それに形を与えることに成功した。最も純粋な形での兄弟愛が、読む者の心に静かにしみ渡ってゆく。 

 話題を振りまいた看板キャスター、来し方をどう語る

Puisque tout passe(すべては過ぎ去るのだから)』は、民放大手TF1の看板ニュースキャスター、 クレール・シャザルが60の坂を越えて、来し方を振り返ったエッセイ集。

 四半世紀もの長きにわたって20時のニュース番組を取り仕切ったシャザルだが、大統領をはじめ著名人インタビューは数知れない。美貌と知性を兼ね備えたメディア界のスターで、年長の同じく看板キャスターだった男性との間に1児をもうけ、50代にはかなり年下の男性をパートナーに持つなど、ゴシップ誌が飛びつきそうな話題にも事欠かなかった。

だれもがうらやむようなキャリアの持ち主が、自分の人生をどう分析するのか、ファンの興味をそそらずにはいられないだろう。

閉所恐怖症だったり、母親譲りの極度な心配性だったり、一般人は知る由もなかった弱点や、老いに対する不安なども、包み隠さず率直に語られている。

シャザルが浮世の成功物語を象徴しているとすれば、ペナックの兄の人柄はそれを超えたところ、またはそこから外れたところに存在する。現実世界と文学のちがいはこのあたりにあるのかと、しばし考えさせられた。

フランスのベストセラー(エッセイ部門5月30日付L’Express誌より)

『 』内の書名は邦題(出版社)

1 Un été avec Homère

Sylvain Tesson シルヴァン・テソン

古代ギリシャの最高傑作、ホメロスの長編叙事詩の魅力に肉迫するエッセイ

2 Puisque tout passe : Fragments de vie

Claire Chazal クレール・シャザル

長年TF1の看板ニュースキャスターだった女性が来し方を振り返る

3 Les leçon du pouvoir     

François Hollande  フランソワ・オランド

任期を終えて1年、前仏大統領が国家元首のあり方を考察。体験を綴る

4 Mon frère

Daniel Pennac ダニエル・ペナック

マロセーヌ・シリーズで著名なペナックが愛情を込めて自身の兄を語る

5 Le miracle Spinoza. Une philosophie pour éclairer notre vie

Frédéric Lenoir フレデリック・ルノワール

時代の先をいった17世紀の哲学者スピノザの「奇跡的」現代性を説く

6 La vie secrète des arbres

『樹木たちの知られざる生活』(早川書房)

Peter Wohlleben  ぺーター・ヴォールレーベン

ドイツの森林管理官が樹木の知恵と不思議を語る世界的ベストセラー 

7 La confiance en soi. Une philosophie

Charles Pépin シャルル・ペパン

自分への信頼感とは? 心理学的側面からではなく、哲学者が哲学的に分析

8 Sapiences: Une brève histoire de l'humanité.

『サピエンス全史』(河出書房新社)

Yuval Noah Harari ユヴァル・ノア・ハラリ

イスラエル歴史学者による世界的ベストセラー

9 Noire n'est pas mon métier

Collectif 共著

白人以外のフランス人女優たちが、「型にはまった役しか回してもらえない」ことなどを一丸となって証言。

10 La vie intérieure

Christophe André クリストフ・アンドレ

仕事や日常に追われて内面に目を向ける余裕のない現代人に呼びかける。